過去のご法話
9月 常例法座
講師 藤井 義英 先生 

講師からのコメント

 今回はご讃題に立教開宗の書であります「顕浄土真実教行証聞類(教行信証)」の 「総序」の最後のところの御文を頂きました。
 親鸞聖人はお念仏のみ教えに出遭えたことを「聞きがたくしてすでに聞くことをえたり」 と喜ばれています。それは「真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳深きこと」を 知ったからだともうされています。
 聖人は「御消息」の中で「信と行はふたつときけども、行をひとこえするとききて 疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしと 思召すべし。これみな、弥陀の御誓いと申すことをこころうべし。行と信とは 御誓いを申すなり」と言われています。念仏の行も信も第十八願に往生の正業・正因と して誓われたものなのです。
 私たち浄土真宗の信心は「もう仏様の願いは疑うことができなくなりました。 南無阿弥陀仏」と頂くことなのです。この教えに出遭えたからこそ「聞かせて頂いたところを 喜び、得させて頂いたところをたたえるのです」と結ばれたのでしょう。 いよいよ、お聴聞を大切にしたいと思います。(一部省略)
                   南無阿弥陀仏

  ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、
  西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、
  遇い難くして今遇うことを得たり、
  聞き難くして已に聞くことを得たり。
  真宗の教・行・証を敬信して、
  特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。
  ここを以て聞く所を慶び、
  獲る所を嘆ずるなり。
   (教行信証総序)
 
 今年は立教開宗八百年になります。 立教開宗とは、親鸞聖人が教行信証の草案を書き上げた年をいいます。 仏教は「教」「行」「証」からなります。「教」とは教え、 「行」とは実践や修行、「証」とは結果であり悟りを意味します。 聖人の主著である教行信証の「教」「行」「証」はこれらを指し、 浄土真宗ではさらに「信」が加わり、顕浄土真実教行証文類のことを教行証と読んでいます。 浄土真宗での「教」は本願、「行」は六字名号、「証」は往生となっております。 「信」はというと「行」の中に含まれています。 なぜかというと浄土真宗は阿弥陀様の他力の教えであり、 「信」は阿弥陀様のものであって、私のものではありません。 このように浄土真宗は阿弥陀様によって教行証を準備下さった教えになります。 そのため、浄土真宗の救いは死の間際であっても間に合います。 自力の教えでは、死の間際で厳しい修行など出来るはずもなく、成仏することは出来ません。
 自力の教えでは決して悟れない私たちに救われる教えを示して下さった親鸞聖人。 その教えが記された教行信証の草案が出来上がって八百五十年、 浄土真宗の教えが今に伝わっていることに感謝し、 お念仏申す日暮らしをさせて頂きたいものであります。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし