過去のご法話
10月 常例法座
講師 藤本 唯信 先生 

講師からのコメント

 ご門徒の皆様、ようこそのお参りでした。 お仏壇に供えてある赤い勤行聖典をお開き下さい。 最初にある正信念仏偈は、今から800年前親鸞聖人52歳の時、 今の茨城県で書かれたものです。その後、この本を完全なものにしたいと 京都に帰られ、実に20数年筆を入れ続けられ、完成したのが75歳の 時と言われています。それは後々の人々へ、本当に生き切って生ける教え、 病につまずかず、甥に生命の輝きを見失うことなく、死を前にしても生まれてきて 良かった、お陰様と言える人生を歩めるお念仏を届けたい一心で この書物をお書き下さいました。
 後々の人々へ、つまりあなたへこのお念仏の宝を伝えたかったのです。 どうぞ、人生の本当の宝を頂いて下さい。
                   南無阿弥陀仏

  しかれば大聖の真言に帰し、
  大祖の解釈に閲して、
  仏恩の深遠なるを信知して、
  正信念仏偈を作りて曰わく、
  (偈前の文:正信偈の前の文章)

 先ほど皆様がお勤めした正信偈は、教行信証(ご本典)の行巻末尾に書かれています。 このご本典は八百年前に親鸞聖人によって書かれ、それが現代に伝わっていることは大変有難い事であります。 当時、関東では修験道の山伏が病気や現世利益のために祈祷を行っていました。 しかし、病気の治癒や利益の願望が叶ったとしても、また病気になったり、新たな願望が生まれます。 このような信仰が行われていたところに親鸞聖人が念仏の教えを広めていくと、次第に修験道の祈祷が減ってきます。 そこで山伏総司の弁円が聖人暗殺のため草庵に乗り込みますが、聖人の笑顔を見ると殺意が失せ、 その場で謝り弟子になりました。 聖人は、「人は自分本位の考えしかできない。その通りの言動をした弁円は正直者である」として許され、 「私は周りの目を気にして、心には思っていても行動することができない偽善者である」と言われました。 信仰とは一生懸命神仏などを信じ、行動することです。 しかし、浄土真宗の信心は阿弥陀如来から頂くものであり、決して自力ではありません。
 阿弥陀如来の救いの働きは全ての人に届いています。 渋沢栄一の鞄持ちであった永野護は築地本願寺の輪番に「本当に浄土はありますか?」と訊ねると、 「あなたは万有引力が働いていると信じていますか?」と返答され納得したそうです。 目には見えないけれど確かに働いている力があることを理解されたのではないでしょうか。 このように気付かされる世界が念仏ではないでしょうか。
  〈永野護 辞世の句〉
   南無阿弥陀仏
   音もせで散る
   柿紅葉
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし