過去のご法話
5月 宗祖生誕八百五十年慶讃並びに春の法供養法要
講師 中島 昭念 先生

講師からのコメント

 南無阿弥陀仏
邂逅
 親鸞聖人誕生850年
 御勝縁に遇えたことこと最上の慶び
 ”本願を信じ 念仏を申せば仏になる”
                         称名

 『何が起こるか分からないのが世の中。
 何をしでかすか分からないのが、この私』
 
 親鸞聖人の基本受け止め方は
「仏になること。仏さまの教えに遇うこと」
このご縁整いまして、お寺にお参りさせて頂いたのは、 仏になる様に、お育て頂かねばならない。 法然上人さまより「仏になる可能性のない私が、仏になれる道がある。 それは【本願を信じ、念仏申せば、仏になる】という教えです。」
 観無量寿経の中に「仏身を見るものは、仏心を見る。 仏心とは大慈悲これなり」仏身というは仏様のお姿で住立空中尊の形が、 浄土真宗の阿弥陀さまのお姿となっています。 慈悲には三通りあり。@衆生縁の慈悲。A法縁の慈悲、B無縁の慈悲。
@は困っておられる方を見つけて手を差しのべる小悲。
Aは仏様のことを認識した上で味わっていくので中悲。
Bは対象が無いということは形も無く、
色も無ないので全てのものの上に働いている大悲心。 だから本願と言います。これが如来さまのお慈悲である。
『私が、今日、生かさせて頂いているということは、どういう事かというと、 それは、仏様のいのちを頂いてあると喜ばせて頂く。』
この世は、全ては「縁」で出来ている。 私も言い尽くせない程の縁の集まりでここに人間として生まれ、 何十年か生かさせて頂いている。それで終わりましたら、 法の世界に帰らせて頂く世界がある事を現して下さったのがお念仏の教えです。 仏様のお心とは、私を生かさせて下さっておる大きなお慈悲を喜ばさせて頂く。 その働きが、今、私の上に働いているので、南無阿弥陀仏というお念仏となり、 そう言う深い世界を我が身の上に味あわせて頂くのが、親鸞聖人のお念仏の教えなのです。
ようこそお参り下さいました。
合掌
『今月のことば』
『歎異抄 第一条』

 弥陀のにたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと 信じて念仏もうさんと思い立つ心の起こる時、 即ちの利益にあずけしめたもうなり。
 弥陀の本願には老少善悪の人を選ばれず。 ただ信心を要としるべし。その故は、 罪悪深重煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします。
 しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、 念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、 弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

「歎異抄より」
聴聞の心得

一、このたびのこのご縁は初事と思うべし

一、このたびのこのご縁は我一人の為と思うべし

一、このたびのこのご縁は今生最後と思うべし