岩田めい達 医事放談 No69 メディカルクオーレ8月号 2000年

「保険あって介護なし」へ向け
    動き出した介護保険の現場の実態

 これまで何度も指摘してきたように介護保険の本質は医療費抑制策だ。健康保険で老人に医療を提供していると費用が嵩むため、その部分を医療費のパイのなかから引き抜いて、安上がりな介護という名の皿に盛り変えただけで、それがビジネスの対象とならないことも繰り返し述べてきた。そして、その予想通り、ここにきてコムスンやニチイ学館が100億円以上の損失を出して、大幅な事業の縮小を余儀なくされている。これについて、行政の介護バブルに踊らされた大手の民間業者が、ビジネス指向で、そこにまるで宝の山でも眠っているがごとく集中的に資本を投下したと、冷ややかな見方をする人は多い。

 しかし、私はその解釈は違うと思う。介護保険は彼らのような民間事業者が受け皿になるという前提のもと作られている。民間事業者が進出してくるから、「保険あって介護なし」という事態にならないのであり、雇用が創出されるのであり、事実、行政はそう説明してきたはずだ。行政は民間事業者の誘導役をしてきたのである。ところが、ふたを開けてみると、実態は当初予測の四割程度しか需要は発生せず、民間事業者は計画の見直し、従業員のリストラを迫られることになった。これを行政はどうみているのか。何の責任も感じず、「民間が勝手に踊っただけ」と思っているのであれば、介護保険はそう遠くない将来に崩壊することは間違いない。

 なぜなら、介護保険が実施されて、すぐさま大問題が発生した背景には、これまで老人保健を担ってきた開業医や病院、あるいはそこにあるカルテに書かれた膨大な情報を活用しようとせず、制度の中核から外してしまったという構造的な欠陥がある。主治医意見書の作成という形でしか介護保険にかかわらない彼らは、ケアマネージャーやコンピュータによる要介護認定にお手並拝見的な見方をしている。また、報酬面でも介護は医療より低く設定されているため、開業医は介護に手を出して、自分の技術を安く売ろうとはしない。それゆえ、彼らは介護保険のことを知らず、患者や家族に尋ねられても説明できない。

 それでは、患者や家族はどこから介護保険の情報を入手しているのかといえば、「市政だより」や一般紙を読む程度で、介護保険の何たるかも理解していない。現金給付でお金がもらえるのではないかと誤解していたり、ヘルパーを女中代わりに使えると誤解していたり、とにかく介護保険が刺さっていない。

 さらに、ケアマネージャーやケアサービスに対する報酬が、複雑で多忙を要する仕事に対して安すぎて、介護現場は混乱して、苦労している割に、事業としては採算の合わないものになっている。つまり、制度の実態的メカニズムが機能していないのである。そして、これらが複合的な要因となって、今回の民間事業者の事業縮小につながっているのであり、制度の構造的欠陥がこのような事態をもたらしているのである。

 やはり、新しい制度を創設するのであれば、医療から財政だけ抜いて皿を作るのではなく、医療供給体制から医師や看護婦などの専門職、スタッフ、そして蓄積されたノウハウや情報も一緒に移行させて制度を作らないと実態として機能しない。また、費用の抑制だけを考えて制度を作るのもダメで、実際、介護保険のスタートで診療単価が15〜20%も落ちた訪問看護ステーションでは、事業継続が困難になりつつあり、介護保険離れ、医療保険への回帰が真剣に検討されている。本当に「保険あって介護なし」になる前に、行政は現場の実態を知る人の声を聴いて、制度を仕切り直さなければ、介護保険は歴史的な大失政になる。


介護保険ページに戻ります