過去のご法話 | |
四月常例法座 | |
講師 佐々木 大乗 先生 | |
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講師からのコメント
この度はようこそお参り下さいました。 |
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如来、無蓋の大悲をもつて 三界を矜哀したまふ。 世に出興するゆゑは、 道教を光闡して、 群萌を拯ひ恵むに 真実の利をもつて せんと欲してなり。 (仏説無量寿経) 私は周南市鹿野の真行寺より参りました。 鹿野というと臨済宗の漢陽寺が有名でございます。 中には精進料理を食べた方もいらっしゃるのではないでしょうか。 自坊の常例法座で「皆様、浄土真宗で良かったと思われますか」と聞くと、 「良かった」と答えて下さいます。 さらに「選んで浄土真宗の門徒になられた方はいらっしゃいますか」と聞くと 「生まれた家や嫁ぎ先で決まっており、選べるものではない」と言われる方がいました。 こういう方は、仏壇だけではなく神棚もある方が多くいます。 つまり、願い事は神様、死後の事は仏様に私の都合により使い分けています。 テレビでは、これを日本の多様性と言っていました。 しかし、拠り所となる宗教において、個人の中で宗教の多様性があることは、 真剣に信仰しているといえるのでしょうか。 また仏教の宗派においても、同じ仏教と一括りにしても良いものでしょうか。 日本では仏教は多くの宗派に分かれています。なぜこのように分かれたのでしょうか。 それはよく登山に例えられます。目的は頂上への到達ですが、 初級から上級まで様々な道があります。 私は若い頃、登山初心者で富士山に登りました。 その時、どういう道を選んだかというと、安全で確実に登頂できる初級の道を選び、 無事登頂できました。この時上級の道を選んでいると、どうなっていたでしょうか。 仏教は仏に成る教えです。仏に成る道をお釈迦様は数多く説法して、それが経典となっています。 親鸞聖人は、二十年にもおよぶ修行をして悟りを得ようとされました。 しかし、悟りを得られず悩まれていました。その時、法然上人と出会われ、 「自力」ではなく「他力(阿弥陀様の働き)」で悟りを得る道があることを教えられます。 それが浄土真宗としての教えとなっています。 このように仏に成る教え(宗派)は多くあります。 しかし、その宗派(道)が違えば登り方が違ってきます。 自分が登りきれる道はどの道なのか聞かせて頂くことが大切ではないでしょうか。
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聴聞の心得 |
一、このたびのこのご縁は初事と思うべし |