ホロコースト・日本こども会議'99
〜平和、いま私にできること〜
開催!




 
 

ホロコースト・日本こども会議'99
〜平和、いま私にできること〜

 1999年7月に開館4年目を迎える記念館も、まもなく入館者が3万人を越えようとしています。また300校以上にのぼる学校の児童や生徒たちが訪れて下さり、差別や偏見、いじめなどについて、ホロコーストを通して学んで下さっています。
 1998年、4月より9月まで募集しましたアンネ平和賞「つたえたい、わたしの平和メッセージ」には、記念館の小さな呼びかけに海外からの応募も含めて1635通の作文が寄せられました。中学生や高校生を中心に、推薦作業が行われ、150通の代表作品が2月下旬に発表されます。
 推薦にあたった記念館の私たちにとっても、作文に綴られた小学生、中学生の平和への強い願い、未来に対する希望に改めて大きな感動を覚えるとともに、「平和をつくりだそう、小さな手で」をモットーにかかげる記念館の使命を再確認しています。
 そこで、ホロコースト記念館は本年7月29日より8月8日まで、福山、岡山、京都、東京を会場に、ホロコースト・日本こども会議’99「平和、いま私にできること」を以下のような要項で開催いたします。
 こども会議は、その名の通り、子どもたちの手によって運営され、子どもたちのディスカッションを中心に行われます。ゲストとして、米国ニューヨーク市立大学教授ヤッファ・エリアフ教授をお招きします。同教授はホロコースト学の権威者ですが、ご自身4才の時にポーランドでホロコーストを体験され、奇跡的に生還されました。その後、ホロコーストに関する資料収集やホロコースト教育の体型化に尽力され、ホロコーストを通して「行動する」ことを実践されている最適な方であると考えます。エリアフ教授とこどもたちとの対話は、大きな感動と指針、チャレンジを与えてくれると確信しています。

目  的:ホロコースト記念館開館四周年にあたり、同記念事業の一環として、ホロコースト生還者、米国ニューヨーク市立大学ヤッファ・エリアフ教授を招聘し、同教授の講演を通してホロコーストの事実を広く学び、また未来を担う子どもたちと共に、平和について考える。

内容
1.ホロコースト・日本こども会議’99「平和、いま私にできること」
  日時:1999年7月29日(木)午前10時〜午後4時
  場所:広島県民文化センターふくやま
    (福山市東桜町1-21、TEL0849-21-9200)
  内容:基調講演I「平和をつくる」(大塚信館長)
     基調講演II「エイシスキ村のできごと」(ヤッファ・エリアフ教授)
     公開フォーラム「わたしに何ができるか」
              (子どもたちによる公開討論、教授との対話)
     メッセージ「日本の子どもたちへ」(ヤッファ・エリアフ教授)

2.ホロコースト・日本こども会議’99岡山講演会
  日時:1999年7月31日(木)午後1時30分〜3時30分
  場所:ガボーア・ホール(岡山市中川町252-1、TEL086-943-5119)
  内容:公開フォーラム(地元高校生とエリアフ教授との対話)

3.ホロコースト・日本こども会議’99京都講演会
  日時:1999年8月5日(木)午後1時30分
  場所:立命館大学国際平和ミュージアム
    (京都市北区等持院北町56-1、TEL075-465-8151)
  内容:講演「エイシスキ村のできごと」

4.ホロコースト・日本こども会議’99東京講演会
  日時:1999年8月8日(日)午後1時30分
  場所:東京ウィメンズプラザ
    (東京都渋谷区神宮前5-53-67、TEL03-5467-1711)
  内容:講演「エイシスキ村のできごと」

参加料及び入場料 無料




 
 
 
 
 
ホロコースト・日本こども会議‘99

メインゲスト

ヤッファ エリアフ教授 (Prof.Yaffa Eliach)

プロフィール

                                   

  現在、ホロコースト研究者の中で最も注目されているひとりであり、ニューヨーク市立大学、ブルックリン校教授(ユダヤ学における歴史、文学)として活躍中である。

 1941年9月、突然ナチスの銃殺隊(アインザッツグルペン)がリトアニアのエイシスキ村を襲い、ユダヤ住民3500人が虐殺され、わずか29人が生き延びた。

 教授は4歳の時、奇跡的にその虐殺から生き延び、少女時代をゲットーや隠れ場を転々とした。これらの体験を基にその後、ホロコーストの歴史研究を重ね、ニューヨーク市立大学で博士号を取得した(ロシヤにおけるユダヤ人の思想)。

 1974年、米国で最初のホロコーストセンターをニューヨークに設立した。この業績は、その後、全米各地にホロコースト関連の教育施設が開設される先駆けとなった。

エリアフ教授は、1983年から14年の歳月をかけ、生まれ育ったリトアニア、エイシスキ村のナチス侵攻当時の写真、記録、資料など6000点を集め、ヤファ・エリアフ シュテートル コレクションとして保存している。ほとんどのユダヤ人集落が絶滅した中で、一つの村でこれほど多数の資料が残され、収集されたのは、他に例がなく、教授の行動力と熱意がその偉業をなしとげた。

 1991年、カーター大統領が提唱した、ワシントンの国立ホロコースト記念博物館の諮問委員として、教授はその設立に関わり、自ら収集したコレクションから、エイシスキ村の1200点の写真を15メートル四方の高さに「 Tower of Life・生命の塔 」として展示し、毎年200万人の訪問者に、人種差別によって、罪のない多くの生命が奪われたホロコーストの事実を無言のうちに語り、伝えている。

エリアフ教授は、ホロコーストやユダヤ思想に関する多くの研究論文を米国、カナダ、イスラエル、カナダ、ヨーロッパ諸国で発表し、「Encyclopedia Judaica」など3種類の百科事典の編集に携わり、詩作や劇作にも作品を発表している。中でも著作のひとつである「Hasidic tales of the Holocaust」はクリストファー文学賞などを受賞した。また国際著作者人名辞典にも名を連ねている。

 テレビやラジオなどにも、話題の人、としてしばしば出演する。米国CBSテレビは、その生き様を通し、社会に多大な影響を及ぼした女性に贈る「 Woman of the Year 」賞を、1995年教授に贈呈した。

 現在、エリアフ教授はエイシスキ村がホロコーストによって消滅する以前の、900年にわたる彼女のユダヤ人村の歴史を集大成した著作、「There Once Was a World 」を、昨年9月に発刊した。この大作はエリアフ教授がその生涯をかけて収集した資料や、写真、生存者のインタビューなどから成り、同じようにかつてヨーロッパ、ロシヤ地域に点在していた、4950のユダヤ人村(シュテートル)の、さらなる歴史的解明に光を与えるものと注目されている。

 さて、1995年7月、広島県福山市に開館した、日本で最初のホロコースト記念館(Holocaust Education Center)建設に、教授は協力を惜しまず、日本のこどもたちへの、平和メッセージ共に、コレクションの中からエイシスキ村の子どもたちの写真約70点を提供してくださった。これらの資料は訪れる子どもたちに、犠牲となった150万人のユダヤの子どもたちに深い印象を与えている。このことが1999年7月福山で予定している、「日本こども会議99−平和、いま私にできること−」のメインゲストとして来日するきっかけとなった。

 日本でのエリアフ教授の講演は子どもたちに、大きな感動を起こすものと確信する。

 共に来日予定のご主人、デイビイド エリアフ氏(Dr. David Eliach )は、エルサレム生まれ。ラビの資格を有し、長年ブルックリンの高校長として教育に携わり、その温厚な人柄は、多くの人材を育てたとの名声をうけている。1997年エルサレム賞を受賞した。エリヤフ教授の良き理解者であり、恩師でもある。
 




 
 


新しいパネル貸し出し開始!

「ホロコーストで消えた村」
〜そして4人の子どもが生き残った〜
1941年9月リトアニア

  ホロコースト記念館は日本で最初のホロコースト(ユダヤ人600万人の大虐殺)を学ぶ教育センターとして、1995年に一般公開し、今日まで23,700人(1998年現在)の訪問者を迎え、250校の小、中、高校から社会見学に訪れて下さいました。
  また、予想以上に海外からの関心も高く、西暦2000年に向けて、なお一層の充実の必要性を感じております。 
 9月15日まで国内外の小、中学生1,250万人に、平和をつくり出すアイディアを募った「アンネ平和賞」の呼びかけも徐々に広がり、入館者も増える傾向にあります。

  「アンネ平和賞」をさらに多くの人々に知っていただくために、また来年8月に予定しています「日本子ども会議」のキャンペーンを兼ね、この度23枚のパネルを5セット製作し、全日本の学校や公民館、図書館などに貸し出すことにいたしました。





<解説>
エイシスキ村の人々
エイシスキ村の人々
  ホロコーストで消えた村−エイシスキ村はリトアニアにある小さな村でした。1941年、この村もナチスの侵略によって村人のほとんどが虐殺されたのです。子どももまた例外ではありませんでした。900人の子どものうち、生き残ったのはたった4人だけでした。

  その4人のうちの一人、現在ニューヨーク市立大学の教授である、ヤッファ・エリヤフさんは、当時を語る生きる証人として世界的に知られています。

  
少女時代のヤッファさんとお父さん
少女時代のヤッファさんとお父さん
  この教授の祖父母が村の写真館を営んでいたことから、かつて村のユダヤ人3,000人の写真を12年間かけて収集しました。現在ワシントンD.C.の合衆国ホロコースト記念館の生命の塔に、それらの写真1,300枚が展示されています。

  福山のホロコースト記念館にも3年前の開設時、このヤッファ・エリヤフ・シュテートル・コレクションの中から、69枚のエイシスキ村の子どもたちの写真が贈られ、多くの人々にホロコーストの事実を写真を通して訴えています。

  このエイシスキ村は、他のヨーロッパ、ロシア地域で消された4950のユダヤ人の村の一つに過ぎませんが、エリヤフ教授の努力によって、そのすべての村民の名が判明している点で、特筆すべき村です。

  来年1999年8月に予定している、「日本子ども会議」のメイン・ゲストとしてエリヤフ教授が初来日され、日本の子どもたちにエイシスキ村の出来事を、つぶさに語って下さることになっています。この23枚のパネルの貸し出しを希望される団体は、ホロコースト記念館までご連絡下さい。貸出期間は2〜3週間といたします。

<申込要領>

         FAX 0849-55-8001
         E-Mail:hecjpn@urban.ne.jp