過去のご法話
9月 常例法座
講師 岡本 法治 先生

講師からのコメント

 誰でも間違えます。
その時、その場所が新しいいのちの出発点です。
                         称名

 今日もお慈悲の一日であります。 太陽が一日の働きを終えて、帰ってゆくように、 人生には、必ず終わりがあります。
 「南無阿弥陀仏」はアミダ様のお名前で、お六字ともいいます。 「南無」は「ナマステ」の言葉で「貴方を敬います」という意味で、 漢字に意味はありません。
 私達の人生の拠り所は何か? この私の頭脳も、健康も心も「いのち」の拠り所にはならなかった。 他の仏さまと、アミダ様だけ違うところは、 アミダ様を「信」じる心までも既に、南無阿弥陀仏と用意下さっている。 私達の「信」というのは、こちらから作ろうとすると揺らぐんです。 夫婦は契約だから揺らぐんです。 私達は完全な「信」を作りようがない。 阿弥陀さまだけが、自分だけの無量寿・無量光ではなく、 お浄土に生れるものを弥陀同体の悟りを開かせると。 私達に如来となる徳を全て与えて下さっている働きを 南無阿弥陀仏というのです。

 今の話題は今年一月十六日、ご門主様が発布された「新しい領解文」です。 有志の和上さま方からその内容について指摘がなされています。
@「私の煩悩と仏のさとりは、本来ひとつゆえ」の文言、わたしが仏であると読めます。
A「尊いお導き」を親鸞聖人と歴代宗主に限定しており、一人一人がよろこんできた様々なご縁や師が除かれている。
B「み教えを拠り所に生きる者」として一般的な道徳が救いの条件のように見える部分があり、善人のみが救われると誤解されます。
この様な問題点のあるものを発布させてしまった総局がおかしいのではないか。 間違ったことは間違ったと言える様になることが、今後の本願寺に問われています。 でも各地で新しい素晴らしい芽が出てきています。
 本能寺さんにも素晴らしい妙薬があります。 アミダ様が、皆さんに、人生の金メダルをプレゼントして下さるのであります。 南無阿弥陀仏の薬を広めて頂けたらと思います。
南無阿弥陀仏
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし