大鹿 卓

おおしかたく(1898-1959)

愛知県生まれ。1922年、京大経済学部を中退後、東京府立第八高女の化学教師となる。1924年、
兄の
金子光晴らと「風景画」を創刊し、詩を載せた。以後「抒情詩」「日本詩人」などに発表。
詩集『兵隊』を刊行した。この詩集には倦怠感の詩・モダニズム風など多彩な詩が収められ短
詩・散文詩も合せた中に新鮮な比喩や豊かな想像力が光っている。その後、小説を書き、『渡
良瀬川』で新潮賞を受賞した。/「日本現代詩辞典」より

自傅

 その頃、赤城下町の崖下の金子光晴の家には、若い詩人仲間がよく集つた。金子がフランスから歸つて
間もなく、大正九年前後のことで、
福士幸次郎の「樂園詩社」を引受けて主宰してゐたからである。私も
よく遊びにいつた、
吉田一穗、國木田虎雄(*註:独歩の長男)、佐藤一英平野威馬雄(*註:レミの尊
父)、林久策(
木々高太郎)、サトウハチロー永瀬三吾を知つたが、まだ詩にも詩作にも關心はなかつ
た。 大正十年、私は京都の學生々活をやめて東京へ歸り、またしばしば赤城下の家に出入して、宮島貞
丈や牧野勝彦などと金子からフランス近代詩の講義を聽聞したり、アンソロジーをテキストに輪講をやつ
たり、そのあとはいつも野放圖もないよた話になつて夜更しをした。當時は放肆な生活をしてゐるやうな
意識もあつたが、必ずしも惡賀なものではなく、むしろ純眞だつたやうだ。
 その頃はよく小旅行をした。金子と二人で、松江に
中西悟堂を訪ねたり、牧野を加へて三人で一夏を大
島にすごしたりした。大島から歸ると翌日が
大震災だつた。その大震災で私の家も類燒したので、いはゞ
一家離散のかたちになり、私は勤先の或る女學校の宿直室へ入りこんで自炊生活をした。
 その孤獨で無聊な宿直室の夜々、私は本氣で詩といふものと取組みだした。毎夜日課のやうにして習作
をノートに書きつけたが、その刺戟となつたのは、やはり金子やその周圍の人々の近代詩に對する情熱で
あつた。彼らが作る詩ぐらゐ自分にも作れるといふ若氣の對抗意識や負け惜しみからだつたともいへる。
そんなわけで獨りコツコツ習作をつづけてゐたが、何かのをりに金子にそれを知られ、また宮島や牧野が
知つて雑誌をやらうといいだした。その結果金子と
森三千代を加へて五人で「風景畫」といふのをはじめ
た。大正13年のことで、ともかくもこれが作品發表の最初である。「風景畫」は四號しか出なかつたが。
 雑誌「抒情詩」の出たのがその翌年の春の頃だつたと思ふ。これは詩史のうへにも特筆に価することで、
年少氣鋭の詩人が相寄つて清新な氣運を興さうとする先鋭なものだつた。「詩話會」に據つてゐた人々の
多くは作品活動がすでに固定化してゐた。「抒情詩」は既成の詩壇といふものに反發する人々の集りで、
ともかく文學運動の原動力である反逆精神だけは旺盛だつたやうだ。集つたのは、金子光晴、中西悟堂、
尾崎喜八赤松月船井上康文、萩原恭次郎、陶山篤太郎勝承夫岡本潤小野十三郎、岡村二一、
戸雄一高橋新吉渡邊渡、井福部隆輝、野村吉哉、角田竹夫、林芙美子、そのほか數人ゐたはずだが思
ひ出せない。私がその驢尾に附したのは中西悟堂の推輓だつた。思想傾向の雑多なのは、大正末年の時代
思潮をそのまゝ反影したものといふべきだらう。
 私はこの「抒情詩」に「兵隊」の前編を發表し、後篇を「日本詩人」に發表した。すると
萩原朔太郎
次の號でこれを推稱してくれ、
正富汪洋が新聞に書いてくれるといふ工合で、意外な反響があつた。
 詩集「兵隊」の出たのが大正十五年八月で、小林操の好意からである。
 昭和三年の早春、上野の
三橋亭でサトウハチローの「爪色の雨」の出版紀念會が開かれ、そのとき數人
のものが話し合つたのがきつかけで「全詩人聯合」といふものが生れ、四月に同名の詩誌が出た。これま
た要するに既成の権威に對する反逆で、雑誌はアンデパンダン的な發表機關にする抱負だつた。その意圖
はいいのだが、現實の問題として運榮がたちまち困難になるのは當然で、たしか創刊號だけで後がつづか
なかつた。今その創刊號を見ると玉石混淆ではあるが、ともかく百人ちかい人の詩が滿載されてゐて、や
はり澎湃たるものがかんじられる。 この「全詩人聯合」の挫折とともに、私は自らの詩作の筆を折つた。

全詩集大成「現代日本詩人全集9巻」(創元社)より




詩集『兵隊』より

兵隊

【兵隊】

(1)
兄弟!何を考へてゐるんだ。
銃を握つた手に葉蔭が戲れてゐる。

掃除が出來たら銃口をのぞいてみろ。
ラムネ玉のやうにつまつてゐる空で
梧桐の葉が鶏を酎ナくのがきこえる。

そこでお前は思ひを皆んな故郷へまで發射させろ。
その銃身の西洋錐のやうにねぢれた光にそうて。

俺は湯になつた水筒の水を飲んで、
鐵(かな)臭い匂ひの中で、水道と女の齒を思出すのだ。

+------+
(註)
 ■梧桐(ごとう)=
アオギリの異名。
 ■
西洋錐=ボールトキリ、クリコキリ

【漁夫】

(2)
夜明けだ!
夜明けだ!
夜明けだ!
黒インキの水のなかへ漬けて置いた
錨と俺達の心を引上げよう
洗面器のやうにい朝霧に顔を洗はせつゝ
俺達のからだをバリカンの齒のやうに組合せよう。

長い櫓がいうねりを庖丁で切り
胸は鐵の機械のやうに休みがない。
兄弟!俺の腹に響くお前の腰の力
俺もお前と同じことを考へてゐるのだ。

女が太股をはだけて雨戸を繰る頃だ
帶を結び換へるために乳房をぶるぶる振はせる頃だ。
女、女、女……俺たちは還つてゆく。

間もなく岸壁が霧の中から
鯨のやうに現はれるだらう
岩の上の女達の髪を朝の陽が染めてゐるだらう
兄弟!今日繋留索(もやひづな)を投げつけるのは俺の番だ。

だが俺達は互に心を隱して、
雪のやうな泡の中へ魚籃とともに飛び下りるだらう
女の眼にはこの褌の白さが痛く沁むだらう
俺の鼻先で舟を押す女の尻が大きく動くだらう。

瓦斯燈のやうな魚の光りで、俺は女の顔を讀むだらう。

+------+
(註)
 ■雨戸を繰る=さて、マンション育ちのあなたには不明か?


【獵師】

(1)
この徑は樹根が多いから
肩で鐵砲がとび上る
その度に俺は女を思ひ直してゐる。
白犬(しろ)!おまへはよくはずむ護謨玉だ。
よし、もつと急がう。落葉達の聲を呼び醒しながら
徑に落ちた木漏れ陽の猪ムを浮立たせながら。

白犬!お前の耳を枯葉のやうに動かせろ!
雉子だ……昨日も雉子だ。一昨日も雉子だ。
だが、今日の俺の尻をたゝくのはまだ煙草入ばかり。
いまいましい思出だが、しかし淋しいぞ
倒れ木の葉から尻毛の見えた夫婦(めおと)雉子
二窒セつたことが打つのを躊躇はせたのか?
椎の木肌に推しつけた心臓が冷々と縮んだためか?
精液に似た樹液の香に咽せたためか?

然し俺は鐵砲を身がまへると父親(おやじ)そつくりになるのだ。
白犬!
そのとき、眼と耳とに精鋭な氣魄を表はし、
銃口から俺の火がとび出すのを
白犬!お前もどんなに待つだらう。
俺は白い煙の間は、弾丸のやうなお前を見たではないか!

+------+
(註)
 ■護謨玉=ゴム玉。当て字
 ■雉子=きぎし。キジの古名。きぎす。


公園

【浴場】

銅の湯槽が私のものになつた。
タイルの白い床にざあざあと溢れる湯が
ガラスのせゝらぎを作つて朝を流す。

女の兒がゴム人形になつて坐り
桶に被せたタオルを風船玉の頬が吹いてゐる。

トンボの眼玉のやうな石鹸玉がもれ上り
天井の色硝子を映して女の兒の瞳へ近づく。
幼い頃は自分の夢を作るのが上手だな!

からだ中を眞白な石鹸にしたので
私も南洋土人になつた。
皮膚には生毛の感情が甘へてゐる
ぷすぷす不平を云つて消えるものがある。

感觸を失つた思ひは流して了はう
……鏡の前で私だけが俄雨にたゝかれる。

顔にひつついた髪毛の中を水の感情が流れた。
私は小鼠のやうな自分の……を見る。


【朝】

このポンプ井戸は嫌な泣き方をする
私はまた首をひねられる鶏を思ひ出す。
水の束が泣く兒のやうに洗面器を踏み鳴らし
樹漏れ陽が濡れた足の爪をなめる。

葉蔭一杯の洗面器から雀がきこえる。
水底の陽炎へ兩手を挿入れると
手首は水際から切り取られて
白い琺瑯に描いた果物のやうに曲つて光る。
これが女の手を握るのに餘りに醜かつた手だらうか!

私は嬰兒のするやうに手を陽に翳した。
皮を剥いだやうな指に女の血が流れてゐる……
水が胸を傅つて腋の下を擽つた。


【旅】

走るばかりの汽車は信用がおけない。
私の頭腦から揺り出される女、女、女……

空氣枕ではゴム臭い乳房が弾み
硝子の中では髪と齒ぎしりの音
白い朝が硝子の外を走りつゝ眼を覺した。あくびだ。
硝子戸が窓から畑へ飛び下りると
朝は白い手をぬつと差入れる。
私の頭を壓へてゐた莨の煙は猪ムであつた。
皆消えてしまつたので少し可哀さうだよ。

錬齒磨は白いので終りまで押出したくなる
鏡を見れば女の齒だ。
顎鬚よりこはい毛が私の齒をこすつた
私の顔は鏡をゆがめた。旅だ。


+------+
(註)
 ■壓へて=壓=圧の旧字=押えて
 ■莨=たばこ


【W.C】

洗面器のやうに白い便器の中で
勢のよい一本の放げがナフタリンを弄ぶ。

大膽な放尿ほどこころよいものはない!
私の齒は莨の吸口をくたくたに咬んだ。
眼鏡の下から煙とアンモニアが眼にしみる。
漆喰塗りの壁の中を汽車が通つてゐるらしい。
廊下をわけの解らぬことを喚いてゆくものがある
どうせ地下室だ。地震がきたら終ひさ!
放尿は頭脳をよくするか!

洗ひ流しの水で便器が合嗽を始める。
便器よ。くだらない心配をみんな飲み下してくれ。

+------+
(註)
 ■大膽=だいたん=大胆
 ■莨=たばこ
 ■合嗽=嗽=うがい


【犬】

犬よ。紫の舌を垂れた野良犬よ
あばらを蹴られたので舌が長くなつたのか!
植込の濡れ葉が男と女の瞳をまねする
噴水の中ではい電燈が泣いてゐる。

白い皿の上で骨のやうなフオークが鳴り
卓の下の薄闇で足と足が觸れ合つてゐる
犬よ。卓をくゞつてきたので眼が悲しいのか!

お前の濡鼻の前の私の靴は
今日の興奮に電燈を映して白い。
大理石の斑に零れたビールの泡がつぶれて
皿にあるのは汚れたキヤベツばかりだ。

白いエプロンよ。私と犬を暫く追出さないやうに
私の犬よ。お前のラムネ玉で見上げないでくれ
尻尾で瀝を掃くことをやめてくれ
情をかけることは私に怖しい。

+------+
(註)
 ■瀝=れきせい=炭化水素からなる化合物の一般的総称。
      アスファルトやコールタール


【雨】

引いた硝子戸が電燈を辷り落して
私の背中を後からドンと押した。
荒々しく傘を開いて弱い心をまぎらす。

一つおきに前に出す靴に雨が飛びつく
雨水が傘の柄を傅ひ下りてそつと私に悲しみを握らせる。
今頃歸つても電燈を消して寝てゐるだらう。
私は酒をのむと頭が冴えてしかたがない。

舗石が急に明くなり
自動車がビクターを鳴らして通る。
これから家までまだ一時間はかゝる
私は再び白いテーブルが抱きたくなつた。

+------+
(註)
 ■辷り=すべり


【ミシン】

期の空氣は頸と足の爪に冷く
蝉の衰弱をきくに耐へない。

女よ。ミシンを踏んでまぎらしてくれ。

力の罩つたミシンの響をきゝつゝ
目にもとまらない針の働きを眺めてゐると
針が私の頭を差すやうで氣持がよい。

女よ。もつと激しくミシンを踏んでくれ。
私に僅かな空想を追ふことを許してくれ。
その間にお前の指が小魚のやうに針を避けて
薄い縞セルに秋を縫込んで了つてもよい。

女よ。ミシンを踏んでくれ。

+------+
(註)
 ■罩つた=こもった
 ■縞セル=セルジの略。「セル地」と解して「地」を略したもの
       サージ。合着用和服地


【げんごろう】

私の机は髪よりもKい
原稿用紙のやうに電球にうつる障子の秋。

女よ。私は今もコップに水を握つて
電燈にくるげんごろうを待つてゐる。

……げんごろうはKいラムネの玉
休むまなく沈んでは浮き上り。
水の中で遊んでゐるかたくなで純な心よ。
女よ。そのKい瞳でこの水を覗かないか!

げんごろうがいま動かない泛子だ。
げんごろうのバネが壊れて了つた。
私の指がなんべんもKい釦を突いてみる……
げんごろうは本當に死ぬかも知れない。

女よ來てその細い指で觸れてくれないか!

+------+
(註)
 ■泛子=泛=浮


【眺望】

凭りかゝる幹の皮を剥きながら、
このまゝ血管を爽かな樹液で置換へ
私は松樹の生と位置を換へてもいゝと思ふ。

海が常に今日のやうにいならば。


焚火

【炭酸水】

樹影が卓子掛をレースにする
白の上に微風が薄紫を揺する。

い水平線で
二つの白帆が二本の指のやうに靜かに近寄る
私の友の瞳がそれを追ふのを見る。

勢よくはねる炭酸水の栓の音。
細かい飛沫が噴く爽かさ!
二つのコツプでは細い噴水を入交へる。
友よ。コツプの雪が檸檬にならぬまに。