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澤村胡夷

さわむらこい(1884-1930)

滋賀県生まれ。本名専太郎。京大哲学科卒。早く彦根一中時代に「小天地」に詩を投じ、三高入学後
「文庫」に近づいて文庫派詩人として活躍。河井酔茗主宰の「詩人」(1907.6創刊)にも参加した。や
や保守的ながら端正な詩風に見るべきものがあったが、大正期に入ってほとんど詩筆を絶った。1919
年京大助教授となり以後没年まで美術史の研究に努めた。詩集は『河畔の悲歌』(1907.1)一冊。戦後、
『澤村胡夷全詩集』(1967.3 私家版)が編まれた。/「日本現代詩辞典」より

詩集『河畔の悲歌』より

【黒髪】

女心を譬ふれば
透いて見せたる薄氷(うすらひ)か。
生温(ぬる)き光に溶けそめて
烈しくあつき日にてらば
珠とくだけむ若葉蔭。

男の胸をたとふれば
燃えて見せたる野馬(かぎろひ)か。
光流るゝ沼をいで
南に北にかけめぐり
やがては消えむ花の床。

男の胸と人の世の
女ごゝろを垂髪(たれがみ)に
結ばゞいかに花の陰。
楽しとゑみし春の夜の
よろこびやがてうすらぎて
ためいき荒く打嘆き
嫉妬(ねたみ)の刺の座に堪へじ。

ああ、ああ、刺に黒髪の
もつれを、いつか、ほどき得む。
霜夜にかたききりきずの
冷血(ひえち)のあとをうかゞはゞ
悲しからずや女子(をみなご)よ。


+------------+
(註)
 ■野馬(かぎろひ)=かぎろひ→かげろう=陽炎

【縫針】

麥の
葉風に、
御して
雲雀。

 高き
 み空へ
 いぬと
 翔る。

 京の
 商人(あきびと)、
 ひろき
 墾路(にひばり)。

  喘ぎ、
  喘ぎ、
  荷車(くるま)
  曳ける。

 春を
 晴着の
 歌の
 縫針。

  丘に
  とゞめて
  人を
  くける。


【萬両草の歌】

雨やむ木蔭地(こさぢ)の
露にぬれて
萬両草、寂しく
孤(ひとり)ねむる。
胸には瑪瑙の
球をかざり、
寂びたる日蔭に
孤ねむる。

萬象(ものみな)、輝く
春をひとり、
濕れるこさぢの
夢にふける。
ねびたる萬両草――
姿さぶる
汝はこのよの
ものにあらじ。

ねむるは行者の
雲を下り、
默祷(いのり)をこらせる
ふりに似たり。
けぶるき神代(かみのよ)
嵐おちて、
裂けたる雲間の
月をすべり、
なれこそ漏りけめ
珠をいだき――

あな、あな、空より
こゝにくだり、
桂はかゞやく
額をかざる。
汝よ、せめては
吾に似たる――
小暗くくもれる
胸にやどれ。


【梅雨晴】

緑を漑(そそ)ぎし
雲は往(い)にて、
樹立は明りぬ。
雨は休みぬ。

小鳥は梢の
網を抜けて
嫩葉(わかば)に弱(かよわ)き
生命(いのち)、循(めぐ)る。

葉漏りの光は
森に落ちて、
青玻璃(びーどろ)窓閉す(まどさ)
室に似たり。

葉末を滴り、
枝を辷(すべ)り、
はた、はた、葉陰に
落つる雫――

生命のしたゝり、
森に浴びて、
なやむ身、暫と、
たふす樹蔭。

疲れし靈魂(たましひ)、
やがて、蘇(かへ)り、
忙(せは)しき呼吸は
胸をうちぬ――。


【遠雷】

双手にあふるゝ
泉うけて、
傾く白雲
影をふみぬ。
虹する夕ぐれ、
毒をふくみ、
汀にさびしく
石を鳴らす――
入江のあしまに
花は散れり。

ほほづき赤らむ
野路くれて
豫言者ぶりなる
鶉(うづら)急ぐ。
きらめく流星
なだれ落ちて、
霧立つ沼べに
物を恐れ
水獺(かはうそ)叫びて
走り惑ふ。

斜めにひとしく
ぬかを垂れて
地の上、ものみな
しろく眠る。
つとこそ出でけれ、
衣(きぬ)をすらし。
恐怖(おそれ)と苦悩(なやみ)の
刻むこみち――
裂きてか二つの
影を立たす。

かゝる夜(よ)犠牲(にへ)來(く)と
水沫(みなわ)浮(う)けて、
入江、かけたる
月をのむや、
さらゝと急ぎて
影は消えぬ――
高嶺に動ける
雲をふみて、
雷ころゝと
遠く鳴れり。


【夕ぐれ】

谷をば越えて
古き城郭(とりで)に
  沈むひかり、
黄ばむ林檎の
まろき胸(こころ)に
  生温(ぬる)うとけむ。
にがき涙を
人に見せじと、
  まろぶばかり。
湖斜めに
雲をながめて
  まどひ解けぬ。

よき音流るゝ
咽喉せかむの
  夜のくびき、
空と土とを
闇につながむ
  時のくさり』
青き森へと
落つる『ゆふべ』の
  歌のひゞき
消えて湖(うみ)べに
古き櫓の
  影を見ざり。

夕月、ましろに
露をばたるゝ
  たかきところ、
影を現じて
淡(うす)うやぐらの
  波に浮ける。
得しはわが影
人を求めて
  なやむこゝろ、
湖に沿ひつゝ
名をば忘れて
  波にきける。


【野にて】

空より降りし火の如く
小鳥は落ちて死ににけり。
死(しに)たる床の草深く、
病(なや)みて吾も倒伏(たふれふ)す。

風、もの言はず。地は荒れて
柏の蔭に嘆き倚る
眞白き君が姿のみ
淋しき胸に漂ひぬ。

丘なる墳(つか)の石暗く
涙の底に沈みゆく。
沈む日影に花朽ちて
大野の際限(はて)に雲ぞ飛ぶ。