詩集『塑像』より
【十月の朝】
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何となく腹だたしく、惱ましく
心はくらく
もの事のはし/゛\の氣にさわる
十月の青い朝。
疲れたる神經は
チク/\と毛針に突かれ、
薄く且つ痛める皮膚は
粟立ちて微かにうづく。
かゝる朝、青疊足に冷たく、
椅子の背も骨だちて着物にいたし。
金ペンの光はひえて
しみ/゛\と指先に沁む。
わが心に染まぬものみな亡べ!
かの銀のメスのごとく
快く刺すものゝあれ、など思ふ、
何となく腹だたしく、惱ましき、十月の朝。
【秋】
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月島の入江に並ぶラツコ船は、
來るべき冬の國
北の海を夢みて靜かにまどろむ、
そのマストに紅い秋の日。
秋の日はまた、
大川の胸に鳴る齒車の
浚渫船の鐵の錨に、
懷しくしみ/゛\と沁みわたる。
熱を病み赭く濁つた河の水は、
この日から深く澄み、
小蒸気のプロペラは、
さかしげに、快く、その水をかく。
【白壁】
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街裏の堀に舟を押せば、
ひき汐の水は
いそがしくひた/\と舟脚を洗つてゆく。
水際の白壁の家の窓から
女の顔、
ニス色の水の底から、
ぷく/\と雲母(きらら)色の氣泡がわく。
【七つの■の舞】 >>> 巾偏+白=はちまき …詩中では‘きぬ’と読ませている
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ヘロツドの繼娘(まゝむすめ)、美しいサロメは舞ふ
白い手に七片の■(きぬ)をもて。
舞臺には炬火(たいまつ)の烟が流れ、
バルコンの後ろの闇に、
月は照る、死人の如く欠伸して、
其の前に姫は舞ふ、しなやかに、しとやかに。
ユダヤ人(びと)、アツシリヤ人、
金色の盾をおき、銀色の矛を棄て、
足許に寢ころびて、
蛇の如く首をあげ、白い手の行方を追ふ。
ヘロツドの繼娘、美しいサロメは舞ふ、
白い手に七片の■(きぬ)をもて。
素裸體の乳ふくらみ、
頸飾り、胸飾り、寶石のふれあふ響。
老王は醉えるが如く、鈎攣(ひきつ)る如く、 >>> 鈎=原文は手偏
青い眼を瞬き、時にまた唸(うめ)き苦しむ。
豫言者の黒人に斬らるゝ夜、
ヨカナンの生首に、ばら色の唇のふるゝ夜、
何事もないやうに、
天井のテントには、桃色の電光が照る。
ヘロツドのまゝ娘、美しいサロメは舞ふ、
白い手に七片の■(きぬ)をもて。
(横濱、ゲイテイ座印象)
【『美はしきエレン』】
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『美はしきエレン』の曲は
靜かなる海の水の寄するが如く、
或は又旋風の唸るが如く、
樂堂の天井に、白壁に、はねかへる。
眼を閉づれば、わが腦は微かに疼き、
網膜に火の輪は映る。
夏の日の暑き晝寢に、
耳近く群る虻の
呟きつ、遠のきつ、もつるゝ氣はい。
黒きかな、黒きかな、
樂壇に落ち散る木の葉。
夜の如く、五位鷺の如く、また吾が心の如く、打ちしめり、
しめやかに弦を彈つ、
其の聲の悲しき叫び!
また見よ聽衆の愁へる顔を、
その黄なる皺める頬を。
感激も、興奮も、遠き日に忘れ去り、
犬の如き屍體となりて、
默然と椅子にうなだる。
セロは鳴る、ボウボウと、
ヰオリンは女樂師の、喪の袖の白き襦袢に、からまりて頻にうめく、
色のない樂堂を悲しむ如く、
或はまた廣やかなる大空を戀ふるが如く。
過ぎし日のわが心よ、
爭ふて別れたる戀人よ、
瘠せし人、蒼くして幽靈の如き人――
吾が腦は今はシネマか、痛し/\、
銀笛か、クラリネツトか、吹き破れ、吹き破れ。
『美はしきエレン』の曲は
靜かなる海の水の寄するが如く、
或は又旋風の唸るが如く、
樂堂の天井に、白壁に、はねかへる。
【窓の夕陽】
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吾が胸のかくも鳴りしは、
何故か知るによしなし。
彼の長き睫こそ、かの深き瞳こそ、
否、否、否、
彼の銀の高きソプラノ、
否、それも知るによしなし。
P夫人はピアノに坐り、
唱歌者は、つゝましく樂壇に立つ。
はにかみて梢々赧き眼のほとり、
ふくやかに肥りたる色黒き頬。
暮近き森の樂堂、
一時は明るくひかり、
やがてまた沈みて暗し
顫え、泣く、咏嘆詞(ありあ)につれて。
落つる日は窓越しに射し、
唱歌者の裳裾を這ふて、
今ぞ照る、其の胸に、その黒き喪服の袖に、
遁れゆく美くしき聲を慕ふて――
吾が胸のかくも鳴りしは、
何故か知るによしなし。
【十二月の朝】
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わが心は停車せる瞬間の靜けさを思ひ、
窓ごしに射し入る日光をなつかしむ時、
車掌は呼ぶ、聲高く――「S――門外」と。
嗚呼十二月の晴れ渡る冷たき朝よ。
水晶を張りのべしその皮膚に
わが眼は痛み、心臓も、胃の底も、
將た心の奥も、諸共にかすかに疼く。
散水車は音もなく過ぎて行く、
そのあとを冬の日は尊く照らし、
濡れし地は、なが/\と線路に沿ふて、
快くしみ/゛\とその光を吸ふ。
物の象(かたち)は熱を病み、わが心はまどろみ、
かくてまた電車にゆれて、
過ぎてゆく………日比谷のほとり。
【水禽の群】
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木の葉は落ち散りて水の底に沈み、
芝生は刈られて地の肌をあらはす。
冬となれば、
水鳥は入江の蔭にかくれ、
あるものは日を受けて芝生に眠り、
あるものは見捨てられたる魂の如く、
たゞひとり寂しく浮ぶ。
細長き樹立の白き倒影よ、
わが心にかなひたる冬の日光。
【靜なる日】
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わが心は、靜かなる日を思ふ。――
かの荒れし公園の芝生のうへに
ふりそゝぐ、冬の日の
ほゝゑみて、黒き地に沁み入るごとく。
かゝる日は
わが胸の温室に、はぐくむ花も
人知れずほのかに開き、葩(はなびら)もあせばみて、
やがてまた散りてゆくべし。
わが心は、靜かなる日を思ふ。――
かの遠き北海の寂しき森に
抱かれし、青き沼、
その沼に浮びわく鞠藻のごとく。
【山の雪】 (少年の日の回顧)
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谷川の水はよどみ、
里には小鳥が來て鳴いても、
山には雪が光つてゐる。
彼方にしづむ日の明るさ、
遠き山はみな白く、
空までたかく照りわたる。
靜かなる日は日につづき、
安き夜はまた夜につゞく、
その中に醸された小さき悲しみ。
【Blank Mind】
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わが胸をして、
常に拭きたる黒板の如くあらしめよ。
われは休憩を欲す。
何ものにも亂されざる入江のごとく、
また日を受けて眠りたる都會の甍のごとく、
靜かなる休よ來れ。
煩はしき女よ、
わが胸を安らかならしめざる美しき者よ、
とく消えよ、
鹽酸をそゝがれし鉛のごとく。
わが胸をして、
靜かなる冬の日の如くあらしめよ。
何ものも入るなかれ。
自由に青き大空を吸ひ、
妨ぐるものもなき平和なるわが胸に、
何ものも忍び入るなかれ。
不快なる多くの顔よ。
重くるしき挨拶よ、作りごゑよ、
とく去れよ、
われをして縦(ほしい)まゝなる日に殘せ。
わが胸をして、
われ一人の勝手なる空想におけ。
【斷片】
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子供の時から何でもためにならぬものが好きだつた、そし
て今でも。――
學校の書物をよむのはきらひで、
繪草紙や少年雑誌に讀み耽るのが好きだつた、頭痛のする
まで、夕飯の時間を忘れるまで。
講談物のおもしろさ。
田舎芝居の皆鶴や八重垣姫にうつゝをぬかし、そして自分
を、世に稀な秀れた者と思ひ込んだ。
なまけもの。――
仕事がきらひで、時間を浪費するのを好み、のらくらと、
何もせず日を過ごす。
そして今でも、
世の中のためにならぬ事、自分勝手に日を送る。
【畫廊にて】
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一つ一つ階段を踏んでゆく時、
わが靴の音は快く樓上の壁に鳴る。
畫室には若々しい吾々の「同時代」と、
テレピン油の鼻をつく生きたる匂ひ!
石膏の胸像は、眼に痛く、白く沁み、
「服藥」の頬の血は、怪しくもづき/\と胸を突く。
(疲れたるわが腦よ)
廊に出で、しばし見る窓外の濠割の水。
ぼんやりと佇む時の
わが皮膚のなつかしき、輕き汗。
何處よりか響きくる呟きは
わが知れる、階下なる職工の「活字返し」か。
著者(註)
■「服藥」=フューザン會第二回出品・川上凉花氏作。
【歸るみち】
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一日の仕事につかれ、
氣は重く、心は暗く、且つ腹はへり、
銀座より飛びのる電車。
室内の電燈は赤ちやけて曇り、
乗あひのつく息は毒瓦斯の煙のやうに、
どんよりと、煤ばんだ玻璃窓に這ふ。
わが靴の尖は隣人の草鞋にふまれ、
ポケツトの大切な買物は潰れんとす、
押しあへる乗客の蒼い顔、草臥れた苦い倦怠!
腰掛けに並んだ顔は、聲もなく物ういあくび、
「あァ」とあく眼の前の大きな口に
われもまた連れられて――哀れむべし――長いあくび。
(外光は今暮れてゆく………)
【Dilemma】
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いらだたしき一夜、
群集と巡査とは睨みあひ、
街燈の瓦斯の灯も常より青し。
窓硝子のやぶるゝ音に、
喜びて叫ぶ聲、恐ろしき鬨の聲、
馳せちがう民衆と警官の劍鞘のおと。
哀れにも暴君のくるしむ姿、
われもまた群集ともろ共に手を打つて
幾度か「バンザイ」を叫ばんとせしが、されど……
かの家にはわが椅子あり、
わがペンもあり、
かかる時なほ忘れえざるわがパンの家。
雨のごとく石はふり、
群集は狂ほしく鳴りわめく、
いらだたしき銀座の一夜。
(「近代思想」1913年3月号に発表)
【地下線】
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地中から掘り出した長い線――
その線を肩にして、工夫等の一むれは
懸け聲も力なく、諸共に引いてゆく、
『エンヤ、エンヤ………』
時は午後、
冬の日は靜かなる大路を照らし、
過ぎてゆく自動車のガソリンも
快く物ほしき腹にしむ頃。
工夫等は尚ほも引く、
地中から堀りだした黒い線、
その線を肩にうけ、手にさゝげ
かけ聲も力なく、『エンヤ、エンヤ………』
引き出すは『地の幸』か、
かの『海の幸』のごとくに、――
時は午後、冬の日は何事も無いやうに
散水の轍の跡に、水球(みづたま)に、きら/\と輝き渡る。
著者(註)
■『海の幸』=故青木繁作
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