過去のご法話 | |
二月常例法座 | |
講師 米田 順昭 先生 | |
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如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり (正像末和讃) 私たちは阿弥陀様のご法縁に遇う人生で良かったと思います。 今ある膨大な情報の中で巡り合うのは大変難しいことであります。 現在の一日の情報量は、平安時代の一生、江戸時代の一年と言われています。 情報が多いので、一つのことをゆっくり味わうことが難しくなっています。 年を重ねて分かることも多くあるのではないでしょうか。その中に姿はないけれど、 心で味わうお念仏があると思います。 「南無阿弥陀仏」の六字の漢字には意味はありません。 インドの言葉の発音を漢字に当てはめているだけになります。 言葉の意味を申しますと、「ナム」はナマステと同義語で「敬う」、 「ア」は打消し、「ミダ」は「量る」となるので、「アミダ」で「量り知れない」となります。 さらに「アミダ」は厳密にいうと、「アミダーバー・アミダーユス」であり、 「バー」は「光」、「ユス」は「命」を意味します。 ですので「無量光・無量寿」という意味となり、いつでも、 どこでも、誰にでも届いて下さる仏が阿弥陀様となります。 人は「幸せになりたい」と思うものであります。 しかし、人から「あなたは幸せな人ですね」と言われたら、どう思うでしょうか。 中々素直に受け取れないではないでしょうか。 それは、どなたも何かしらの苦しみや悲しみを抱えており、 「決して幸せだけではない」との思いがあるのではないでしょうか。 今までの苦労や悲しみに共感してくれると、人は私のことを理解してくれていると思い、 安心するのではないでしょうか。阿弥陀様もいつでも、どこでも、 誰にでも苦労や悲しみを見守り支えて下さいます。 それは「ナムアミダブツ」というお念仏として私に寄り添って下さっているのです。 「あなたの命は尊い命ですよ」と決して見捨てない仏様であります。 そのような阿弥陀様の救いに気付かされると、 感謝の思いでお念仏申せずにはおれないのではないでしょうか。
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聴聞の心得 |
一、このたびのこのご縁は初事と思うべし |