草野天平

くさのてんぺい(1910-1952)

東京市小石川区林町(現文京区)生まれ。兄に詩人の心平がいる。30歳より詩作を始め妻ユキの死後、故郷福
島に帰り、詩作に専念した。1944年、応召したが12月に病気のため帰還した。1947年10月、詩集『ひとつの
道』を出版。1950年、比叡山に赴き飯室谷の松禅院に入居を許される。以後この地を去らなかった。1952年
4月、肺結核によりで死去。1958年『定本草野天平詩集』が出版され、第2回高村光太郎賞を受賞した。「覚
え書」(遺稿)には「私の詩は人間の根本の微小な物質で、幸福といふ一とかけらであります。」とある。凡
てのものに片寄らずただ真っ直ぐに立つ正しい芸術を目ざした求道的詩人と言える。/日本現代詩辞典より


【妻の死】

糸巻きの糸は切るところで切り
光つた針が
並んで針刺に刺してある
そばに
小さなにつぽんの鋏が
そつとねせてあった

妻の針箱をあけて見たとき
涙がながれた

【宇宙の中の一つの点】

人は死んでゆく
また生れ
また働いて
死んでゆく
やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない
力むこともない
ただ此処に
ぽつんとゐればいいのだ


【独り坐つて】

生きたいのですと言へば
さうですかと言つて
死にたいのですと言へば
さうですかと言つて
暖く何処にでもゐて
冷く何処にもゐない
空気のやうになりたいと思ふ


【子供に言ふ】

子供よ
ここへお坐り
お前はさつき石をもつて喧嘩をしてゐたね
さういふことではいけない
石をお捨て
人は少しでも自分と違ふ力をかりてはいけない
いつかも一緒に歩いてゐる時
お父さんがゐるんだぞと言つてゐたことがあつた
自分はああいふ時
本当はお前のそばにゐないのだ
あの子がお前より強ければ
強いやうに打てばいいと思ふし
お前が強ければ強いやうに
やはり普通に打てばいいと思ふ
勝つのもいい
負けるのも又いい
勝つても威張れないし
負けても威張れないものなのだ
いいか
わかつたか


【全世界を客観する姿勢】

息は静かに
眼(まなこ)は開き何処かを見る
自分をめぐる無数の
人の意識がつくつた質や量などに
軽く触れ
口の辺りに笑みさへ湛へる
それは苦しく悲しいけれど
遠く親子の人情をはなれ
何とも言へぬ
自由と法則の調節をとる
其処はもう白色か青色か
最高もなく最低もなく
天上すらも
いつさい無く
寂しさと静けさと安らかさのなかに
万事を止めて個性なく

ゐる


【靄と沼】

昏れるときの容子のとほりに
ひとりでに靄は溶けて
ほんたうに
溶けたまま
色はとれ
それに
音なども絶えて
たれも知らない遠い代の
匂のやうな休まりかた
無ささうにとも思へるし
また
有りさうにとも云へさうに
沼もやはり物おとをひそめ
涯などを無くして
ちつとも動かずに
薄いつやだけを保つ


【朧夜】

空しいところに月はひとつ
幼いふうの色けをして
洵(まこと)に易しく托されてゐる
辺りはなんらの応へもなく
愚かなくらゐに忘れはてて
遠い距りに睡るやう
この世の沙汰はとうに絶えて
移るものすら覚られず
少しのこともない
心地もささいな彩りに
物の相(すがた)などは肌もやはらかく
やうやう
薄らみ想はれる


【河】

ほしいままに久しくひらけて
噂のやうなものは伝はらず
跡方の知れない
遺されたやうな
にゆあんすとなって
涯もなく
入念に遷つてゆく
ひろびろとした
優れる光を間遠に含み
浅さのぐあいなども等しくして
工夫もなく触りながら
まの辺り
遷つてゆく
それは何といつたらいいのか
その後はただ祝ふばかり