過去のご法話 | |
七月常例法座 | |
講師 竹條 教悟 先生 | |
![]() |
|
講師からのコメント
「だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて |
|
ああ、弘誓の強縁、 多生にも値ひがたく、 真実の浄信、 億劫にも獲がたし。 たまたま行信を獲ば、 遠く宿縁を慶べ。 (教行信証総序) 一年ぶり八度目のご縁になります徳島の竹條です。今日は「あれから五十年、遠く宿縁の慶び」という内容をお話ししたいと思います。 昭和五十一年、京都の中央仏教学院で本能寺前坊守と出会い、九月に得度を受けて五十年になります。そこで、なぜ私が京都の学校に行くことになったかをお話しします。私は若い頃、人身事故をしまして二週間拘置所に留置され、不起訴処分になりました。しかし、そのことで職場を辞めさせられ途方にくれていると、私の兄が学費を出すから中央仏教学院に行ってみないかと勧められたご縁でありました。学院で、勧学寮の和上による歎異抄の法話で私は救われました。それまでは、「あの時子どもが飛び出してこなければ、私は今まで通りの生活が出来ていたのに」ということを心のどこかに思っていました。和上は、歎異抄の第十三章にある「何事も心の思うようになるものではない。一人も殺せないのはその強縁がないからである」という説法をされました。それにより、私はもともと人様への薄情な思いがあり、たまたま交通事故の縁に遇ったことで心の奥の性根の悪い部分が出てきたのであって、自分自身に問題があったのだと気付かされました。 仏教学院卒業後は、西本願寺白光荘(女性専用更生保護施設)の寮長に、施設の警備員と中央仏教学院の学長に研究科への推薦をして頂きました。これも、施設のお手伝いに誘ってくれた本能寺前坊守からのご縁によるもので大変感謝しています。施設では警備以外にも造園の手入れも任され、これがご縁で妻と息子にも出会うことが出来ました。 ※1)昨年の年賀状で紹介させて頂いた永平寺の僧内山興正が書いた「天地いっぱいのいのち」では、 手桶に水を汲むことによって水が生じたのではない 天地一杯の水が手桶に汲みとられたのだ 手桶の水を大地に撒いてしまったからといって 水が無くなったのではない 天地一杯の水が天地一杯の中にばら撒かれたのだ 人は生まれることによって 生命を生じたのではない 天地一杯の生命が 私という「思い固め」の中に汲みとられたのである 人は死ぬことによって生命が無くなるのではない 天地一杯の生命が私という「思い固め」から 天地一杯の中にばら撒かれるのだ 天地いっぱいにばらまかれているいのちを私たちはお浄土と言うのでしょうね。お浄土についていろいろ説明しますが、実際に行ったことがないから不安があります。しかし、親鸞聖人が半座を空けて待ってて下さる、死んだ両親も仏説阿弥陀経にある倶会一処と言われるように待ってて下さります。なんか行けそうな気がしませんか。しかも無量光明土という光の国なんですよ。冥土のような薄暗い場所だと行きたくありませんよね。 今、自坊のお堂を解体し、阿弥陀堂というお堂を建て、阿弥陀様の家を残して私は終わっていこうと思っている次第です。今年の十月二十五日が父の二十五回忌になり、その日にお堂をお披露目することになっています。また阿弥陀堂以外に記念碑も作ります。自坊の成り立ちについて秘密にされてきましたが、この度いろいろ調査して多くのことが明らかになりました。簡単に言いますと、三好三人衆に次ぐ地位の篠原長房の菩提寺として建立されましたが、謀反人のためそのことは隠されたということです。 ※2)仏様の言葉「丁度よい」 お前はお前で丁度よい 顔も身体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸もよろこびも 悲しみさえも丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい 地獄に行こうと極楽に行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい 仏様と二人連の人生 丁度よくないはずがない 丁度よいのだと聞こえた時 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏 (真宗大谷派常讃寺坊守藤場美津路) 丁度良い人生を私は送らせて頂きました。皆様はどうでしょうか。願ったり祈ったり何もいりません。 阿弥陀仏の本願を聞くものは、静かに御恩の内に生きてもゆき、また死んでもゆけるような身にして頂いています。お念仏一つで事足りて大満足でございます。
|
|
![]() |
聴聞の心得 |
一、このたびのこのご縁は初事と思うべし |