横瀬夜雨

よこせ やう(1878-1934)

茨城県下妻に生まれる。四歳頃からポット氏病(佝僂[くる]病)という難病に冒され、尋常小学校を
卒業しただけで、家に籠もり独学で詩を書き始める。雑誌に投稿した短歌や詩が河井醉茗らに認めら
れ本格的に詩作に耽るようになった。他に『夕月』『二十八宿』などの詩集がある。(青空文庫より)




【かたち】

浮べる雲の一綫(ひとすぢ)は
碧きが中にたゆたひて
覆輪(さゝべり)着けし銀の
天の島とも見ゆるかな

潮の底より月出でゝ
影、中空に盈ち來れば
浪靜かなる大和田の
月は舟とも見ゆるかな

舟か水門(みなと)の舟ならば
せめては長き秋の夜を
際(はて)なき水に流されて
灼(もゆ)る枕を浸(ひた)さんに

毒ある鏃足に受けて
野べに嘯(うそぶ)くことをすら
停(とゞ)められたる我なれば
唯舟こそは戀しけれ

負ひたる傷の深ければ
物に觸るゝを厭へども
寢ぬに綾無(あやな)き幻の
花の象(かたち)の眼に見えて

緑、紫、紅の
花は、電、空の虹
環りて、消えて、美しの
人の顏さへ浮き來るを

千草に渡る金風の
露吹きこぼす朝ぼらけ
花の苑生(そのふ)を眺むれば
長しとも思ふ命かな

今日も落ちたる花片の
しめれる地(つち)に香を留めて
  *   *
    *   *
香取(かとり)の海は川となりて
浪逆(なさか)の浪はよも逆らじ
行かんか旅に病みぬとも
今は悲む夢も無し

【哀歌】

羅綾(られう)の裳裾(もすそ)かへしては
春を驕(おご)りし儷人(れいじん)の
腰に佩(お)びたる珠(たま)鳴りて
秋燕京(ゑんきよう)にたけてけり

霜こそ置かね天津の
橋に見馴れぬ旗立ちて
紫深き九重の
雲もかへるか峽西に

陽明園(はこやのやま)に炬(ひ)入(い)りては
玉の宮居も燒けつらん
蓮葉枯れし夕暮の
池に舟行(や)る人もなし

金房垂れし鞦韆(ふらこゝ)に
みだせし髮はをさめじな
西に流るゝ天の川
曉(あかつき)浪(なみ)の驚けば

永安門(えいあんもん)の階段(きざはし)に
落ちたる花は誰が妻か
脛も血潮に染めなして
劒ぞ胸に刺されたる


【その夜更けて】

水ほの白き湖(みづうみ)の
汀(みぎは)の櫻花散(ち)りて
嫁(とつ)ぐか君は筑波根の
八重立つ雲の奧深(おくふか)く

蘭麝(らんじや)馨(かを)れる閨(ねや)の戸(と)に
尾呂(をろ)の鏡(かゞみ)を手にすれば
影に溺(おぼ)るゝ山鳥(やまどり)の
頬(ほ)に紅(くれなゐ)の色(いろ)潮(さ)すを

花やかなりし獨寢(ひとりね)の
夢の浮橋(うきはし)中絶(なかた)ちて
丸(まろ)がれ易き黒髮に
瑠璃(るり)の簪(かんざし)かゞやかし

歸(とつ)ぐかあはれ月波根の
群立雲(むらたつくも)の遠方(をちかた)に
山影(やまかげ)落(おつ)る湖の
浪間の月を形見にて

しるしなき戀をもするか夕されば
ひとの手卷きてねなん子ゆゑに


【沼にて】

蓮(はちす)の浮波(うきは)掻分けて
棹(さお)さし廻る湖や
落日(おつるひ)空の雲染めて
夕の浪は静かなり

筑波も暮れぬ野も暮れぬ
唄も暮れぬる藻刈船
撓(しな)へる棹を操(あやつ)りて
行くべき方も暮れにけり

柳垂れたる江の上(ほとり)
橋かけ通る裸馬
打放(うちはら)らかす立髪(たてがみ)の
黒きも水に洗はれて

手綱控ふる若者の
鉢巻白し秋の風
舟と橋との上にして
恋もあれかし恥ずかしの


【旅にして】

山秀でたる吾妻路の
平野(たひら)の水をあつめ來て
南に落つる利根川の
浪は寂(しづか)に翻[#「翻」はママ](かへ)るかな

行くともわかぬ白雲の
かゝりて長き眞砂地や
蘆邊に立ちて眺むれば
浪逆の浦は雨晴れて

日光(ひかり)あまねき湖の上を
遙に渡る尾長鳥
ま白き翼(はね)は搖(うご)かさで
鳴く音は空の秋の風

鏡に映(かよ)ふ花ならば
異(け)なる影にも慰まむ
思へば旅の果にして
新たに戀ふる人は無きを

蝦捕り舟の漕ぎなづむ
八十(やそ)の水門(みなと)はへだつれど
霧に浮べる月波根の
眉なす根ろは北に在り


【星夜】

腰にからめる紅(くれなゐ)の
帶(しごき)は虹(にじ)に似たるかな
衿にほのめく白妙(しろたへ)は
谷につゝめる雪と見ん
  美(うつく)しき舞姫(まひひめ)よ

鳥は霞の天(そら)に舞ひ
蝶は花野(はなの)の地に迷(まよ)ふ
君(きみ)若草(わかくさ)を枕して
夢見(ゆめみ)る勿れ春の野に
  美しき舞姫よ

笄(かうがい)光(ひか)る黒髮は
解(ほど)かば風に亂れなむ
せめてはかくせ扇もて
月の影ある眉の跡(あと)
  美しき舞姫よ

星の夜、姉に伴(ともな)ひて
祇園(ぎをん)の町をさまよへば
櫻はちんぬ、しかれども
おさなかりけるうき人の
俤(おもかげ)に似(に)し君(きみ)を見(み)て
うらぶれわたるわれさへも
西の京の去りかねて