第36回保育まつり
のびのび いきいき 子どもたち

 「第36回保育まつり」を5月17日尾長小学校で開催し、地域の親子など約1100名が参加しました。保育園職員を中心とした実行委員会がまつりの運営を行い、あそびにきた子どもたちや保護者に、手作りのあそびのコーナーで一日たっぷり楽しんでもらうまつりです。

楽しく遊びおいしく食べて

 今年は新たに、紙芝居・エコバック・フェイスペイントの3つのコーナーが加わりました。また、おいしくて安心な食べ物コーナーも毎年人気です。たくさんの学生ボランティアも参加し、まつりを盛り上げています。

 今年のテーマは、「ばばばあちゃんとあそぼ!」です。ばばばあちゃんというのは絵本に出てくるキャラクターで、保育園の子どもたちにとても人気があります。まつりに参加した子どもたちがイメージを持ちやすいようにするため、オープニングではばばばあちゃんの扮装をした職員が登場したり、ばばばあちゃんのスタンプラリーを行うなど工夫をしました。

思い思いに遊んで

 参加した子どもたちは自分の好きなコーナーに行き、集中してあそびを楽しんでいました。子どもたちがのびのびと主体的にあそびを楽しむことができる保育まつりを今後も続けていきたいと思います。これからもご協力をおねがいします。

2016広島市母親大会に参加者265人
今の命育む憲法を守ろう

 5月8日、今年も母の日に広島市母親大会が開かれました。さわやかな晴天に恵まれて、広島市社会福祉センターに265人の参加者が集まりました。


 午前は分科会。@「親子リズム」A「しゃべり場 不登校から考える」B「『戦争法』でかわる?!日本のみらい」C「自分の介護はどうするの?」D「心が軽くなる終活」E「脳が喜ぶアート体験」で学んだり話し合ったりしました。

 午後は全体会。まず「戦争法」分科会の報告の後、会長あいさつがありました。記念講演はアーサー・ビナードさんの「広島の向こうに見える世界」でした。記念講演の要旨は以下のとおりです。


原爆を使ったから戦争が早く終わったのか?

 アメリカで「Hiroshima」は知っていたが学校の先生から「原爆を使ったから戦争が早く終わり多くの人命が失われずにすんだ」という説明を聞いた時は「うさんくさいな」と思ったそうです。後になって学校で教わったことが100パーセントインチキと気づきますが、それを教えてくれたのはヒロシマだったそうです。


ヒロシマに来て知った「ピカ」という言葉

 ヒロシマに来て被爆体験者の女性から「ピカ」という言葉を聞いた時「Atomic Bomb」や「原爆」との違いに衝撃を受けたそうです。平和記念式典での首相や市長のあいさつ、平和宣言などを、アーサーさんなりの解釈で読み解き、共通に使われる、原爆投下によって失われた命に対する表現について指摘。「かけがえのない命」「尊い命」とあるが、1945年の8月の時点では、公的な機関は「御国のために命を捨てろ」との立場だった。綺麗な言葉の裏に、過去を消そうとしているのではないかとの疑念が浮かぶとのべました。


憲法があるから命が守られている

 1947年日本国憲法ができてから命が大切にされるようになった。憲法21条「言論の自由」があるから命が守られている。今、安倍政権は憲法をつぶそうとしている。続いている今の命を続けていくためには疑う必要があると熱く語りました。アメリカ大統領選挙にふれるとともに、それよりも7月の日本の選挙(アベコベ政権を倒す)の方が大事だとのべました。


 講演の後、9月25日佐伯区民文化センターで行われる広島県母親大会への参加の呼びかけ、大会アピール文を採択して閉会しました。

自民党「改憲案」検証 第3回
基本的人権を考える(上)

 基本的人権は、そもそも人間がもっている権利=自然権であって、他からの制約なく全面的にその権利は保障されるべきものです。

侵せない永久の権利

 日本国憲法は、第97条で「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と宣言しています。

 「侵すことのできない永久の権利」とは、いかなる憲法改正も、基本的人権を奪えないという意味ですが、自民党「改憲案」は、第97条の全文を削除し、しかもなぜ削ったかについて全く説明がありません。自民党「改憲案」の特徴は、基本的人権の全面的保障ではなく、国民の「責任」や「義務」を方々に挿入強調し、「自由及び権利」を制限する立場をとっていることです。

人権制約を当然視―自民案

 憲法第12条は、国民の不断の努力で「自由」や「権利」を保持しなければならないという趣旨ですが、自民党「改憲案」は、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と変えています。そして、「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」と解説し、「公の秩序」の名の下に、制約範囲を拡大する意図を表明しています。

 「『公の秩序』とは『社会秩序』のことであり、平穏な社会生活を意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑をかけてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません」と弁明しています。

 自民党改憲案がいう「新しい人権」とは? 以下、次回で検証します。

戦争は絶対だめ 核兵器をなくせ
被爆体験を聞く会とフィールドワーク

 5月7日、広島県労働者学習協議会事務所(中区堺町)において、広島県原水協主催の「被爆体験を聞く会とフィールドワーク」が開かれました。

校舎の下敷き100人余、救出は一人だけ

 被爆体験は、当時広島工業専門学校(現広島大学工学部)の1年生だった加藤義典さんに、被爆後、段原小学校で倒壊した校舎の下敷きになった児童を助け出そうとした経験を語っていただきました。

 広島で原爆の日に何が起きたのか。加藤さんは、「8月6日に大洲の中国電力の一室を借りて授業があった。授業は8時始まり。そのときB29の爆音が聞こえてきて、いつまでも鳴りやまないので、一人の学生が外を見た途端、閃光が走った。とっさに両手で顔を覆い、机の下にもぐった瞬間、爆風が襲ってきた。近くに大きな爆弾が落ちたと感じたが、ものすごい威力だったので、弾薬庫がやられたのではと思った」と語り、自宅の京橋町に帰る途中の、段原小学校での出来事を話し始めました。

 「段原小学校の前で、負傷した小学校の先生に、『子どもたちが校舎の下敷きになった。児童を助けてほしい』と懇願され、柱の下を覗いてみると、100人余りの児童が下敷きになっていた。泣き叫ぶ子、気丈にふるまう子などいたが、一人だけしか救い出すことができず、身を引き裂かれる思いで『助けられなくてごめんね』と詫びながら立ち去らざるを得なかったことがいまでも悔やまれる。戦争は絶対だめだ」と力を込めて訴えました。

お寺や原爆犠牲ヒロシマの碑をめぐって

 続いて行われたフィールドワークは、本川町電停前にある清住寺、相生橋、原爆ドーム東側に位置する、西連寺と西向寺をめぐり、最後に原爆犠牲ヒロシマの碑まで、大亀信行さん(かき船問題を考える会事務局長)の案内で歩きました。

 最初に行ったのは、爆心地から530メートルにある清住寺の墓石:竹内家の石灯篭(花崗岩)の影、地上に届いた熱線は3000度ともいわれ、爆風により石粉が飛び散りざらざらしていました。大亀さんは「影の長さと光が入った角度を計算すると、約600メートル上空でさく裂したことが分かる」と述べました。

 相生橋では、この橋が、投下目標とされたこと、およそ3・8キロメートル手前で投下されており、投下地点は矢賀駅から府中町のあたりとなることを学びました。

 西連寺では玄関入口にある被爆地蔵尊がほぼ爆心直下に位置すること、西向寺では先々代の住職の墓の線香台の丸い影を指し、お寺の建替えの際、墓石は移設されているが、この影がこの墓石が爆心地にあった証拠であることを聞きました。

 最後に、訪ねた「原爆犠牲ヒロシマの碑」では、大亀さんが38年前、「原爆瓦」を元安川で掘り起こし、高校生たちと被爆を追体験したことを振り返りました。