【鍬】
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雨はひどくなるし 夕方になったので
みんな帰ってしまった
山裾のひろい田圃にわたしひとり
横なぐりの雨はホホペタをはじく
腰から下はずぶ濡れ
しびれた足にヒルが吸いつく
朝の暗いから十二時間
一人前の鍬は十五のわたしに重過ぎる
家々にはもう灯をつけたであろ
茶を沸かしているであろ
けれどもわたしは帰れない
わたしは小作人の娘
よその娘よりはまだまだ働かねばならん
わたしの兄さんは牢やの中
その日から足かけ三年
つかれて泣きそうになって
わたしの振りあげる鍬は
お茶を沸かすお母さんと
牢やのお兄さんへ一直線
【歡喜】
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思つただけでも胸がをどる
裸一貫のわたしらが堂々と乗りこんでゆき
おゝ
このわたしら
わたしらのタコだらけの手
眞Kに焼けたおでこ
たゞ一つの心臓
二本の足
二本の腕に
あらゆる権力と最上の美しさを打ちたてる日
働いて笑へる
働いて肥える
おゝ
その日、その世界よ
思つただけでも胸がをどる
【われ坐りて】
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この村の草分け
幾百年浮き沈みはげしく
守りきたりしこの家に
われ坐りて暮す
与えられんとするものは意にかなわず
求めんとして打ちたたくもの
しりえを示す
何事もなし得ず
古き家にうずくまる
いっぱいの汁 一枚の肌着
ことごとく父祖のしたたり
【三界に家無し】
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昔ばなしをしたあとなどに祖父は云った
「何故に坊らは女に生まれたんじゃろうなあ 女は三界に家無しってなあ……」
その時 祖父はいつも泪声を出した
十二三のわたしはなんのことかとわからなかった
わたしは口の中でつぶやいた
「三界に家無してなあ」
「何故 祖父さんは泣くんじゃろうなあ」
二人の妹はコロコロあそんでいるのに
祖父のほほに泪がこぼれ
鼻水が真白いひげを濡らしている
【味噌汁】
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茶わんとはしの音がする
子供が片言まじりで何か話すと
亭主とおかみさんの笑ひ聲が
ごつちやになつて響いて來る
下ではまた晩のごはんが始まつた
仕立物をいそぐわたしの腹も空いたけれど
刑務所の晩めしはもう濟んだだらうか
思へば二年も經ちました
わたしは屋根裏の三疊の部屋に
慣れない賃仕事で腰が曲つてしまつた
そしてひとりですゝる味噌汁はほんとに味ない
わたしはあなたの女房
わたしはあなたの女房なのに
逢ひに行けばガラス戸が下りてゐる
手紙を書けば消されてしまふ
わたしは時々泣く
おたしも下のおかみさんのやうに
あなたの茶わんに味噌汁がよそひたい
あなたはがんばつてゐる
土の匂ひや、陽の目さへも奪はれて
たゝき込まれ
血をしたゝらせ………
わたしはあなたの女房です
わたしは亭主のあなたに誓ふ
愛するあなたの茶わんにあついおいしい味噌汁をよそふことの出來る日まで
わたしはひとりで味噌汁をすゝりませう
それは多くの女の味噌汁です
わたしは胸を抱きしめてあなたに誓ふ
そして
あなたを待つ
【少年のからだはどこも実っていない】
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わたしはある日
街角のウインドの中に一枚の写真を見た
それはイタリー軍の出兵の写真で
大きなヤリをかついでたくましい若者が進軍していた
そして そのなかに小さな男の子が同じ大きなヤリを持ってゆくのを見た
少年は十二才だと書いてあった
手首もかゞともまだかぼそい
少年のからだはどこも実っていない
あどけない目は決心にふるえている
わたしは泪が出てきた
やがて泪は引いた
この子供の父親アニキはすでに戦地にさらされている
少年は進んでゆく
わたしは何ものかに向かうにくしみで胸が一ぱいになった
【方向】
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わたしはある一つの個人の愛を失ったとき同時にはぎとられていた
やさしく強い愛 母になるほこりや、かなしみや、しあわせゃを……
けれどもわたしは顔を上げ 新しい青春を求めた
失った愛が別なところに咲くことを欲した
やがて志したプロレタリアの途にわたしののぞみが百万の意志にまじって燃えた
だが、ふとしたとき、潮のようにかなしみにおそわれた
わたしはそれに堪えようとしてなおいっそう仕事に没頭した
組織はわたしのたのみのつなであった
投げられたつなに懸命に自分をたくした
今、組織の綱は切れ
たのみの綱は断たれた
友だちらは家の灯の下に 子供たちも育っていた
わたしは三畳のへやに
火鉢の消えた机の上にほおづえをつき、腹の空いたのも忘れている
机と本箱、ほかに何もない
わたしはいつのまにか自分のかなしみにとらわれていた
堪えようとしていまおさえ切れぬ……
失った個人の愛は再び返らぬ
わたしはおぼれ死ぬことはできない
わたしは再び堪えてゆきたい
自分の愛やかなしみ、よわさつよさをかかえ
いま一度出なおしたい
【なんと美しい夕焼けだろう】
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なんと美しい夕焼けだろう
ひとりの影もない 風もない
平野の果てに遠く国境の山がつづいている
夕焼けは燃えている
赤くあかね色に
あのように美しく
わたしは人に逢いたい
逢っても言うことができないのに
わたしは何も告げられないのに
新しいこころざしのなかで
わたしはその人を見た
わたしはおどろいて立ちどまった
わたしは聞いた
ひとすじの水が
せせらぎのようにわたしの胸に音をたてて流れるのを
もはやしずかなねむりは来なかった
そのことを人に告げることはできなかった
わたしはただいそいだ
ものにつまずき
街角をまがることを忘れて
わたしは立ちあがらねばならなかった
立ちあがれ 立ちあがれ
かなしみがわたしを追いたてた
わたしは
忘れることができない
昔もいまも
いまも昔のように
夕焼けは燃えている
あかね色に
あのように美しく
【父はわたしを知らなかった】
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春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える支度をした
わたしは見合いのためとわかった
わたしは土蔵へかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ
まもなくかわるがわる町の商人が押しかけてきた
そして運ばれてきた
箪笥 長持ち いく重ねもの紋つき
わたしはうすぐらい土蔵の中に寝ていた
目ははれてトラホームになり
夜はねむれずに 何も食べずに
わたしはひとつのことを思っていた
古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかった
わたしは知ろうとしていた
父は大きな掌ではりとばしののしった
父は言った
この嫁入りは絶対にやめられないと
とりまいてる村のしきたり
厚い大きな父の手
わたしは死なねばならなかった
わたしはおきあがって土蔵を出た
外はあかるかった
やわらかい陽ざし
咲き揃った花ばな
わたしは花の枝によりかかり
泣きながらよりかかった
花は咲いている
花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら
【袂別】
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1
体の中にキンシュができたので開腹手術することとなった
キンシュとは はれものと思っていた
退院する時 はじめて医師は言った
子宮は全部きりとっておいたと
なじみうすい医師の前から わたしはよろよろと立ちあがった
2
求めあった二つの命の よじのぼる如き追求のおくにありったけの力をふりしぼった
そこに人間がつくられるのだった
3
子供らはいつも母親をさがした
母親は子供のめくらの杖のごとく
死にぎわの水のごとく
母親に向かって子供らは死に瀕していた
八十になっても子供は子供であった
4
山や海 月のごとく
母は何も言わない
母はものおじしない
手かげんがない
天のごとく
晴れくもり どしゃぶり
自若として
なんという 美しさ
5
母親となるためには 女でなければならなかった
女であるとおなじく人間でなければならなかった
そこがむつかしかった
6
開腹手術は
最後のイチゲキをわたしに加えた
【友よ 友だちよ】
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わたしは 三度目の開腹手術を受けるために
行ってきます
友よ
手術をしなければならぬということは
命があるということです
いろいろの
心のキズを耐え
力あつめて立ちつづけてきた
体に三度目のメスを受けねばならぬ
黄色い目じりから泪がにじんで流れようとする
友よ
手術をしなければならぬということは
命があるということです
命がなければ 誰の顔も見えなくなるではないか
誰も わたしをもう見ることができないではないか
命がなければ もう詩が書けないではないか
命がなければ 体も心も灰になってしまうではないか
【五十の春に 2】
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いまようやくここまで歩いてきたところだ
誰かが呼んだと思うときもあったが
それは空耳だった
振り返って返事をしているわたしに
呼び止めたと思った人は気のつかぬ如く
とっとっと先の方を歩いて行った
わたしは一人とぼとぼとここまでたどりついた
花の咲く頃には却って身を細くして
自動車をよけるような格好になったものだ
ようやくここまでたどりつき
山道にさしかかったところだ
この山道を入ってゆくと道が分らないようにもなったり
高い崖や 危うい海岸へ出るようなことがあるかも知れない
誰もわたしを呼び止めないように
もう返事をするひまもない
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