過去のご法話
三月常例法座
講師 松月 淳英 先生

講師からのコメント

 肌寒い日でしたが、お聴聞においで下さりありがとうございました。 本能寺の仏さまはとてもよい香りがしました。 きっと皆様の称えたお念仏の声が染み込んでいるからでしょう。  益々のお称名、声高らかにご住職さまや坊守さまと 一緒にお聴聞に励んで下さい。法味がさらに豊かに 広がりますことを願っております。
                   南無阿弥陀仏

  大行とは、すなわち無碍光如来の
  名を称するなり。
  この行は、すなわちこれ
  もろもろの善法を摂し、
  もろもろの徳本を具せり。
  極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。
          (教行信証行巻)
 私は福岡県の糸島より参りました海徳寺の松月と申します。 当山に初めてご縁を頂きました。
 本日のご讃題は教行信証行巻の書き出しの御文です。 この行巻には、浄土真宗の教えはお念仏の教えであると述べられています。 お念仏の教えとは、阿弥陀様の本願が示されている仏説無量寿経には、 「至心信楽欲生我国乃至十念」と書かれています。 至心(澄み切った心)・信楽(疑いのない心)・欲生(浄土に生まれたいと思う心) を三心といい、お浄土に往生するための三つの信心になります。 三つの中で信楽が最も大切であると親鸞聖人はおっしゃっています。 例えば、至心・欲生を弁当と水筒、信楽をリュックサックだとします。 遠足には弁当と水筒をリュックサックに詰めて行くことになります。 即ち、信楽の中に至心と欲生が含まれていると聖人はお示しになっています。 そして、三心の信心をもち、僅か十回のお念仏を称えただけで、 私たちをお浄土に生まれさせることが出来なければ、 阿弥陀様は悟りを開きませんと誓われています。 この阿弥陀様の本願の重要なポイントは、信心と念仏による救いということです。 念仏の「南無阿弥陀仏」の六字は名号ともいいます。 つまり、浄土真宗の教えが「本願名号の救い」と言われるのはこのためです。
 浄土真宗の教えは、私がしっかりしなくてもいい教えです。 しっかりするのは阿弥陀様になります。拝まな救わん、称えな救わん仏ではありません。 そうであったと聞かせてもらい、全てをお任せし、 そのままで救われる他力本願の教えになります。 この教えに出逢えたご縁にご恩報謝していくばかりでございます。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし