【急湍】
▼
ただ岩と岩との畳に咲く
藤と岩つゝじ
それから青光と炎を吐く急湍
おれはこの深山に彷徨して
現代の天地の跼をみてゐるだけだ
おれは眇のおとこ足の甲虫のよう曲つた嬬にあいさつして
あいつら蛇の鎖を習つてゐる
おれは
沸々と滾る青湍の面に
湧きあがつてくる壮烈な天地人の格闘図を盗見してゐる
おれはそれから熊さゝを分ける
ぶとに吸はれる
霰を頭蓋で受ける
おれはあさ日を蝎と等分する
おれは
なべての醜悪と光りなきものに半身を分つ
おれは天国と地獄の急湍にかゞむ
+------+
(註)
■湍=たん、はやせ=早瀬=川の流れの速いところ
■跼=きょく
■眇=すがめ=片目、斜視、やぶにらみ
■嬬=つま
■滾る=たぎる
【瀧】 其の壱
▼
日が
あられの密雲を犯し
高山の雪の王座をおしのけるのだ
雪はもうどこの岩のかげにも棲むことはできない
さうして春の日にとけた自らの清さの全重量を
太陽に向つて白鯉のようにはねあげながら
まつさかさまの瀧となり湍となつて
どうどうとおしきつてくるのだ
人の子は
さるのようによぢのぼつて
その雪にのこる石の荒れをきわめる
風雪の後にある自らの罅れたすがたを眺めたいのだ
お前と俺と無告の山上の石と
この大きな雪どけの瀧の上に座る
参差とした天地の湛へる色は風雪をすぎてきたもの
どこから二人の胸の藤の花は垂れてゐるか
おれはきらきらと眩しく何も言へない
おれもおまへも青い光の大渦に
くるくると巻かれながら
このとほくの果ての急湍の奇岩の一つに座つてゐるといふだけだ
雪のそこからのぼる朝日を
誰が裁くか
たれがおれたちを石の像にし咎めることができるか
おれたちは只瀧を眺め
そのどうどうと流れてゆくはての青い天地を眺める
光だけが
草の上から
そらと白鯉のようにはね上る瀧の水から
二人の瞼を咎め滴となつて頬を濡らす
+------+
(註)
■罅れた=ひびれた
■参差=しんし=(1)長短の等しくないさま。そろわないさま。
(2)入りまじるさま。入り組むさま。
(3)くいちがっているさま。矛盾しているさま。
【瀧】 其の弐
▼
うづまく青い湍におちる
白いたきの焔をちらす秋の風
今ようように
おのれのからだに滲みとほつてきたか
おまへの翼の片羽は
その橡の木にさらされてあるのを眺めるのが痛いか
何もおもふな
その秋のしぶきに濡れて彳むおまへの結縁の母子たちさへ
あはれむことをゆるすな
山を越へおちばをくゞり岩を鐫り
滝は今あちこちの岩角を
白い修羅となつて走り激し
おのれとおのれのからだを裂いて
どうどうと
まつさかさまの白い焔を渦にするのだ
おのゝくなおまへよ
瀧はおのれ 瀧はおまへ
瀧はあくまで白くかなしく
一点のにごりすらもたない
雨もあられも雪もたゞ一つに合はす天地の白の修羅のしぶき
そこに白い鯉すら寄らない
見たか
あらそつてゐる天地の秋のおそろしげな頭蓋を
おまへ めらめらともへる
曼荼羅の母子を信ずるな
何ものをもあはれむな
おまへ結縁のあらゆる相を修羅の白い瀧にほゝむれ
おまへたゞ一つの鎌をさげて急げよ
白い修羅の底から爛とした日がのぼるのではないか
+------+
(註)
■彳む=佇む
■鐫り=える=彫刻する。彫る。刻む。
【瀧】 その参
▼
一つの瀧のおとすら越へることは絶対に出来ない
何もかも
喪ひつくした私一つのからだであつても
あの
夢のあいだにもさつさうと岩をこしてゆく夜の瀧の光とはなれない
瀧のおとを瀧の石となつて聴くことは出来ない
あのたきのうちには
雲と風との間にのこつてゐる最後の稟性が
いつも厳しく鳴つてゐて
秋のよあけなどそれが短い山の人の夢に
玉のようにころがつてきて暗い一生を責めるらしい
たきは
私の夢のあいだにも雪のように
夜のそらからまつさかさまに身を分ち
とても
わたしと一つになれぬ厳とした天地の声を控へてゐるのだ
+------+
(註)
■稟性=ひんせい=生まれつきの性質。天性。稟質。
【剣山(或は無明)】
▼
よろづのことみなもてそらごとたわこと
まことあることなし
唱へてあるく三稜層雲のなか
時雨の向ふから
かうかうと朝日が霽れてきた
小さいけだもののとほるみちが雲のとぶ笹はらのなかにあつて
どこもむらさき水晶のように極まり
私一人の情痴のどくろが無明剣七千尺の中はらをあるく
わらぢがきれて血が滲む
小さい片板岩のようなものでも高い山のひとりは心につまづかぬものはない
どこも
つらなる嶺々のみへる晴天なればこそ
世の涯の一人のあなたの上に心は重く霰が降つて
風のある透明な笹はらのなかに
無明のおのれの痛みはよろめいて現はれる
よろづのことみなもてそらごとたわこと
まことあることなし
まことか
あしたの大きな白堊紀砂岩の上にながれてゐる獄の光よ
あなたは
いまあの白い雲の波に物凄く巻かれて何もみへない
小さい人の世の情痴をかるがるとくわへて
とんでゆく山鳥のすがたもぢきつぎの雲になつてしまふ
波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶
夜明けのはかない夢のなかに
私のすがたの刺繍は編み終へたか
とても私には愛しきれない大きな人の世の雲のかたちが私を惹きつけ
あなたのところへ
ふたゝびかへらないねがひが
またして日をのむ山のしぐれの中から降りてくるのだ
よろづのことみなもて空ごとたわこと
まことあることなし
無明のみちの
うねつてゆく大きな剣の山のなかはらに
限りない三稜層雲は
私一人の胸を圧し雪さへおちて暗くなるやうだ
+------+
(註)
■波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶=はらそうぎゃてい ぼじ
そわか
=(現代語訳)
「彼岸に完全に往ける者よ、悟りよ、幸あれ。」
【冬の連祷】
▼
浪は氷壁のように圧してくる
あられは私の頬をおとす
どこも
一列の氷柱のように私の眼をはねかへす
断雲は
おまへの敗れた胸を裂いて雪を塗りこめてゆく
海のはてから
かへつてくるものは波濤の谺でない
おまへのきれようとする胸の弦の痛みだ
×
利刄の人の世のいたみ
まともにうけて
波の断氷をちらすふるさとの岩礁に
ぢつと歯をかみしめておる
孤空の晶をおのれの衰へた臍の上にだきしめて
人知らぬ島の万里の波濤を
おのれの氷の甲胃のようにまとつてゐる
かへるな何ものをもおのれにかへるな
今日はたゞ一つのかぶら矢を保つのみだ
ことばは
冬の雨のように空しい
人はあの砂洲のかたちしてゐる
あの一つの海鳥のゆくえをすらたれも知らないではないか
×
波はゆるやかに大きくよせて
激発する
水晶のような人の世のはての切高ノ
たゝきつけてゐる寒さを凝つとまたなければならぬ一生だ
いまにみよ
全てあるものは
ふるさとの断氷のような浪にたゝかれてゐる乱立の岩礁と私だ
+------+
(註)
■祷=祈
■利刄=利刀=りとう=良く切れる刀、鋭利な刀。
■かぶら矢=鏑矢
鏑=鏑矢の先につけるもの。鹿の角や木で蕪の根のような形に作り、
鏃(やじり)の後ろにつける。中をくり抜いて中空にし数個の穴を開けて
あるので、射た時に風を切って音を立てる。
【桜】
▼
おたつしやでゐて下さい
そんな風にしか云へないことばが
さくらの花のちるみちの
親しい人たちと私との間にあつた
そのことばに
ありあまる人の世の大きな夕日や涙がわいてきた
私は
いまその日の深閑と照るさくらの花のちる岐路に立つてゐる
おたつしやでゐて下さい
私はその路端のさくらの花に話しかける
さくらは
日の光に美しくそよいでゐる
【火】
▼
ぼくは端書がなかつたのでいつかの古い旅の阿蘇の火の絵はがきを
出したが届いたかね
そこのだだつ広い外輪山といふしつとりしたところに立つて
ぼくはもう一度あらゆるものを濃やかに花鏡のやうに眺めてきたい
と思ふ
そこでは僕は草を喰む一匹の馬となつて結構だしそこらの沙のなか
に光つてゐる一粒でいい
ぼくはぼくたちの今うたつてゐるところをしんと劫遠の火に焙り出してきたい……
(ぼくはいまこの寒村の雪のなかに火をたいて菜葉の夕餉を待つて跼んでゐる)
もう庭石のところが紫いろに凍つて暮れてゐる
きみにもいふことなどあるまい
ぼくにしてからあの雪の貼りついた奇石になつてるきりだ
火はあかるくきつくぼくのとがつた頬を烈風のがたごと鳴る罅れた
硝子戸に赫させる
僕は静かにこの地のそこに続く大阿蘇の火を思ふ
零落の玻璃戸に映る火は昔よりもつと赫い
ぼくは千年もさきの阿蘇の火がどんなにだかさつきから馬鹿なこと
を重たく考へこんでゐる
+------+
(註)
■濃やか=こまやか=(1)情愛が深く心遣いが行き届いているさま。心のこもっているさま。
(2)色の濃いさま。(3)微妙で奥深い趣のあるさま。
■跼んで=せぐくんで=背をまるめてこごむ。
■赫させる=かがやかさせる/赫かしい(かがやかしい)
■赫い=赤い
|