嵯峨の山人

さがのせんにん(1863-1947)

東京日本橋生まれ。本名 矢崎鎮四郎。東京外語露語科卒。卒業後、同大学の長谷川辰之助(二葉亭四迷)
に伴われて坪内逍遥(春の屋朧)を訪問。小説家となる決意をし坪内家の書生となる。1889年から新体詩
や詩論なども発表し始め、1897年『抒情詩』(
宮崎湖處子編)に嵯峨の山人の号で「いつ眞て草」の総題
のもとに序と詩九篇を収録。厭世的情調・人間性の内的苦悶・無心の幼児世界への憧れなどのモチーフ
には近代的文学精神が窺われる。抒情や言語感覚の粗雑さのため、詩美に欠ける所もあるが口語詩の発
達の歴史の上で評価されるべき存在である。 /「日本現代詩辞典」より

 

『抒情詩』 「いつ眞て草」より

<序>

詩とは何ぞや、無形の想、之を現はすに有形の物を以てす、是を是詩と
いふなり、故に既に詩といふや、形を離れて想獨り存することを得ず、
想を離れて形獨り存することを得ず、必ずや想形相待て、爰に始て詩の
存するものとす、然して彼想なるものは虚なり、形なるものは實なり、
故に又詩を作らんとするものは、必ず此虚實の妙用を知らざるべからず、
蓋し虚は猶實の如く、實は猶虚の如し、虚々實々、實々虚々、玄の亦玄、
妙の亦妙能く之を究め、之を盡せるものにして、始て妙詩を作ることを
得べし、昔人シヱクスピヤ、ミルトン、バイロン、プウシキンの如き、
よく鬼神の巧を奪ひ、造化の腕を扼して、千歳不滅の名作あるものは、
實に此虚實の妙用に達せるに由らずんば非ず、後の詩を作るもの、宜し
く此に鑑むべきなり、因て以て序となす。
  於時明治卅年二月中旬、落葉ちる浮世の嵯峨の屋の破窓下に
                            小むろ識

【山蔭の翁】

山蔭のはにふの小屋を
誰歟(か)いふ浮世の嵯峨と
板びさし月も洩るるなり
(むぐら)はふ窓を開けば
うき我にもの思へとや
冷まさる野寺の鐘
かう/\と無常を語る
はら/\と落る木葉を
時雨かと嵐にとへば
から衣うつ音とかはる
ながらへて世を忍べば
ふり注ぐ涙の雨に
敷妙の袖も打ゆく
あゝ浮事を誰に語らん
すみわたる月に向ひて
語らひし友はと問ば
木枯の果にと答ふ
鳴渡る雁を呼びて
契にし人はと問ば
苔むせる塚の下といふ
あゝ戀命一夢なりけり


【厭ふ浮世】

紅葉するゆふべの山に向ひては
    何を歟(か)しのぶ我心
ふり注ぐ暮山の雨に對しては
    何を歟うらむ我心
思へば/\神よ汝は
    何とて我を生みにけん
思へば/\浮世とは
    浮める雲の世をやいふ
世を棄つ世に棄られつ
    幾歳をふるさとの月
忍べどもまた忍べども
    昔に返す由もなし
いざさらば名利の二ツ
    斷てぞ入らん山の奥
うゐの風のふかぬ山蔭
    眞如の月を友として


【白髪翁】

散てゆく花の蔭に
わが身の春は消ゆきて
うき世の秋の身にぞしむ
あしたゆふべの風さむし

山をも抜んいにしへの
力も今はおとろへて
猪をも打ん古の
血氣も今は影もなし

世を秋風の髯を吹て
K髪の雪とかはれば
戀故もえし胸の火も
空しくもえて消にけり

闇の惡魔のわれに來て
ゆふべの夢をおどろかせば
苦や樂やみだれ/\て
心の海に波をあぐ

甲斐なきものは老の身よ
昨日のうきを送りては
今日の悲しみむかへつゝ
何をまつとて世には住む

嗚呼戀命そをしも知らず
人の身の幸そをしも知らず
一生を仇にくらして
月影のかたむく今
何を悔て身を恨む

打よ煩悩の犬
ふるへよ斷妄の劒
世の覇絆きりはらひて
一心に彌陀をたのまん
南無阿彌陀佛々々々々々々


【荒野の曙】

東雲に殘月消て
朝風に霧の晴れば
面白し萬里の平沙
蓬枯て風寒く
人跡絶て霜白し

山あり左手に聳ゆ
杉あり嶺に長ず
鷲あり天空を舞ふ
大なる哉沙漠の眺
天高く地ひろし


【おさなご】

塵の世の塵にそまぬ
おさな兒の心ぞきよき
すや/\とねむるゆふべ
燈火の影に見れば
うちけむる眉の匂ひ
露たる/\頬の笑顔
びいなすの神の化神耶(や)
人を戀ふ夜半のなげきも
きぬ/゛\の別の涙も
つれなきを恨む思ひも
戀も無常も露知らず
春を待つ胸のねぎ言
おちぶれし日のうき貧苦
餓、凍、世のいつはり
其をしも露しらず
小やかな二布の蒲團に
清やかな夢を結びて
罪もなき寝貌のやさしさ
神ぞ可愛き我愛よ
守らせたまへ我神よ


【かたみ】

散てゆく花一片の命にも
造化の力こもりぬと
思へば愛のまさるらむ
捨てある反古一枚の紙なれど
友のまごゝろこもりぬと
思へば愛のまさるらむ
うつろはぬ花の昨日を思ひては
なき人の身の忍ばれて
盛なる友の昔を慕ひては
昨日の花の忍ばれて
かり染の書捨ながらなき人の
形身となりし反古一枚
涙の種となりにけるかも


【述懐】

酒はのめども心は醉はず
花は見れども氣は浮ず
月に碎けて露に散る
涙のそこのこの思ひ
戀歟(か)無常耶(や)無常耶戀歟
人に言はれず我身に知れず
世は春ながらひとりねの
床にねざめの浮苦勞
つもり/\て軒の雪
はらふひまなき涙かな


【露を哀む】

朝貌の葉末に宿る露の玉
そよふく風もかたきにて
けぬ間を頼む命哉
庭にたはむるおさな兒よ
汝がもぎどうな袂をば
かごと斗も葉末にふれ勿
ふれなば露の玉と散る


【もの思ひ】

さみだれの晴間をまつの月ふけて
ひとりくよ/\もの思ふ
戀ぞ心の亂れなる
山寺の鐘も無常の音さへて
此處も浮世歟(か)時鳥(ほととぎす)
君を戀しとないてゆく