横光利一
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よこみつりいち(1898-1947)
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| 1921年頃から菊池寛に師事し川端康成と共に新感覚派として活躍した。処女作「御身」を書くがこの時には発表せずにいる。 1923年菊池の推挙により同人誌『文芸春秋』同人となる。5月、同誌にて「蝿」を『新小説』に「日輪」を発表する。9月に 関東大震災があったためにこの時期に出た作家は震後作家としてもてはやされた。同人仲間・小島勗の妹・君子と結婚する。 1930年、町工場の人間模様を実験的な手法で描いた「機械」を発表する。1932年、新感覚派の集大成というべき「上海」と 「寝園」を、1934年には「紋章」を刊行。翌年、「純文学にして通俗小説、このこと以外に、文藝復興は絶對に有り得ない」 と説く「純粋小説論」とそれを実行した「家族会議」を発表する。「純粋小説論」はこの頃に翻訳が出たアンド・レジッド の「贋金つくり」が影響している。1945年、疎開先で健康を害する。敗戦後帰京。翌年「旅愁」四篇を刊行する。西洋の思 想と日本の古神道との対決を志したこの長編は、盧溝橋事件の勃発までを書いたところで未完に終わってしまった。1947年 疎開時の日記という体裁をとった小説「夜の靴」発表後、12月30日、49歳で急性腹膜炎のため死去。/ウィキペディアより |
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| 定本 横光利一全集
第十五巻(1983年初版 河出書房)より 【春の眺め】 ▼ 桃の花に迷はされて妊婦は高い所へ手を伸ばす 「春は嬉しや」……… 一座にはやつつけられる番の奴が一人ゐて、 いつもにやにや笑つてゐてくれなければしつかりしない。 女はときどきゆらゆら揺れて茶碗を落し、 子供はちよこなんと坐つて馬鹿な口でも開けて欲しい。 分別臭い男には魚を食はせ、 犬には石鹸を食はしてやらう。 わしは昔からむつつりして、馬鹿なことを考へる癖がある。 「笑ひは天の美禄」、と云つた男には褒美をやらう。 老人にはいろはがるたを書いて貰ひ、 花嫁には箒を持たせてばたばたさせ、 わしは朝寝をしてやらう。 【扇子を使ふ】 【死】 【善について】 【煮沸る湯】 |