過去のご法話
1月 宗祖親鸞聖人報恩講法要
講師 釋 信知 
 本日は、親鸞聖人の妻、恵信尼様について。 一九二一年(大正十年)、本願寺の蔵から恵信尼様の 末娘(覚信尼様)宛お手紙十通が発見され、その中に、 親鸞聖人の種々のエピソードやお念仏の確かさ、 日々の生活、ご苦労の様子が綴られていました。 恵信尼様はどの様な方か? 「恵信尼伝絵」五図からみていきたいと思います。 恵信尼様の出生については諸説あります。

【一図】京都の恵信
京都の三善家は学者の家柄で、法然上人のお念仏を 大事にされていた。その三善為教の娘として高い教養を 身につけておられた恵信尼さま。 九条兼実の屋敷で、女房として仕え、 そこには法然上人の弟子達が出入する様子の図。

【二図】越後の親鸞と恵信
京都で九歳年上の親鸞さまと結婚され、専修 念仏停止により、越後へ流罪となり、越後で信蓮房さま誕生。 戸外では娘が遊んで、別室で親鸞さま、 法然上人の教えを独自の考えで深めておられる様子。

【三図】一家で関東へ
親鸞さま四十二才、恵信さま三十三才で一家は関東へ。 途上、恵信さまは法然上人が勢至菩薩、 親鸞さまが観音菩薩の化身であるという 夢を見て以後、生涯仕えてきたことを手紙に。 この時の夢の図。 一二二四年、四十三才で末娘の覚信さま誕生。

【四図】関東での暮らし
画面は布教活動の様子。二十年にわたる生活の中で、 子を産み育てる生活は、苦労の多い時期。 その中で、お二人のご家庭にふれ、その根底に お念仏があると気づき、 信心の念仏が受け入れられていった様子の図。

【五図】板倉の恵信
京都での親鸞さまのお世話を覚信尼に託して、 越後の板倉へ生活の場を移し、亡くなった娘の お子達を育てる中で、凶作や飢餓で 大変な生活苦の様子が描かれている。

【六図】手紙を書く恵信
一二六二年親鸞さまの往生を知らせる手紙が届き、 その返事に親鸞さまの往生は疑いないと伝える。 また「いのち終わりましたら、間違いなく極楽へ 生まれさせて頂く身、あなたも、しっかりと お念仏を頂いて下さい。そして必ず極楽で お会いいたしましょう。」と綴られて。 八十七歳のお手紙が最後のお手紙となりました。

 親鸞さまとともに、お念仏をいただいて、 晩年必死に暮らしを支えられたお姿は、 当時八十才を過ぎた恵信尼様のバイタリティーを 感じさせて頂きました。その姿勢は末娘の 覚信尼さまに、しっかりと受け継がれ、 本願寺の基礎ができ、在家仏教として 代々お念仏が受け継がれています。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし