「ホロコーストで消えた村」 〜そして4人の子どもが生き残った〜 1941年9月リトアニア ホロコースト記念館は日本で最初のホロコースト(ユダヤ人600万人の大虐殺)を学ぶ教育センターとして、3年前に一般公開し、今日まで23,700人の訪問者を迎え、250校の小、中、高校から社会見学に訪れて下さいました。
また、予想以上に海外からの関心も高く、西暦2000年に向けて、なお一層の充実の必要性を感じております。
9月15日まで国内外の小、中学生1,250万人に、平和をつくり出すアイディアを募った「アンネ平和賞」の呼びかけも徐々に広がり、入館者も増える傾向にあります。「アンネ平和賞」をさらに多くの人々に知っていただくために、また来年8月に予定しています「日本子ども会議」のキャンペーンを兼ね、この度23枚のパネルを5セット製作し、全日本の学校や公民館、図書館などに貸し出すことにいたしました。
記 <解説>
ホロコーストで消えた村−エイシスキ村はリトアニアにある小さな村でした。1941年、この村もナチスの侵略によって村人のほとんどが虐殺されたのです。子どももまた例外ではありませんでした。900人の子どものうち、生き残ったのはたった4人だけでした。
エイシスキ村の人々 その4人のうちの一人、現在ニューヨーク市立大学の教授である、ヤッファ・エリヤフさんは、当時を語る生きる証人として世界的に知られています。
この教授の祖父母が村の写真館を営んでいたことから、かつて村のユダヤ人3,000人の写真を12年間かけて収集しました。現在ワシントンD.C.の合衆国ホロコースト記念館の生命の塔に、それらの写真1,300枚が展示されています。
少女時代のヤッファさんとお父さん 福山のホロコースト記念館にも3年前の開設時、このヤッファ・エリヤフ・シュテートル・コレクションの中から、69枚のエイシスキ村の子どもたちの写真が贈られ、多くの人々にホロコーストの事実を写真を通して訴えています。
このエイシスキ村は、他のヨーロッパ、ロシア地域で消された4950のユダヤ人の村の一つに過ぎませんが、エリヤフ教授の努力によって、そのすべての村民の名が判明している点で、特筆すべき村です。
来年1999年8月に予定している、「日本子ども会議」のメイン・ゲストとしてエリヤフ教授が初来日され、日本の子どもたちにエイシスキ村の出来事を、つぶさに語って下さることになっています。 この23枚のパネルの貸し出しを希望される団体は、ホロコースト記念館までご連絡下さい。貸出期間は2〜3週間といたします。
<申込要領>
FAX 0849-55-8001
- パネル貸し出しを希望される方は、ファックスあるいはE-Mailで記念館までお申し込み下さい。
E-Mail:hecjpn@urban.ne.jp
- パネルは7月7日より貸し出しを開始します。費用は無料です。但し、送料は負担していただきます。