田山花袋

たやまかたい(1872-1930)

栃木県邑楽郡館林町(現群馬県館林市)生まれ。本名録弥。1881年上京して京橋の書店の丁稚となる。18
85年より漢詩を投稿し始め、翌年から英語を学ぶかたわら西欧文学に接した。またこの頃から小説も始
め、1891年文壇的処女作『瓜畑』を発表。以降しばらく雑誌・新聞で活躍。1897年、
國木田獨歩松岡
國男宮崎湖處子太田玉茗らと新体詩集『抒情詩』を刊行。この詩集は清新な叙情性を示し『若菜集』
と並び日本の新体詩運動の中で一期を画したものである。なお花袋はここに「わが影」40篇を載せてい
る。また翌年に『山高水長』にも「つかね緒」 9篇を載せている。初期の花袋文学は空想と感傷が濃厚
でロマンティックな傾向が強いが、自ら徐々にそれを剔抉せんと努め1899年以降、結婚等を機に
ゾライ
ズムの影響や写実主義的傾向への傾斜を見せ始める。 /「日本現代詩辞典」より

 

【妹の君】

訪ひてつれでかどの邊に
こひしき君はあらずして
いとうつくしくよそほへる
いもとの君ぞたゝずめる

こひしききみに逢ふよりも
われはこゝろをうたれけり
をさな姿のひのひとを
見たるがごときこゝちして

―抒情詩『わが影』より―


【まごゝろ】

路にて君にあふときは
天津日かげを見るごとく
たうとき人にあふごとく
あふぎ見るべき心地せず

ひとりつくづくをる時は
やさしき君が手を取りて
うれしき君とあひ抱き
共にかたらんとねがふなり

いづれかおのがまごゝろぞ
いづれか戀のまごゝろぞ
語らでこの世すぐべきか
語りてともに泣くべきか

―抒情詩『わが影』より―


【孤岩】

あはれひさしき後の世に
おのれのごとくこの岩の
上にすわりてかなしくも
ものをば誰かおもふべき

かく思ひつゝわれはしも
ひとり立つなり人もなき
波打際にそびえたる
あら磯岩のそのうへに

―抒情詩『わが影』より―


【人づま】

人のつまとぞなれるきみ、
   しばしはきゝねわが言(こと)を
今こそきみにあかすべき、
   つゝみしおのがまごゝろを

母もとがめぬむかしより、
   われは君をばしたひきに。
きみのほかにはわが胸に、
   ゑがけるものは有らざりき。

深山の奥にふたりして、
   すみたらむにはその時の、
うれしさあはれさいかにぞと、
   思ひしこともありたりき。

やさしき君をともなひて、
   春の野みちをてふのごと、
あそばゝいかに樂しきと、
   おもひしこともありたりき。

しかるをあはれ今いかに、
   うれしきことも盡きはてゝ、
たのしき事もつきはてゝ、
   墓とはなりぬおのが世は。

君はしれるかわがこゝろ、
   かくまでしたひしたひたる、
おのがこころを君知るか、
   人のつまとぞなれるきみ。

―『つかね緒』(山高水長・所収)より―


林の奥

君とかつてあゆめる林を
我はたゞ一人さまよひ行く
月もまつ風も波のおとも
ひとつとしてむかしにかはらず
只変れるは君のなきのみ
恋しき君のあらぬことのみ
されどわが影を君とおもへば
我は更にさびしくもあらず
君のことのみおもひて居れば
一人もひとりの心地はせじ
月よ松風よなみのおとよ
我をたゞ一人とは思ふな
あはれなる若者とおもふな
おのが傍にはとこしへに
やさしき君ともなへるものを