佐藤緑葉

さとうりょくよう(1886-1960)

群馬県吾妻郡の富農の長男として生まれる。本名利吉。1904年、代用教員を辞めて早稲田大学文学科高
等予科に入学。同期に若山牧水、土岐哀果、服部嘉香、北原白秋らがいた。坪内逍遥、島村抱月の講義
を好んで聴いた。1906年、早稲田同級の牧水、土岐善麿らと文学グループ「北斗会」を結成。1908年、
恋人・田中董(同郷、
田中辰雄の姉)との結婚問題(種々の問題、波瀾があったといわれる)で試験放棄、
卒業延期となる。1909年、卒業後
小杉天外の雑誌「無名通信」の記者となる。1910年、若山牧水主宰雑
誌「創作」が創刊され、同人として詩などを執筆。1911年、読売新聞記者として就職。1912年の後半か
ら翌年にかけて「詩歌」「秀才文壇」「近代思想」等に詩・散文詩を多数発表。1914年、詩集『塑像』
を刊行。1917年、文学雑誌「近代芸術」を発行主宰。京都から神戸の旅の途中で友人の竹久夢二に会う。
1923年、
野上豊一郎の勧めで法政大学講師となり、これを機に創作の筆を立つ。1937年、妻董死去。19
40年、教え子の石川桂と結婚。1941年、桂と離婚。1943年、桂と再婚。1954年、桂と離婚。1960年、高
尾山麓の旅館において服毒自殺。/「群馬文学全集7巻」より

 

詩集『塑像』より

【十月の朝】

何となく腹だたしく、惱ましく
心はくらく
もの事のはし/゛\の氣にさわる
十月の青い朝。

疲れたる神經は
チク/\と毛針に突かれ、
薄く且つ痛める皮膚は
粟立ちて微かにうづく。

かゝる朝、青疊足に冷たく、
椅子の背も骨だちて着物にいたし。
金ペンの光はひえて
しみ/゛\と指先に沁む。

わが心に染まぬものみな亡べ!
かの銀のメスのごとく
快く刺すものゝあれ、など思ふ、
何となく腹だたしく、惱ましき、十月の朝。

【秋】

月島の入江に並ぶ
ラツコ船は、
來るべき冬の國
北の海を夢みて靜かにまどろむ、
そのマストに紅い秋の日。

秋の日はまた、
大川の胸に鳴る齒車の
浚渫船の鐵の錨に、
懷しくしみ/゛\と沁みわたる。

熱を病み赭く濁つた河の水は、
この日から深く澄み、
小蒸気のプロペラは、
さかしげに、快く、その水をかく。


【白壁】

街裏の堀に舟を押せば、
ひき汐の水は
いそがしくひた/\と舟脚を洗つてゆく。

水際の白壁の家の窓から
女の顔、
ニス色の水の底から、
ぷく/\と雲母(きらら)色の氣泡がわく。


【七つの■の舞】   >>> 巾偏+白=はちまき …詩中では‘きぬ’と読ませている

ヘロツドの繼娘(まゝむすめ)、美しいサロメは舞ふ
白い手に七片の■(きぬ)をもて。

舞臺には炬火(たいまつ)の烟が流れ、
バルコンの後ろの闇に、
月は照る、死人の如く欠伸して、
其の前に姫は舞ふ、しなやかに、しとやかに。

ユダヤ人(びと)、アツシリヤ人、
金色の盾をおき、銀色の矛を棄て、
足許に寢ころびて、
蛇の如く首をあげ、白い手の行方を追ふ。

ヘロツドの繼娘、美しいサロメは舞ふ、
白い手に七片の■(きぬ)をもて。

素裸體の乳ふくらみ、
頸飾り、胸飾り、寶石のふれあふ響。
老王は醉えるが如く、鈎攣(ひきつ)る如く、   >>> 鈎=原文は手偏
青い眼を瞬き、時にまた唸(うめ)き苦しむ。

豫言者の黒人に斬らるゝ夜、
ヨカナンの生首に、ばら色の唇のふるゝ夜、
何事もないやうに、
天井のテントには、桃色の電光が照る。

ヘロツドのまゝ娘、美しいサロメは舞ふ、
白い手に七片の■(きぬ)をもて。

(横濱、
ゲイテイ座印象)


【『美はしきエレン』】

『美はしきエレン』の曲は
靜かなる海の水の寄するが如く、
或は又旋風の唸るが如く、
樂堂の天井に、白壁に、はねかへる。

眼を閉づれば、わが腦は微かに疼き、
網膜に火の輪は映る。
夏の日の暑き晝寢に、
耳近く群る虻の
呟きつ、遠のきつ、もつるゝ氣はい。

黒きかな、黒きかな、
樂壇に落ち散る木の葉。
夜の如く、五位鷺の如く、また吾が心の如く、打ちしめり、
しめやかに弦を彈つ、
其の聲の悲しき叫び!

また見よ聽衆の愁へる顔を、
その黄なる皺める頬を。
感激も、興奮も、遠き日に忘れ去り、
犬の如き屍體となりて、
默然と椅子にうなだる。

セロは鳴る、ボウボウと、
ヰオリンは女樂師の、喪の袖の白き襦袢に、からまりて頻にうめく、
色のない樂堂を悲しむ如く、
或はまた廣やかなる大空を戀ふるが如く。

過ぎし日のわが心よ、
爭ふて別れたる戀人よ、
瘠せし人、蒼くして幽靈の如き人――
吾が腦は今はシネマか、痛し/\、
銀笛か、クラリネツトか、吹き破れ、吹き破れ。

『美はしきエレン』の曲は
靜かなる海の水の寄するが如く、
或は又旋風の唸るが如く、
樂堂の天井に、白壁に、はねかへる。


【窓の夕陽】

吾が胸のかくも鳴りしは、
何故か知るによしなし。

彼の長き睫こそ、かの深き瞳こそ、
否、否、否、
彼の銀の高きソプラノ、
否、それも知るによしなし。

P夫人はピアノに坐り、
唱歌者は、つゝましく樂壇に立つ。
はにかみて梢々赧き眼のほとり、
ふくやかに肥りたる色黒き頬。

暮近き森の樂堂、
一時は明るくひかり、
やがてまた沈みて暗し
顫え、泣く、咏嘆詞(ありあ)につれて。

落つる日は窓越しに射し、
唱歌者の裳裾を這ふて、
今ぞ照る、其の胸に、その黒き喪服の袖に、
遁れゆく美くしき聲を慕ふて――

吾が胸のかくも鳴りしは、
何故か知るによしなし。


【十二月の朝】

わが心は停車せる瞬間の靜けさを思ひ、
窓ごしに射し入る日光をなつかしむ時、
車掌は呼ぶ、聲高く――「S――門外」と。

嗚呼十二月の晴れ渡る冷たき朝よ。
水晶を張りのべしその皮膚に
わが眼は痛み、心臓も、胃の底も、
將た心の奥も、諸共にかすかに疼く。

散水車は音もなく過ぎて行く、
そのあとを冬の日は尊く照らし、
濡れし地は、なが/\と線路に沿ふて、
快くしみ/゛\とその光を吸ふ。

物の象(かたち)は熱を病み、わが心はまどろみ、
かくてまた電車にゆれて、
過ぎてゆく………日比谷のほとり。


【水禽の群】

木の葉は落ち散りて水の底に沈み、
芝生は刈られて地の肌をあらはす。

冬となれば、
水鳥は入江の蔭にかくれ、
あるものは日を受けて芝生に眠り、
あるものは見捨てられたる魂の如く、
たゞひとり寂しく浮ぶ。

細長き樹立の白き倒影よ、
わが心にかなひたる冬の日光。


【靜なる日】

わが心は、靜かなる日を思ふ。――
かの荒れし公園の芝生のうへに
ふりそゝぐ、冬の日の
ほゝゑみて、黒き地に沁み入るごとく。

かゝる日は
わが胸の温室に、はぐくむ花も
人知れずほのかに開き、葩(はなびら)もあせばみて、
やがてまた散りてゆくべし。

わが心は、靜かなる日を思ふ。――
かの遠き北海の寂しき森に
抱かれし、青き沼、
その沼に浮びわく鞠藻のごとく。


【山の雪】  (少年の日の回顧)

谷川の水はよどみ、
里には小鳥が來て鳴いても、
山には雪が光つてゐる。

彼方にしづむ日の明るさ、
遠き山はみな白く、
空までたかく照りわたる。

靜かなる日は日につづき、
安き夜はまた夜につゞく、
その中に醸された小さき悲しみ。


【Blank Mind】

わが胸をして、
常に拭きたる黒板の如くあらしめよ。

われは休憩を欲す。
何ものにも亂されざる入江のごとく、
また日を受けて眠りたる都會の甍のごとく、
靜かなる休よ來れ。

煩はしき女よ、
わが胸を安らかならしめざる美しき者よ、
とく消えよ、
鹽酸をそゝがれし鉛のごとく。

わが胸をして、
靜かなる冬の日の如くあらしめよ。

何ものも入るなかれ。
自由に青き大空を吸ひ、
妨ぐるものもなき平和なるわが胸に、
何ものも忍び入るなかれ。

不快なる多くの顔よ。
重くるしき挨拶よ、作りごゑよ、
とく去れよ、
われをして縦(ほしい)まゝなる日に殘せ。

わが胸をして、
われ一人の勝手なる空想におけ。


【斷片】

子供の時から何でもためにならぬものが好きだつた、そし
て今でも。――

學校の書物をよむのはきらひで、
繪草紙や少年雑誌に讀み耽るのが好きだつた、頭痛のする
まで、夕飯の時間を忘れるまで。

講談物のおもしろさ。
田舎芝居の
皆鶴八重垣姫にうつゝをぬかし、そして自分
を、世に稀な秀れた者と思ひ込んだ。

なまけもの。――
仕事がきらひで、時間を浪費するのを好み、のらくらと、
何もせず日を過ごす。

そして今でも、
世の中のためにならぬ事、自分勝手に日を送る。


【畫廊にて】

一つ一つ階段を踏んでゆく時、
わが靴の音は快く樓上の壁に鳴る。

畫室には若々しい吾々の「同時代」と、
テレピン油の鼻をつく生きたる匂ひ!

石膏の胸像は、眼に痛く、白く沁み、
「服藥」の頬の血は、怪しくもづき/\と胸を突く。

(疲れたるわが腦よ)
廊に出で、しばし見る窓外の濠割の水。

ぼんやりと佇む時の
わが皮膚のなつかしき、輕き汗。

何處よりか響きくる呟きは
わが知れる、階下なる職工の「活字返し」か。

 著者(註)
    ■「服藥」=
フューザン會第二回出品・川上凉花氏作。


【歸るみち】

一日の仕事につかれ、
氣は重く、心は暗く、且つ腹はへり、
銀座より飛びのる電車。

室内の電燈は赤ちやけて曇り、
乗あひのつく息は毒瓦斯の煙のやうに、
どんよりと、煤ばんだ玻璃窓に這ふ。

わが靴の尖は隣人の草鞋にふまれ、
ポケツトの大切な買物は潰れんとす、
押しあへる乗客の蒼い顔、草臥れた苦い倦怠!

腰掛けに並んだ顔は、聲もなく物ういあくび、
「あァ」とあく眼の前の大きな口に
われもまた連れられて――哀れむべし――長いあくび。
(外光は今暮れてゆく………)


【Dilemma】

いらだたしき一夜、
群集と巡査とは睨みあひ、
街燈の瓦斯の灯も常より青し。

窓硝子のやぶるゝ音に、
喜びて叫ぶ聲、恐ろしき鬨の聲、
馳せちがう民衆と警官の劍鞘のおと。

哀れにも暴君のくるしむ姿、
われもまた群集ともろ共に手を打つて
幾度か「バンザイ」を叫ばんとせしが、されど……

かの家にはわが椅子あり、
わがペンもあり、
かかる時なほ忘れえざるわがパンの家。

雨のごとく石はふり、
群集は狂ほしく鳴りわめく、
いらだたしき銀座の一夜。

(「近代思想」1913年3月号に発表)


【地下線】

地中から掘り出した長い線――
その線を肩にして、工夫等の一むれは
懸け聲も力なく、諸共に引いてゆく、
『エンヤ、エンヤ………』

時は午後、
冬の日は靜かなる大路を照らし、
過ぎてゆく自動車のガソリンも
快く物ほしき腹にしむ頃。

工夫等は尚ほも引く、
地中から堀りだした黒い線、
その線を肩にうけ、手にさゝげ
かけ聲も力なく、『エンヤ、エンヤ………』

引き出すは『地の幸』か、
かの『海の幸』のごとくに、――
時は午後、冬の日は何事も無いやうに
散水の轍の跡に、水球(みづたま)に、きら/\と輝き渡る。

 著者(註)
    ■『
海の幸』=故青木繁作