【今一度泣いてくれぬか】
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梅薫る 二月如月
鶯が 庭で啼いてる
花咲けば 鶯でさへ
庭に來て 啼くではないか
暖かき 母の乳房が
この樣に 張り切れる程
いつ來ても 吸はれる樣に
うまき香に 満ちてるものを
いかなれば 我が兒さよ子は
乳欲しと 泣かぬであらう
手を擧げて 乳房見付けて
泣きながら 來ぬのであらう
あゝさよ子 我が兒さよ子は
正月に 死んだのである
おめでたい この正月に
かなしくも 死んだのである
あゝさよ子 我が兒さよ子も
生きてをれば もう二つなのだ
さよ子ちやん いくつときけば
指を二本 出して見せるのだ
櫻咲く 去年の四月
いさましく 生れたのだが
ぢきに梅も 咲くといふのに
もう死んで 仕舞ったのである
あゝさよ子 我が兒さよ子は
愛らしい いゝ子であった
いゝ子だと どこへ行っても
人様に ほめられてゐた
バッチリと 黒目勝ちの
鈴の樣な 丸い眼をして
ポテ/\と 紅梅色の
つやのある 頻ぺたをして
低うはない 高過ぎもしない
形のいゝ 品のいゝ鼻
乳吸ふに 丁度手頃な
蕾の樣な 口元をして
肉附きも いゝ鹽梅に
丈夫相な 兒であったが
あんな兒が どうしてまあ
こんなに早く 死んだのだらう
死にはすまい 死んだのではあるまい
たかの知れた 百日咳に
あんな子が どうしてそんな
死ぬなんて 事のあらうや
さうだ/\ 死んだのではない
醫者が屹度 藥を違ひて
よくすれば よくなるものを
間違って 殺したのだらう
いや/\/\ これはひがみだ
あれほどに 親切な醫者が
どうしてそんな 惡い事をしよう
さうだ/\ これはひがみだ
あんな寒い日 しかも夜中に
こころよう 醫者は來てくれた
こんな事を 私が思ふのは
罰があたる 勿體ない事だ
かぜではあるが 百日咳は
恐ろしい 病氣ださうだ
このかぜに 我が兒さよ子は
かなしくも 取付かれたのだ
世の中へ 生れたばかり
罪も何も 知らぬ兒が
死ぬといふのは これはよく/\の
前の世の 因縁であらう
仕方ない あきらめよう
言ふたとて 返らぬ事だ
泣いたとて 死んだ者は
もう二度と 生きては來ない
もう泣かぬ 決して泣かぬ
とは言っても 涙は出る
併しこの 私の涙は
何事も 知らぬ涙だ
あゝさよ子 それにしてもお前は
知らぬ道を たった一人で
歩く事も 出來ない足で
這ひながら どこへ行くのか
地の下の 死出の旅路は
まっくらで 淋しいさうだが
母なくて そんな處で
たった一人 淋しくはないか
お前の樣に 罪のない兒は
まさかそんな 淋しい處へは
行くまいと 思ふけれども
なんだか私は 氣掛りでならぬ
母ちゃんが 抱いてくれないで
だれがお前の 傍についてゐる
母ちゃんの 乳をのまないで
若しやお腹が すきやしないか
抱いてくれる 者がないと言って
泣いたとて だれもゐないだらう
乳をのまないで お腹がすいたとて
だれも乳を のましてくれないだらう
あゝさよ子 矢張私は
お前の事が 心配でならぬ
雨降って 濡れはしないか
雪降って 寒くはないか
若しやお前が 知らぬ處で
たった一人 泣いてゐたら
どうしよう あゝどうしよう
そればかりが 心配でならぬ
かあちゃんよう かあちゃんようと
たった一人 泣いてゐたら
どうしよう あゝどうしよう
私はそれが 心配でならぬ
この母は この世に出でて
罪を犯した 事がないから
惡い報ゐは お前には行くまいが
それでもなんだか 心配でならぬ
燒野の雉子 夜の鶴
子を思はぬ 親があらうや
母ちゃんは お前がゐないで
毎日/\ 泣いてばかりゐる
あゝさよ子 何故お前は死んだ
母ちゃんが 可愛くはないか
この樣に 母ちゃんの泣くのが
お前には わからないのか
あゝさよ子 父が欲しいと
今一度 泣いてくれぬか
あゝさよ子 母ちゃんの願ひだ
今一度 泣いてくれぬか (結)
【誰に見せよう】
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丁度私が十二の春
母は窒扶斯(チフス)であの世へ行った
苦しみ通しであったから
遺言とても聞かなかった
父はあるのやらないのやら
母は少しも話さなかったし
私も尋ねなかったから
あるのか無いのかいまだに知らぬ
母がなくなってから後は
私は叔母に引取られた
叔母は母の妹だが
よく私の世話をしてくれる
叔母には一人の叔父がある
ふだんは變った事もないが
私の一身上の事になると
いつも意見が合はないらしい
私はこれが氣になって
どうしても打解ける事が出來ぬ
斯う言っては叔母にすまないが
母の無い子は實に不幸だ
幾千萬人のその中に
父と呼ぶべき人もなく
母になくなられて叔母にたよる
女の子ほど哀れな者があらうか
人は母ちゃんが斯う言ったと言ふ
私の母は何にも言はぬ
人は父さんが斯うしたと言ふ
私の父はあるかないかわからぬ
月夜の晩に月を見てゐると
自然に悲しくなってくる
取留もない考がうかぶ
みんなこれは母がないからだ
雨降る夕べ雨の音をきくと
心が妙に沈んで行く
早く誰かにたよりたいと思ふ
これも矢張父がないからだ
人は花がきれいだといふのに
私の眼にはさびしく見える
人は鳥の聲がいいといふのに
私の耳にはかなしくきこえる
たった一人の父といふもの
たった一人の母といふもの
それがあるのとないのとで
かうまで違ふものであらうか
母は呼んでも返へらぬ人だが
父はどうしてゐるだらう
生きてゐるのかなくなったのか
叔母にきいてもきかしてくれぬ
私は母が可愛がってくれたから
只それだけで満足してゐたが
さて母がなくなって見ると
父といふ事にも思ひが及ぶ
あゝ父もなく母もなく
兄弟もなき孤兒の
苦しい心の切なさを
世間の人は知ってゐようか
叔母は常々私に向って
なくなった姉のたのみだから
學問でも手藝でも
お前の望み通りにしてやると言ふ
誰から聞いた譯でもないが
私の家名は汚れてゐる
母の罪か叔母の罪かは知らないが
兎に角世間から除物にされてゐる
だから私の生涯の希望は
この汚れをそゝぎたいのだ
そして立派な家を興したいのだ
それを成し遂げるのは私の務だと思ふ
かう思ふと女の身が情ない
男ならどんな事も出來ようが
かよわい女では思ふ樣にならぬ
どうして家名を取返したらよからう
この三月には小學を卒業するのだが
更にこれから女學校に入り
進んで高等師範へ行き
子弟の教育に一身を委ねようか
それとも女子大學に入り
卒業の後は海外へ留学し
社會の舞臺に乗込んで
天晴名媛の譽を得ようか
いづれにしても名を揚げるには
先づ學問をせねばならぬ
併し學問をするにしても
澤山お金がかゝるのだ
母がなくなってから今年十五になるまで
もう三年の間叔母の世話になってゐる
此上尚ほも世話になって
叔母は果して都合がよからうか
何事もやり通す氣の叔母の事だから
私がかうしてくれと願ったら
屹度きいてくれるだらう
けれども叔父は何と言ふだらう
よしや叔父が何と言はうとも
叔母は飽くまで言ひ張るだらうが
若しやそれが爲に叔父と叔母との間に
面白くない事でも起ったらどうしよう
あゝ私は女の子だ
もう十五になったのだ
あまり無考な事も言えぬ
さればと言って思ひ切った事も出來ぬ
家名の汚れを思っても涙が出る
叔母の苦心を思っても涙が出る
此身一つの落つき所が
涙に塞がって行く事が出來ない
たった一枚の修業證書ではあるが
これが證書の貰ひ納めかも知れねば
私が爲には大切なものだ
母に見せたら喜ぶだらう
父も必ずや喜ぶだらう
父には當もないが母に見せたい
見せてさうして喜ばしてやりたい
叔母も喜んではくれるだらうが
私はもっと別な人にも
見せたい樣な氣がしてならぬ
あゝ誰に見せよう誰に見せよう
父をもたない子の修業證書
母がない子の修業證書
誰か見てくれさうな氣がしてならぬ
あゝ誰に見せよう誰に見せよう(結)
【房やんは最早戻らない】
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『痛いよう痛いよう』
また房やんの聲がきこえる
餘程此頃は惡るいと見える
どんなにか苦しいことだらう
『痛いよう痛いよう』
頭が痛いんださうな
毎日毎晩のことだもの
あゝ言ふのも無理がない
房やんは上方のもので
東京へ來ると間もなく
腦膜炎に罹ったのだが
床に就いてからもう八日になる
明けても暮れても眼さへさめれば
痛いよう痛いようと
囈言の樣に斯う言ふのが
泣くよりも却って哀れに聞える
ゆふべも丁度夜中のこと
怖ろしい夢にうなされて
ふと眼をさまして考へてゐたら
房やんの悲しげな聲が聞える
大方友達の名であらう
おつうやん/\などと言ふ
時々はおっかさん/\と呼ぶ
人形をこわしちゃいけないなどとも言ふ
房やんのおっかさんはやさしい人だ
房やんの枕元に座って
早くよくなっておくれ
ねえ房やんと泣いてをられる
庭の紅葉の花が咲いて
其花に似た鳶が一疋
屋根のあたりにヒロロウと鳴いたら
房やんの夢はまたさめた
夕方の風がスウと吹いて
三日月形の荵(しのぶ)に吊した
硝子の風鈴がチリリンなったら
房やんの夢はまたさめた
房やんのおっかさんはやさしい聲で
ぢきよくなるよねえ房やんと
額に氷嚢をあてながら
涙拭き/\言ってをられる
塀にからんだ南京薔薇の花が
房やんの病氣を慰める樣に
房やんが床に就いた日から
毎日々々きれいに咲いて居る
南京薔薇の花は半分咲いた
房やんの病氣はまだ癒らない
南京薔薇の花は皆咲いた
房やんの病氣はまだ癒らない
房やんのおっかさんは泣いてをられる
房やんのおとっさんも泣いてをられる
房やんは痛いとも何とも言はない
房やんはもう死んだのだもの
鉢植の朝顔は咲いたけれど
房やんは最早(もう)戻らない
雀の夏兒は生れたけれど
房やんは最早戻らない (結)
【今宵は是處に宿りませ】
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(少女) 母と二人の詫住に
人なつかしき夕暮は
磯邊に立ちて濱千鳥
我れも音に鳴く少女なり。
貝採る海人の子は去りて
日は早や西に沈みたり
行く手急がぬ旅ならば
今宵は是處に宿りませ。
(旅人) もとより急ぐ身ならねど
是處は我が住む里ならず
我れは此世の旅にして
宿らん家を有たぬなり。
かく言ふ暇も小止みなき
時の刻みは早かるを
優しき磯の少女子よ
取りし袂を離さずや。
(少女) 否とよ我れは離すまじ
旅する人に宿なくば
雨ふる宵や風の夜や
君はいづこに避け給ふ。
(旅人) 雨かや雨はつらからず
風かや風もつらからず
降らば濡れなん我が身なり
吹かば曝されん我が身なり。
(少女) 悲しき事をの給ふよ
雨ふり來れば裏山の
林の奥の雀さへ
軒端に近く來て鳴くを。
なう旅人よ聞きたまへ
風ふき來れば花園の
花を尋ぬる胡蝶さへ
葉蔭に身をば休むるを。
君が行くべき方いづこ
いづこを當てと白浪の
寄せては返す磯傅ひ
つきぬ眞砂の路なれや。
當てなき旅を急ぐより
今宵は是處に宿りして
人の情の籠りたる
もてなし振りに笑ひませ。
(旅人) 西も東も荒磯の
運命つたなく生れ來て
人の情を知らぬ身に
うれしき君が言葉かな。
されどきゝませ少女子よ
我れは此世の春早く
心の幸を奪はれて
深き痛手に惱む子ぞ。
生れて母をもたぬ身の
父と呼ぶべき人もなく
同胞もなき孤子の
望まん事もあらぬ身ぞ。
沖に群れ飛ぶ鴎こそ
我れに朝の友なれや
松吹く風の音こそは
我れに夕の友なれや。
されば朝夕旅にして
この世のかぎり日のかぎり
濱の眞砂のつくるまで
我が世の旅はつゞかなん。
あゝ少女子よ思はずも
君が情にほだされて
勇みし足もにぶりたり
さらば別れんいざさらば。
(少女) やよ待ちたまへ旅人よ
父に別れし時のこと
悲しき君が物語り
我れは涙にきゝしぞや。
思へば似たる運命かな
幾春秋のそのむかし
我れにも兄のありしかど
行衞知られずなりしとか。
年老いませる母上の
眼うるませ時々は
噂したまふ事あるを
いづこの空におはすらん。
夏は小川の螢狩り
冬は圍爐裡に團欒して
我れにはほしき兄なるを
今に行衞のわかぬなり。
旅より旅に行き暮れて
所定めぬ君ながら
かくも分れの切なきは
深き縁のあるならん。
草鞋をときて笠とりて
今宵は此處に宿りませ
母と三人の物語り
いかに樂しき事ならん。
春の花には匂ひあり
秋の草には露宿る
人に情のあるものを
今宵は此處に宿りませ。 (結)
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