過去のご法話
3月 常例法座
講師 佐々木 大乗 先生 

講師からのコメント

 本年1月1日に発生した能登半島地震、そして あくる2日の羽田空港での航空機事故と心の痛む災害や 事故が起こりました。私たちは日々の平穏な暮らしが 当たり前になって、このような事が何時起こるか分からない ということを忘れて暮らしておりますが、悲しいかな、 このような悲惨な出来事が起きた時、改めて日々の平穏が 当たり前なのではなく、むしろいつ何時、何が起きても おかしくない世の中にあったという事に気付かされます。
 私たちの命も、当たり前に続いていくものではなく 必ず終わっていくもの、そしてその終わりがいつ来るか 分からないこの身の上であればこそ、いつ何が起ころうと いつ終わりが来ようとも、間違いのない行き先を元気な 今のうちに聞かせて頂きたいことでございます。
 この度はようこそお参り下さいました。                    南無阿弥陀仏

 今日は、お浄土についてお話ししたいと思います。 私たちはどのように救われるとお思いでしょうか? 私たちは、どのようなことをしても仏になるかけらもない凡夫でありますが、 阿弥陀様が必ずあなたを仏にするという信心の火となり、 南無阿弥陀仏という声の仏となって、私たちの前に出てきて下さっている。 このお六字は仏になるための全ての功徳(くどく)が詰まっており、 この功徳により仏にならせて頂けるというお救いが浄土真宗の救いになります。
 この浄土とはどの方角をさすのでしょうか?阿弥陀経には西方と書かれています。 この西を科学の知識で考えると訳が分からなくなります。 例えば、日本と地球の反対側のブラジルでは西が逆向きになってしまします。 しかし、西を漢字の意味で考えると「帰りゆく場所」という意味があり、 西方浄土を「いのちの帰りゆく場所」という意味で使われています。 また、感情で生きている私たちは道しるべがないことに不安しかありません。 そこで凡夫の私たちが理解し安心できるように、 日の沈む西方の彼方に浄土があるとお示しになっているのではないでしょうか。
 親鸞聖人は、曇鸞(どんらん)大師の浄土について述べられた内容を用いて、 聖人のお考えを示しておられます。
  世俗の君子幸臨し、
  勅して浄土のゆゑをとふ。
  「十方仏国浄土なり。
  何に依りてか西にある。」
  鸞氏こたへてのたまはく、
  「わが身は智慧あさくして
  いまだ地位にいらざれば
  念力ひとしくおよばれず。」
                     高僧和讃
この和讃は中国の国王が、
「十方全て仏国浄土なのに、なぜ浄土は西にあるというのか」
と曇鸞大師に訊ねられたところ、曇鸞大師が
「我が身は智慧が浅いため、未だ地位の境地に達しておりません。 そのため、浄土が西方にあると信じるほかありません。」
とお答えになられたという内容になります。
 これは、同じ境遇の仏の境地に至れば十方全て仏国浄土ということが理解できるが、 私たちはそうではないので阿弥陀経をただ信じるのみであると言われていることになります。 そして聖人は、凡夫の私たちが安心できるための 道しるべとして西方浄土という方角があると仰られているのです。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし