折口信夫

おりくちしのぶ(1887-1953)

創作では釋迢空を使用。大阪の医師の家に生れるが、父親の放蕩により家計が傾く。苦労の末、東京の国
學院大學へ進学し卒業後教鞭をとる。民俗学者柳田国男に「沖縄行き」を勧められて当地に残る古の「型」
「もの」に感動し、なかなか東京へ帰らなかった。そこで得たことが民俗学者折口信夫の基礎となる。天
性の文学的才能が加味し折口は大胆にも「まれびと」「貴種流離譚」など、独自の言葉を駆使しその論文
を発表。最初、そうした言葉を心よく思わなかったのは、師の柳田国男である。しかし折口は柳田を生涯
にわたり尊敬し続けた。折口の興味は、民俗学に留まらず、国文学の発生にまで及んでいる。それらはほ
とんど「口術筆記」の形をとっていた。書き手(聞き手)は、折口の頭の回転の速さと独特の言い回しでつ
いていくことに閉口したという。生活能力に乏しい折口が、公私共に信頼をおいていた弟子の藤井春洋を
養子としたが、それは春洋本人は知らぬことであった。柳田国男が保証人であるその養子縁組を知ること
なく、春洋は硫黄島へ出征してしまっていた。間もなく折口の下へ春洋の訃報が届いた。今、折口は、遺
言通り春洋の故郷である能登の羽咋で春洋の隣に半分だけ眠っている。もう半分は、大阪の折口家代々の
墓で眠っている。/青空文庫より    

折口信夫全集 第23巻 作品3 詩

「現代襤褸集」より

【雲】

わらんぢを 蹈み脱いで
こらへられぬ 怒り湧く―。
 迸る腹立ちは、
八月の山脈に
 ―突入する
  わが激情

1947年11月「人間」第2巻第11號


【春汗】

春さきは しがぁなんぞ 銜へて
かなしみを ほき出すやうに
 森の中から やつて來る男―。
 その泥沓を 脱いで まああがれ

娘の肌に 汗ばむ喪服―
 そいつは 暗過ぎる。
出窓は がらすの
 くらくらする陽炎だ―

1948年4月「文藝春秋」第26巻第4號


【日本の戀】

日本の亡びる日が 來ても、
娘たちは 花櫛なんかさして
 歌つてゐるだらう と言ふ―
 豫想に、いらいらして居た
  我われのまへに―

につぽんの衰へる日は 來て、
日本のむすめらは 無感覺になり
 一樣に 寡婦(ゴケ)の喪服の
 薄汚れたやうな物から
   短い脚を出して すたすた來る―

すれ違ひざまに 君を避(ヨ)け損つて
横仆しに投げ出された
自轉車の年―その顔―
 どつか お痛みになつて―
 まあ 大變―
これ位の勞りを豫期した顔の 失望

年の~經は 蝙蝠のやうにうら枯れ
年の容貌は 
穿山甲の如く這ふ
 生き難い島の日を 生き戻り
年の血液は、唯一疋のおほ蜥蜴だ―。
悲しむにも 怒りを以て表情する―。

そんな年が―瞬間
憤ることに途惑つて、
忘れ果てた い愁ひを浮べる―
日本の戀は ほろびるのだ。

戀の亡びた日本なぞ どつかへ行了(イツチマ)へ

1948年3月15日「毎日新聞」


【歎きの繪】

 弟は
いまだに 足駄なんかはいて
日本のどぶ板の うへを
 重くるしい足音で あるいて來る―

 弟の戀びと と言ふのに
會つてやつたが―、
美しいにはうつくしい 子だつたが、
 何か斯う 空目などつかつて、
 人の言ふことに 氣を入れて居なかつたりして―

 弟は このごろ
どこか 若い女性めいて
―すぱすぱと おぴゅうむらしい煙を吐き
 空間に きやしやな抒情詩風の文句を綴る

 兄さん 僕 音癡だつてね―
 音癡さんのお相手は しないことよ
―て 言はれたの―
弟は 額髪を揃へてきり 垂(サガ)つた毛の間に
漆のやうなK瞳を 濡らして居た。

すぷりとの 猫のやうに
まるまつちく 頬を輝してゐるので―、
 その憂ひは まことに 柔(ナゴ)やかで―、
 やつこさん やつてくれるな と悲しみに安んじることが出來た。

 安んぜよ。 弟よ―
おまへの女の子の すべてのそぶりが
然(サウ)して―おまへの身に どんどんしみついて行く

娘が完全に おまへから立ち去つた時―、
おまへの身を以て
あの娘の一擧一動を―
一瞬のしなやかな身じろぎまでも―
 描き出すやうに なるだらう。

『おまへの心に把握した 匂ふやうな姿態―
あゝ 覆る 珊瑚を刻んだ白塔―、
おまへの感覺を活す 東洋畫風の性靈だ

おまへの感覺を活す東洋畫風の性靈が
おまへの心に把握した匂ふやうな姿態を
 美しく描き出して 我々を悲しませるだらう』

足駄を覆(フ)んでは 來なくなつたが―、
東洋畫に謂ふ―性靈が、おまへの感受を活して、
おまへの心に把握した 匂ふやうな姿態を
ますます麗しく寫し出して、
我われを悲しませることだらう

1948年6月「詩學」第3巻第5號

+------------+
(註)
 ■空目をつかう=見て見ない振り。上目遣い。虚ろな目付きをする
 ■おぴゅうむ=opium=阿片


【暗渠の前】

丘陵と平野との 入りくんだ田園都市のあひだを
流れくねつて來た 野川が、市街に入つて、
やがて 大きな停車場下の暗渠に 流れこまうとする寸前―
涸れきつた冬の流れが、深い塵埃と 泥の堆積に堰かれて
―細ぼそと―だが、武藏野の流れを思はせるやうに
 澄んでせゝらぐ處に―彼は居た。

つめたく 凍えて彼は居た。
 この言ひ方は 少し正確を缺いてゐる。
 彼の縁者の一人も、自分の目で 彼の姿を見たのではない―
流れの上に 假り橋が架つて居て、
燃料倉庫へ 通ふことになつてゐる―
その倉庫へ 貨物を はこんでゐた驛員の幾たりかが
見たと言ふ話を 復聽きに聞いた 不確かな噂だが―
 彼は居た。投げ出されて―。

せなかを上にして、大の字形(なり)に投げ出されて居た―。
美しいずぼんをはき、C潔なわいしやつを著けた 上衣のない死體を―
醉つぱらひか 行路病者の 自業自得の死を憎むやうに
―その日終日……それから まう一日……恰も引きとりてのないことを
 豫期したやうに、あつさり
火葬場の竈穴の残り火に投げこんだ−。

その翌日 晝過ぎ―。遥かな山の村から彼の兄が 馳せつけた時、
既に一年も 保管してゐた物をくれる樣に―
砂つぽい牀(ユカ) 埃つぽい机…… 其よりももつと紛亂(ゴミゴミ)した
戸棚の雑物の上に はふり上げてあつた角な箱を
あんな死状(シニザマ)をした 死者に對する―
胸くそ惡さの意趣ばらしでもするやうに―
 がたくたと 音立てゝとり卸し、ぬつと 彼の兄の胸に つきつけた。

兄はたゞ、せつない喜びを感じてゐた。
―でも、よかつた。彼のからだ―だ。
 ひよつとすると、喪失(ナク)しきりに見失ふことになるかも知れぬ
と虞れつゞけて來た 彼のからだ―だ。

 なによ―ぼやぼやしてるんだ。
 判こ押すんだよ。こゝとこゝ―。
謂れなく叱られてゐる樣な感じが―
叱られて ぢつとこらへてゐる感じが―
 弟に對して してゐる善行のやうに…
兄は こらへとほした。
ほとんど無感覺な男になつて―。

兄の前には 大きながらす窓
横目を受けて 沁みるやうな冬の反射
その外の通りに―人が行き、自轉車が行き
今 電車が 行つた 三十分隔(オ)きの―。
これ以上 汚れることの出來ぬほど
蜘蛛の巣の はりついた窓がらす。
その前に 立ちはだかつてゐるらしい
小がらで 色が白く 頬のほとつてゐる
耳の ぺたつとした―此だけの 會社員風の顔 動かない 鋭い瞳
 瞬間 兄の目は 此だけを視覺した。

萬年筆で書きこんだ 住所氏名の欄に、
其縣 某郡 某町 縣立中學校々長某
證券いんきがにじんで、すぐ 乾いた。
内ぽけつとから取り出した 印莢(さや)
二十年前 家督と共に
父の手から 受けとつた水晶の印
兄弟愛の立ち會ひ人に
父が出てくれた 實感を以て―
 嚴粛に 捺印する―。

何某の下に 押しあてた 水晶の感覺が、
何かC冽な水を覺え
次いで―澄みきつた一連の珠數―。
なごやかな珠數の瞳が 相集つて、水晶の印材に還つた時―、
 どんな野獣の胸にも 沁みこんでゆける博い―
 はればれとした心の泉に 立つてゐる自分を見た。

 どんな動物の~經とも をれあつてゆける のんびりした―
 外貌(ミテクレ)のよいことばを
 自由にする 自分を見た。
恭しくさし出す 爪の先まで充血した兄の手から
ひつたくる樣に とりあげた相手の目を
兄はやつぱり うつとりした氣分で 眺めてゐた。

 ふん とでも言ひさうな 空氣の微動
 でも幾分か 禮譲ある人間のことばで―
 じつさい 困つたもんですよ。
 行路病者の始末には しよつちゆう
 泣かされてるんでね―。

何千圓を容れた がまぐち
がまぐちををさめた 上著
肩の凝るほど 著重(キオモ)りのする外套―
 親身の感情は、それ等の盗難の残忍性向けて、
 火のやうな憤りを 凝結させてゐた―。

しかしなぜ この警察事務官のやうに、
思ひを専ら 亡き骸の上に 置くことをしないのか―。
生命なきものゝ故を以て、假借することセンチ毫末もなく
薄汚く 秩序を潰滅させた のたれ死に對する怒りを
 かくの如く 直言することが出來れば
弟の死と 弟の死をめぐる親身の感情を
もつと正義化することが 出來たであらう。
尠くとも 死んだ弟の身替りに―
 豚函なんかに叩きこまれる怖れに
 びくびくすることなどは、なかつたらう。

ともかく おれには出來ない。
やつぱり 山奥の識者として
 過去の知識に生き、人情に溺れて暮すのが、宿命なのであらう。

すつかり夕かげりになつた 窓に向ふ位置を離れて、
何か 感謝したいやうな 心もちで、
深く頭をさげて 玄關へ―。
 ほつと 息―。
 弟よ。もうこれで おれと還つてくれ。
 おまへを 置くのに こゝはあまりにひど過ぎた―。

教養の高いおまへが 教養のない薪ざつぽう見たいに 燒かれて、
田舎識者と謂はれたおれが すつかり
とまぐれて、教養をふつとばし
なかんづく 愚な半日を 今日は過した。
だが愚に近かつたのは、おれたちだけぢやないぜ―。
いくさ呆けに ぼけた日本人には、
ひとりの智者だつて 出て來ないのだよ。
わかつたかい おまへ―

 じれつたさに 箱をゆすると―、
箱の中で、骨(コツ)のかたよる音がした。
 ほい 弟は居たのだ―。
 骨(ホトケ)が戻つたゞけでも

戦死者よりも 弟の方に
 幸福が残つてゐた と謂へる―。
 なあ さうぢやないか と箱をゆすると、
ことことと言ふ 箱の中の 音

1948年9月「表現」第1巻第4號


【俯瞰】

悲しむ女 窓により
見おろしてゐる街の うへ
 はすかひに來る 自動車
 つぎつぎに衝突し
  深ぶか けぶる夕明り

ほのぼのと 路上に移るもの
しみじみと 目もて追ふ

 はんかちの 白き憂ひ―。
 いつまでも 昏れ残るへ
  出てゆかむ。無帽にて

1949年「若木文學」春季號


【生滅】

 ざあつと言ふ音―。
とてつもなく ひろがつたおれの翼
おれは 空を渡つてゐる―。
 眞白な總身を叩いて 飛ぶ白鳥だ。

でも おれの、昔から持つた悲しみを
だれが 知つて居よう―。
何かかう 明りのさす地層のなかに―
 蚯蚓でゐたをとゝひだつた―
 さうだ―。目がなくて
仰いた口だけが ものを考へてゐたおれだ―

 きのふは 空想のない犬で 氣樂にゐた。
 腹のくちなくなるだけの 日々に飽き飽きした。
 いつそ おれが 消えてなくなればよいと思へた―。
 死にきることの出來ない 生物に生れついて…

 たゞ飽きることだけが、能力だつた―。
 あきた瞬間 ひよつくり 思ひがけないものになり替る。
この白鳥の身も 明日は 飽きてしまふだらう―。
 飛んでとんで、飛びくたびれたら
 今度は 岩山の苔に なつてゐるかも知れない。

死にきれないおれ
 死にきれないことを 考へるにも あきあきしてゐるおれを
 だれも もう かまつてくれるな

1950年2月「改造」第31巻第2號


【堀君】

唐松の遲き芽ぶきの上を
夏時雨 はるかに過ぎて―
 黄に 深い 山の入り日

1949年2月「表現」第2巻第2號


【堀君 二】

冬いまだ 寢雪いたらず
しづかに澄む 水音―
 君ねむる。五分 十分―。
 ほのかなるけはひを覺え
 おのづから まぶたをひらく

 日のあたる明り障子
 たゞ白じろと ひろがり
 見し夢の かそかなる思ひに つゞく


【堀君 三】

みつまたの花咲く日
山原を 行きしかな

山の戸をあけたる娘
家こそは 小さかりしか

もの言はぬ娘の
K瞳(メ)の 冴えざえと小さかりしか

みつまたの花咲く 道くだり
うつうつと 若きはたちを歎きたりけむ


【堀君 四】

村の子を 友として
遊べとぞ 君を思ふ

さ夜ふけて、枕べに
ほのぼのと Cきくれなゐ
 げんげんの花莖を
 見出でなどして―
 君が心 たのしくならむ

村の子を 友として遊ばねど、
たゞCき生きものなる
村の子は 君が心を知りて
 瞻(マモ)るらむ。 君が門を―
 君が居る 窓のあかりを―


【堀君の訃】

堀君の訃を聞いた その午前―。
私は ほの暗い博物館の廊下に
―茫として立つて居た。

漢・魏・晉・唐代の副葬品
數多い陶俑(タウヨウ)見入つてゐる私を―
 咎める氣で、いつぱいになつて居た。
友人の最後の息をひきとつた日に、
古代支那の墳墓のかをりを吸つてゐる私―。

 さうして其が、友人の喪の第一日を過すもつとも
 適切な爲方のやうに 考へてゐる私―。
古塚の墓土偶(ハカニンギヤウ)の 深い眠りに比べると、
私の友人は、つい今し方、靜かな夢を
 見はじめたばかりなのだ―。

あゝまだ聞えるらしい。幽かな寢息。

1953年7月「群像」第8巻第7號


【弔辭】

   このさゝやきが、はるかなあなたの心に 達することを信じて

既に病人であつた堀君が 四季を編輯し、
その雑誌の一投書家としての
私の、たのしい日々が―そこにあつた。

其頃の氣もちを追想すると、
ひたすらに堀君を尊敬した
弟子の一人だつたことは、確かだ。
その後、堀君の友だちのJさんに
 この氣持が、告げたくなつた。

Jさんは、私を非難するやうに、
堀が、詩を何篇かいているか、ごぞんじ−
いや 知りません。
 そんな―弟子の詩人といふのが、ありますか。

言はれて見ると、さうだ。
師匠の數篇きりない詩をすら、
 讀み知つてゐない弟子などが―
 存在してよい、訣はない。

しかし私は今、かう言ひたい心で いつぱいだ―。
 ねえ、Jさん、人が、人の弟子であることを誇つてゐる時、―
 もしあなたなら、
 君は、僕の弟子なんかぢやないよ。
 さうお言ひになるでせうか。

堀君にすら、弟子だといふことを認められないでしまつた私です。
 其を あなたはも一度、明白に否認しようとなさつた。
JさんJさん―私のしんからの抗議です。

 堀君も、遠い世界の耳をそばだてゝ、聽いてゐて下さい。

1953年7月「群像」第8巻第7號