過去のご法話
7月 常例法座
講師 秋里 大勝 先生 

講師からのコメント

 去る7月3日(水)には蒸し暑い中、ご当山常例法座にようこそ御仏参り下さいました。
 私事でありますが、昨年の暮れに私の父親がお浄土へ参らせて頂きました。 46歳2ヶ月14日、父子の情を交わしてきた中での別れには涙を流しました。 と同時に「父親の死」を尊く受け止めました。思い返してみますと、 この私がお念仏を称えお経様を拝読し袈裟を着て住職を務めさせて頂いているのも、 住職であった父親の「育て」「勧め」「導き」あっての事でありました。 そして自らの身体をもってお浄土へ帰る姿まで私に見せてくれました。 そのような事を思いますと、如来様の還相摂化のおはたらきは「私の父親」 という姿でもって私に届いて下さってあったのかなとお味わい致すところであります。 「私の父親」がお浄土へ参らせて頂き、改めて還相の菩薩の姿をとって苦悩の有情 の世界に流通して還相摂化の大仕事をさせて頂いていると味わいますと、 猶の事「父親の死」を尊く受け止められます。
 ご当山におかれましても前住様がお浄土へお帰りになられました。 還相の菩薩様の姿をとって「あなたもお念仏を称えてそのままお浄土へ帰ってきなさい」 と、苦悩を抱える私達の折に触れ、縁に触れお浄土参りをお勧め下さってあります。 広大な如来様のご恩を頂いて益々お聴聞を重ね、お念仏を称えつつお浄土への尊い人生 を共々に歩ませて頂きたく存じます。
 この度は御念仏参り下さいまして誠に有難うございました。重ねて御礼申し上げます。
                   南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏の回向の
 恩徳広大不思議にて
 往相回向の利益には
 還相回向に回入せり
 (正像末和讃)

 お釈迦様が発見された仏法についてお話をさせて頂きます。 仏法という言葉には「法」という漢字が使われていますが、 「法」には二つの意味があります。一つは「法律」です。 これは人が自らの都合により作り出したもので、時や場所により変化します。 もう一つは「法則」です。これは世の中の真理であり、時や場所によらず不変のものです。 仏法もこの法則と同じもので、お釈迦様が二千五百年前に発見した真理になります。 仏法には四法印という法があります。 それは、世の中全ての事柄は絶えず変化し続ける(@諸行無常)ため、 この世の中で思いがけないことが起こる。 全てのものは因と縁(原因)によって起こる(縁起の法)ため、 この思いがけない事柄に実体はない(A諸法無我)。 そのため、思い通りにならなず、全てのものは苦しみ(B一切皆苦)となる。 そして、私には悟りを開く可能性がある(C涅槃寂静)という4つの真理のことを指します。
 このような真理の中に生きている私たちは、老病死になることを 自ら「つまらないものになった」と考える世間の命の見方になってはいないでしょうか? 阿弥陀如来様は、私たち全ての命を黄金の命とみなし(第三願)、 姿形が違っていても全てを平等に扱う(第四願)と誓われています。 また御六字の名号一つで私たちを条件なしに救いとるという願い(第十八願)も起こされました。 「迷いの海で、もがき苦しみ溺れている私を抱きかかえて船に乗せ、 極楽浄土まで渡して下さる仏である」と親鸞聖人は仰られています。 この阿弥陀如来様の救いの船にいつ乗りますか。「そのうち」では乗り遅れてしまします。 今、仏法を聴聞してお陰さまと安心した日暮らしをさせて頂きたいものであります。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし