過去のご法話 | |
6月 常例法座 | |
講師 部谷 一水 先生 | |
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講師からのコメント
この度のご法縁またお育て誠にありがとうございました。 |
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6月常例にようこそのお参りでございます。
今日は命についてのお話しを「強情灸」という落語を通してお話しさせて頂きます。 強情灸とは見栄っ張りの江戸っ子が熱いお灸を「熱くない」と言い張るお話です。 内容は、銭湯の朝湯がどんな熱くても「熱くない」と見栄を張って入り続ける江戸っ子が、 ある時友人から「熱かった灸の話」を聞きます。そしていつものように見栄を張ってしまいます。 その江戸っ子は両手いっぱいのもぐさを肘の上にのせ、灸を始めます。 最初は調子のいいことを話していたが、次第に熱くなると口調や表情が怪しくなっていきます。 最後には熱さに我慢できず、もぐさを払いのけ、 「あー、冷たかった。釜ゆでになった石川五右衛門はさぞ熱かったろう」 と口だけは最後まで強情だったというお話です(法話の前半は解説と落語の実演あり。↓の再生より聴取下さい。)。 落語家の立川談志さんは落語のことを「人間の業を認めて笑う事」と仰っていました。 業とはどうしても逃れられない定めのことです。 仏教では生まれたからにはいつか死にゆくことを業といいます。 人はいつかは死んでいくと頭では分かっています。しかしながら、これは建前で本心では怖く、 死にたくないと思ってしまいます。親鸞聖人のお手紙に、「浄土にて必ず待ち参らせ候べし」とあります。 これは、亡くなってもまた逢える世界があるということを言われています。 凡夫の私たちは、建前では極楽浄土に救われると分かっているかもしれませんが、 本心では死の苦しみはなくなりません。何度も繰り返し聴聞し、「あー、そうだったなあ」と 体に染み付いていくことが浄土真宗の門徒の歩みではないでしょうか。
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聴聞の心得 |
一、このたびのこのご縁は初事と思うべし |