森 竹夫

もりたけお(1905-1946)

静岡県榛原郡生まれ。静岡商業高校卒業後小学校の代用教員として働くが間もなく腸結核で入院。これを契機に
創作活動に入る。1928年、病気が治癒し上京、翌年「白山詩人」系の詩人が結成した「新詩人会」に参加。アナ
キーズム詩人の集まりであった「学校」に参加。1937年渡満、満鉄・満洲日報社に勤務。詩人の三木卓は三男。
(結婚後妻の富田姓を名乗り富田竹夫となる)
……この詩『保護職工』を作ったころ森竹夫は小石川区原町に住んでいた。そのあたりには印刷工場や製本所が
たくさんあったから「通りがかりに見ると彼女は今日も見えぬ」というその‘保護職工’を、小石川や神田あた
りでいつも見ていたのだろう。森竹夫自身も神田の印刷工場のようなところに勤めていたことがある。(中略)
しかしこの詩人の生活は苦しかった。いつか訪ねて行った住居は私には何とも不思議なもので、(中略)私はそ
の奇妙な家を見てつくづく人生の片隅ということを思った。こういうところに、こういう生き方がある!その思
いが私をせつなくした。……/伊藤信吉『逆流の中の歌』(1964)より

 

保護職工

働いてゐるこの機械は家庭用シンガーミシン台ではない
旧式な製本の安機械
彼女は磨き歯車に油を注す
埃をうかべた日光が漸くさぐりあてるくらがりで
だまりやさん
だまりやさん
だけどわたしはお前がぢつと何をこらへてゐるのか知つてるの

十六歳未満だから保護職工
何てかがやかしい名だ美しい名だ
残業はたつぷり四時間
活動小屋のはねる頃になつて
半分眠つたこの保護職工は縄のやうなからだで露路から電車道にたどりつく
ガスのたまつた神田の工場街では雀もあそばない
十一月に入つて冷たい雨がふり出した
通りがかりに見ると彼女は今日は見えぬ
ぢつと光をこらした機械の上におどろくべき鮮明さで保護職工の指紋がついてゐた。

【球】

球をそつとひろつて、かくしにしまふと、ふいに嬰児は
乳母車のなかでむづかりはじめた。疎林のなかの夕ぐれ
の路。こぼれてくる新月と雁の聲と。

わたしはだまつて嬰児の手をねぢ、あわてゝ球を口にいれた。