内村鑑三

うちむらかんぞう(1861-1930)

高崎藩士の長男として江戸に生まれ、有馬英学校などを経て札幌農学校に二期生として入学。ここで「少年よ大志を
抱け」で知られるウィリアム・クラークに感化を受けてキリスト教徒となる。卒業後はいったん官吏となって水産研
究に当たったが、後に辞職して渡米。米国アマースト大学留学中に、同校の総長を務めていたジュリアス・H・シー
リーの強い影響を受けて回心を経験する。『
は如何にして基督教徒となりし乎』は、この回心に至るまでの自伝。
帰国後、教育勅語への敬礼を拒んだことが「不敬事件」とされ激しい非難を浴びて全国を転々とすることを余儀なく
される。キリスト教に関わる論説の他、幅広い社会評論をものし、足尾鉱毒事件に際しては銅山経営者、古河市兵衛
を糾弾する論陣を張った。キリスト教の神髄は聖書の中にこそあるとして個人による聖書研究を重視し、教会や典礼
といった制度、形式を退ける無教会主義の創始者。/「青空文庫」より

 

【汝の恐怖を風に任せよ】

汝の恐怖を風に任かせよ
望んで狼狽(ふため)くなかれ
神は汝の悲鳴を聞けり
神は汝の頭を抬(もた)げん

暗き雨夜の波路の中に
神は汝の道を開かん
彼の時を俟(ま)てよ然(さ)らば
夜は喜楽の昼と終らん

彼の支配は宇宙に亙(わた)り
万物皆彼に従ふ
彼れ為して恵ならざるはなし
彼れ導きて光ならざるはなし

汝は未だ彼を解せず
然れども天と地とは告ぐ
神は天上に主権を握り
能(よ)く万物を治め給ふと

【楽しき生涯】

我の諂(へつら)ふべき人なし
我の与みすべき党派なし
我の戴くべき僧侶なし
我の維持すべき爵位なし

我に事ふべきの神あり
我に愛すべきの国あり
我に救ふべきの人あり
我に養ふべきの父母と妻子あり

 四囲の山何ぞ青き
 加茂の水何ぞ清き
 空の星何ぞ高き
 朝の風何ぞ爽き

一函の書に千古の智慧あり
以て英雄と共に語るを得べし
一茎の筆に奇異の力あり
以て志を千載に述ぶるを得べし

我に友を容るゝの室あり
我に情を綴るのペンあり
炉辺団坐して時事を慨し
異域書を飛ばして孤独を慰む

 翁は机に凭れ
 媼(おうな)は針にあり
 婦は厨に忙はしく
 児は万歳を舞ふ

感謝して日光を迎へ
感謝して
膳に対し
感謝して天職を執り
感謝して眠に就く

生を得る何ぞ楽しき
讃美歌絶ゆる間なし

明治廿九年元旦京都流寓にて

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(註)
 ■
膳=粗は原文では鹿が3つ三角に並んだ字。そ。粗い、粗末。


【我等は四人である】

        ルツ子逝きて後に


私等は四人であつた
而して今尚ほ四人である
戸籍帳簿に一人の名は消え
四角の食台の一方は空しく
四部合奏の一部は欠けて
讃美の調子は乱されしと雖も
而かも我等は今尚ほ四人である

我等は今尚ほ四人である
地の帳簿に一人の名は消えて
天の記録に一人の名は殖えた
三度の食時に空席は出来たが
残る三人はより親しく成つた
彼女は今は我等の衷(うち)に居る
一人は三人を縛る愛の絆となつた

然し我等は何時までも斯くあるのではない
我等は後に又前の如く四人に成るのである
神の喇叭の鳴り響く時
寝れる者が皆な起き上る時
主が再たび此地に臨(きた)り給ふ時
新らしきエルサレムが天より降る時
我等は再たび四人に成るのである。


【秋の夕(ゆふべ)】

秋が来た
涼しき心地よき秋が来た
嗚呼愛すべき秋よ

老が来た
静なる黙示(しめし)に富める老が来た
嗚呼楽しき老よ
此後(このゝち)に冬が来る
冷たき死と墓とが来る
然る後に復活の春が来る
而して最後(いやはて)に永久変らざる
清き涼しき神のパラダイスの夏が来る
嗚呼感謝に充る生涯よ


【歓喜と希望】

春は来たりつつある
雪は降りつつある
しかし春は来りつつある

寒さは強くある
しかし春は来りつつある
春は来たりつつある

春は来たりつつある
雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず
汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春は汝にもまた来たりつつある

1909年


【桶職(をけしよく)】

我は唯(ただ)桶を作る事を知る、
其他(そのほか)の事を知らない、
政治を知らない宗教を知らない、
唯善き桶を作る事を知る。

我は我(わが)桶を売らんとて外に行かない、
人は我桶を買わんとて我許(もと)に来る、
我は人の我に就いて知らんことを求めない
我は唯家にありて強き善き桶を作る。

月は満ちて又欠ける、
歳は去りて又来たる、
世は変り行くも我は変らない、
我は家に在りて善き桶を作る。

我は政治の故を以て人と争はない、
我宗教を人に強ひんと為ない、
我は唯善き桶を作りて、
独り立(たち)て甚だ安泰(やすらか)である。

1914.4.10「聖書之研究」165号


【自分は2つのJを愛する】

ひとつは
ジーザス・クライスト(Jesus Christ)
であり、ひとつは
ジャパン(Japan)日本である。

2つのJ−イエスと日本−
そのどちらをより多く愛するか、
自分は知らない。

自分はイエス(Jesus)を信ずるが故に、
日本人に憎まれ、
また余りに日本的であるが故に、
欧米宣教師に嫌われる。

しかし、私は
2つのJ−イエスと日本−
を失うことはできない。