過去のご法話
8月 初盆法要並びに永代経法要
講師 山下 瑞円 先生 

講師からのコメント

 孤独と不安の中で

 目的地の京都に向かう高速道路。車の後部座席に積み込まれた家財道具と 助手席に座る不安な私。運転する父親は、心なしか口数が少なかったように記憶しています。 15歳の春、親元を離れ、平安高校(現龍谷大平安高校)に入学しました。希望と不安が 交錯していたこの時の心境を鮮明に覚えています。
 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、1181(養和元)年の春、わずか9歳の時、 親元を離れ仏門に入られました。理由は何も語られませんが、時代背景から 家庭を取り巻く環境に多田なら無理由があったと言われます。 20年に及ぶ比叡山でのご修行、その後法然上人とのご縁を通して、 お念仏の道に出遭われました。今まで積み重ねた努力を切り捨て、 以後法然上人がお勧めされたお念仏のお心を、幾多の苦難に遭遇されながらも、 今ここ、私たちに届けて下さいました。
 平安に入学して最初に驚いたことは入学式。講堂の正面には「南無阿弥陀仏」の六字。 その後3年間に渡り、宗教行事、仏参、宗教の授業。常に「南無阿弥陀仏」の六字と 共にあった高校生活。
 一年生の時は、孤独と不安を感じる日々。二年生は、学業と部活との両立に精一杯な日々。 三年生では進路について悩む日々。卒業後、1年間の浪人生活。完全に自分を失った日々。 そんな高校生活において、大変おこがましくも、時折親鸞聖人の生涯を、自分の境遇と 重ね合わせることがありました。特にわずか九歳の時、伯父範綱に連れられて慈鎮和尚のもとで 出家された時の様子、その背景に心を打たれました。戦乱の世相、度重なる天災地変、 当時の人々が精神的にも物質的にも常に不安におののいていた時代に、孤独と不安の中、 仏門に入り、精進されました。
 今とは時代背景も違います。命の危険が身近にあった親鸞聖人と、高校生活に希望と夢を 膨らませていた私とでは比較にもなりません。ただ、親元を離れ15歳の春に感じた 孤独と不安を癒してくれたのは、宗教の授業で学んだ親鸞聖人のご生涯でした。
 京都への道中、心なしか口数の少なかった父親。同様に15歳の春、孤独と不安を胸に 平安の門を叩いたのでしょう。息子がこれから幾多の困難に遭遇しようとも、 親鸞聖人がお勧め下さった南無阿弥陀仏の六字のお心が間違いないと知っていたからこそ、 多くを語らず、背中を押してくれたように思います。
 お盆をご縁に先祖の遺徳を偲ばせて頂きながら、今を生きる私にかけられた 仏様の願いを聞いていく、大切なご縁と致しましょう。
                   南無阿弥陀仏

 真実信心の行は、
 摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。
 このゆゑに臨終まつことなし、
 来迎たのむことなし。
 信心のさだまるとき
 往生またさだまるなり。
 来迎の儀則を待たず。(ご消息)

 本日お参りの皆様、悩み事はありませんか?
お釈迦様は、悩みのある私たち一人ひとりに合った説法をして下さっています。 結果、一万二千巻とも言われる経典が存在しています。 様々な経典の中から先人方が各々「この経典を拠り所にします」とお勧め下さり、 多くの宗派があるわけです。浄土真宗は浄土三部経を聖典としています。 その中一つ仏説阿弥陀経についてお話ししたいと思います。
 よく「早くお迎えが来ないかな」ということを耳にします。 これを仏教では「来迎」といいます。阿弥陀経にも「来迎」について書かれています。 臨終時に名号を一日又は二日…又は七日唱えれば阿弥陀様が来迎して下さると。 しかし、「一心不乱」という条件があります。これを「臨終来迎の救い」といい、 何もせず臨終を迎えると来迎しないということになります。 この救いを「自力の念仏」といいます。 努力をすればご褒美があるという私たちには分かりやすい構図となっています。
 一方、条件なしで救われる念仏のことを「他力の念仏」といいます。 他力とは私たちを仏にするための功徳を、阿弥陀様が全て仕上げて下さっているということです。 なぜ条件を付けないかというと、条件を付けると全ての者を救えず、 誓い(本願)を果たせないからです。この念仏を教義としているのが浄土真宗です。
 阿弥陀様の本願が説かれているのは仏説無量寿経ですが、 どのような仏か分かりやすく書かれているのは阿弥陀経になります。 自ら煩悩(欲)を断ち切れない私たちは、阿弥陀様の他力のお働きに感謝し、 ご恩報謝の日暮らしをさせて頂きたいものであります。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし