過去のご法話
11月 秋の法供養法要
講師 渓 宏道 先生 

講師からのコメント

 冠省、この度はお招き頂き有難うございました。 また来年も秋の法供養法要に出講させて頂きます。
 法話では阿弥陀様のお救いをマグロ漁船の例え話で させて頂きました。特に大切なのは、阿弥陀様は本願招喚の呼び声となって 私に働いて下さっているのです。私が称えているままが 如来様の御手の中にある。そこには称えている私がなく、 働いて下さっている阿弥陀様がいらっしゃるということを 例えの中申し上げたかったのです。
                   南無阿弥陀仏

  ああ、弘誓の強縁、
  多生にもあいがたく、
  真実の浄信、
  億劫にも獲がたし。
  たまたま行信を獲ば、
  遠く宿縁を慶べ
   (教行信証 総序)
 本日は遭難したマグロ漁船のお話をしたいと思います。 静岡県焼津市はマグロが有名な「港町」の一つです。 五十年程前、その港から出たマグロ漁船が漁の帰りに荷崩れにより 転覆して遭難したと言われています。船員は救命ボートに移り、その後漂流しました。 救難信号を出して四日目に飛行機が捜索に来ましたが、見つけて貰えませんでした。 その後飲料水も尽き、十三日後に船長から「助かる見込みが少ない」と言われ、 船員たちは遺言状を書いて海に流しました。そしてこの様な時、偶然タンカーが近くを通りました。 ボートを見つけたタンカーの船長はどうするでしょうか。もちろん、ボートに近づき助けます。 この時、船長は助けるための条件を出したでしょうか。そんなことをしていては、とても助かりません。 ボートまで降りて船員たちを抱きかかえてタンカーに移します。
 では阿弥陀様は如何でしょうか。この世で迷っている私達を見て、 どうして見捨てることができるでしょうか。その身そのままで条件を付けずに救うのが阿弥陀様です。 そして浄土真宗の教えは自らがお願いする宗教ではありません。阿弥陀様自身の願いであり、 その不変の願いは本願力というお働きとなります。しかし、救命ボートの船員の願いは最初、 助けてくれと願っていましたが、最後には諦めていました。なぜなら人間の心は自分中心にころころ変わり、 疑いしかありません。決して安心はできません。 救命ボートの船員が助かったと安心したのはタンカーからの汽笛の音でした。 浄土真宗では、南無阿弥陀仏というお念仏を自分の口で称えますが、 「称える縁」によって称えられ、自分の耳に届きます。 届いたお念仏を「安心の声」として聞き、その安心を本願力のお働きと感謝し、 安心を得るのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし