これからは自己責任の時代になるでで


落語医者の介護保険あまから問答 その六
    北畑英樹氏 メディカル・クオール NO.36 1997年

  介護を受ける権利は守られるやろか
「介護保険のお金の問題として、第二の国保になる心配のあること、貧乏人ほど厳しい制度であることなんかがわかりましたが、次は何が気にいらんのですか」
「気にいらんわけではないけど、国が介護保険を進めるのに、介護保険には権利性と選択性があるから、税金で動く措置制度よりも優れてるというてるんやが、はたして、この権利性と選択性がチヤンと働くかどうかが心配なんや」
「ご隠居さん、えらい漢字の多い難しい話になりましたけど、まず、その措置制度とかいうのはなんですか」「これは、今までの福祉制度はみんな措置制度でやってたんやけど、簡単にいえば、税金で国が困っている人にサーピスする制度のことなんや。たとえば、家で面倒みれないお年寄りがいて、家族が市町村に相談に行くと、そこの福祉課の職員が事情を聞いて、ある要件を満たしていれば、このホームへ入りなさいということで、特別養護老人ホームに入所させたりすることを、難しくいえば市町村が老人をホームへ措置したというんや」
「そりや結構な制度やないですか」
「うん。一見結構な制度なんやけど、市町村が入所する施設を決めてくるから、その施設はイヤや別の施設にしてくれとはいえんのや。極端にいえば、措置制度というのはお上のお情けで、お上が一方的にサービスを決めてしまう制度で、難しい言い方したら、パターナリズムとか温情的父権主義とかいうて、親父さんが勝手によいと思うてやってくれる制度やから、われわれがそれを権利として請求しにくいし、そのサーピスに対して注文をつけることも難しい制度やという一面もあるんや。親父さんが機嫌悪なったら、何もしてくれへん恐れもあるということにもなるからなあ。
 それに措置制度で動いていると、施設の間での競争がないからサービスの質が落ちるという心配もあるんや。そやから、介護保険という保険制度になったら、この権利性と選択性が生まれて、サーピスも向上すろんやないかと喜んでる人もいるんや」
「それはそうかも知れんけど、措置制度では、権利性とか選択性なんかは無理なんですかねえ」
「まあ、ハッキリいえば、そんなことは運用の仕方の問題と違うかとも思うんやけど、国は増税するのは難しいから、今になって税金で動く措置制度の欠点を欠点を言い出して、保険制度にしたら、掛け金を払ってるんやから椎利意識が生まれるし、サービスも利用者が選ベるようになりまっせと宜伝し出したんや。
もともと消費税を高齢化対策のほうへ回してたら、なんの問題もなかったんや。平成元年の導入から平成8年までの消費税の合計が47兆円もあるのに、この間にゴールド・プランに使った金が3兆3000億円で、たかだか7バーセントしかならんのや。いまさら福祉税に戻しますともいえんから、いろいろ理屈つけて保険制度 にこだわってるんと違うかと思うたりしてるんやが」
「ひよつとして、それは国の責任とか負担を減らそうとしてるだけと違いますか」
「たぶん、熊さんのいうとおりかもしれんなあ。もう保育園なんかは児童福祉法を改正して、自立支援、利用者主権、コスト意識をキーワードにして来年から措置制度は廃止の方向や」
「やっばりコスト意識がホンネと違いますか」
「とにかく、昔と比べてお母さんたちの生活も価値観も多様になったし、その要求の幅も広くなりすぎたことも事実やから、これからは上手に民間活力の利用を考えんと、税金だけが頼りの措置制度でキメ細かいサーピスをやっていくのは国もしんどいんやろなあ。どうしても公立の施設は小回りきかんで効率悪いしなあ。
これと同じことが老人介護の問題にも当てはまるハズやから、税金はやめて保険でやることにしたんやろ。いずれにしても、これからの流れはお上を頼りにする時代でも、お上を頼れる時代でもないで。だんだんと自己 責任、自己決定の時代になるで」
「自己責任でっか。だんだんと厳しい時代になりますなあ。わたしには、どう考えても国が責任と予算を減らしたいだけとしか思えませんけど…。まあ、それはそれとして、まずせは権利性とかいう話をしてくれますか」
老人の自立意識の減少も心配や
「介護保険も保険やから当然、掛け金を払うわけや。掛け金払うということは、保険金もらう権利があるわな」
「そら当然です」
「まずは、前にもいった『介護認定』で認定されんといかんのやが、認定されたとしたら、その金額のサーピスを受ける権利ができるわけや。そやけど、何回もいうけど、そのサーピスの受け皿が不十分な市町村もあ るんや。今までの措置制度なら、受け皿に合わせて措置すればよかったんやけど、今度はそうはいかん、受ける権利があるんやから。そしたら、よほどサービス量に余裕がないと利用できん人がでてくる。これは権利性の問題だけやなしに選択性の問題にもなるわなあ」
「早い話、今までは決まった数の定食しかやってなかった食堂が一品科理をやりだしたようなもんですなあ。どの料理の注文にも答えようと思うたら、よほど多めに仕入れしとかんと品切れになりますなあ」
「変なたとえ話やけど、まあそういうことや。どの市町村でも『新ゴールド・プラン』どおりの比率でみんながサービス・メニユーを作ってくれたらええで、そうでなかったら権利性も選択性も難しいことになるやろなあ」
「えらい混んでるサービスと、えらい暇なサービスができたら、暇なサービスのお金はもったいないことになりますなあ」
「そんなことにならんように、余ってるサービスを押し付けるようなことになる可能性も強いと思うで」
「ほんなら、あんまり措置制度と変わらんことになってしまいますがな。保険科取っといて」
「そうやなあ。それと権利性が生まれたことで心配なこともあるんや。それは、今まで家族で面例見れてた 人でも『保険金もらえるんやったらもらいましよ』と考える人が出てきたり、老人にしても『ヘタに自立してるより保険金もらうほうが得や』と考えて、老人の自立意識はかえって減少することも考えられる。
そんな道徳的な退廃、難しい言い方すれば、こんなのをモラル・ハザード現象というんやけど、それを心配してる人もいるんや」
「そら、その可能性は大きいのと違いますか」
「そんなことになったら保険は逆効果になるし、今、厚生省が試算してる要介護老人の数より介護せんといかん老人は増えるから、いくら『新ゴールド・プラン』を達成しても追いつかんようになる可能性もあるし、ますます金がかかることになってしまうがな」
「それを考えたら、一割負担も意味があるかも知れませんなあ。そやけど、そんなこと考えると、権利性も難しい面があるんですなあ。そしたら選択権のほうはどうですか」
「これには、まず認定制度で、どう認定されるかがスタートや。これが、どう認定してくれるかで、保険金もらう権利が生まれるか、生まれんかが決って、サービスの選択はその後のことやから」
「それは大問題ですわなあ。はっきいえば、『介護認定』が介護保険のすべてを握っているということになりますわなあ」
「まさしく、熊さんのいうとおりや。この大問題は次回ジックリと説明することにしましょか」



その七にご期待下さい。
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