過去のご法話 | |
8月 初盆法要並びに永代経法要 | |
講師 山下 瑞円 先生 | |
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講師からのコメント
孤独と不安の中で |
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真実信心の行は、 摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。 このゆゑに臨終まつことなし、 来迎たのむことなし。 信心のさだまるとき 往生またさだまるなり。 来迎の儀則を待たず。(ご消息) 本日お参りの皆様、悩み事はありませんか? お釈迦様は、悩みのある私たち一人ひとりに合った説法をして下さっています。 結果、一万二千巻とも言われる経典が存在しています。 様々な経典の中から先人方が各々「この経典を拠り所にします」とお勧め下さり、 多くの宗派があるわけです。浄土真宗は浄土三部経を聖典としています。 その中一つ仏説阿弥陀経についてお話ししたいと思います。 よく「早くお迎えが来ないかな」ということを耳にします。 これを仏教では「来迎」といいます。阿弥陀経にも「来迎」について書かれています。 臨終時に名号を一日又は二日…又は七日唱えれば阿弥陀様が来迎して下さると。 しかし、「一心不乱」という条件があります。これを「臨終来迎の救い」といい、 何もせず臨終を迎えると来迎しないということになります。 この救いを「自力の念仏」といいます。 努力をすればご褒美があるという私たちには分かりやすい構図となっています。 一方、条件なしで救われる念仏のことを「他力の念仏」といいます。 他力とは私たちを仏にするための功徳を、阿弥陀様が全て仕上げて下さっているということです。 なぜ条件を付けないかというと、条件を付けると全ての者を救えず、 誓い(本願)を果たせないからです。この念仏を教義としているのが浄土真宗です。 阿弥陀様の本願が説かれているのは仏説無量寿経ですが、 どのような仏か分かりやすく書かれているのは阿弥陀経になります。 自ら煩悩(欲)を断ち切れない私たちは、阿弥陀様の他力のお働きに感謝し、 ご恩報謝の日暮らしをさせて頂きたいものであります。
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聴聞の心得 |
一、このたびのこのご縁は初事と思うべし |