森林太郎

もりりんたろう(1862-1922)

島根県津和野生まれ。1872年上京。東大医学部卒。卒業後軍医となる。1884〜1888年にドイツ留学。軍陣医
学の研究のかたわら、西洋芸術・哲学全般に思いを潜めた。帰国後「舞姫」などの創作に専念した。詩の領
域においては、
井上通泰市村賛次郎落合直文小金井喜美子(実妹)らと共に新声社を設立、訳詩集『
母影』を1889年に発表し、日本近代詩史上に芸術味豊かな清新なロマンティシズムの第一頁を開いた。その
のち15年間ほど詩作を絶つが1904年の日露戦争勃発に伴い軍医として出征。1906年1月までの3年間の体験を
詩・短歌・俳句の形を借りて詠出し、それらを集成した『
うた日記』が1907年に刊行された。同年11月、陸
軍軍医の最高職に上りやがて文壇再活躍時代に突入するがこの期における詩業は1915年、詩歌集『
沙羅の木
に集成された。訳詩・沙羅の木・我百首の三部構成で、15篇の創作詩を収めた「沙羅の木」は多彩な作風と
形式のうちに自由な詩精神が生動している。森鴎外の本名。/日本現代詩人辞典より


詩歌集『沙羅の木』  「沙羅の木」より

『沙羅の木』の序
詩は一篇一首が「全きもの」を做してゐれば好い。それが前後の隣と並んだ處で調の通ふ所があれば益好いが、
必ずしもさうでなくても好からう。詩人の讀者望む所は、巻を開いて一篇一首を讀んでさて巻を閉ぢて貰ふこ
とである。前をも顧みて貰はぬ方が好い、後をも見わたして貰はぬ方が好い。詩の植字を疎にして、多く空白
を存ずるのは、これがためである。贅澤ではない。…中略…沙羅の木は主として雑誌明星の後期に、私のした
試である。縦ひ中には他の場處で公にせられたものが交つてゐても、同じ時代に同じ嗜好から生じたのである。
明星の初期、中期は私は局外に立つてゐた。明治三十七八年の戦に、私が満洲ゐた頃、與謝野君夫婦と手紙の
往復をした。彼二人と私との交通は、戦が罷んでからも絶えなかつた。沙羅の木はそこに培はれた芽ばえであ
る。それが風殘雨虐の中に 苗して秀でずに、ここに哀な紀念を留めてゐる。…後略…大正四年夏 森林太郎



【沙羅の木】

褐色(かちいろ)の根府川石に
白き花はたと落ちたり、
ありとしも葉がくれに
見えざりしさらの木の花。

+------+
(註)
 ■沙羅の木=
ナツツバキの別名
 ■根府川石=小田原市根府川に産する板状節理が発達した安山岩の石材名。

【日下部】

汽車待つ間、木枕借りて
横になる竹えんの足
漬す水ちよろちよろ流る。

懈(たゆ)き目に見つつ眠りし
水いつか枕をぬけて、
耳の根をちよろちよろ流る。

+------+
(註)
 ■懈(たゆ)き=だるい


【朝の街】

朝あけ大路しめやかに
立ち並ぶ店まだ醒めず。
けはひひろびろ。

搏風(はふ)檐壁(のきかべ)をいろどるや
塗繪廣告繪看板
露にぞ映ゆる。

刹那ちりぼふひと群の
素足わらうづ破(やれ)帽子
新聞くばり。

+------+
(註)
 ■搏風=搏(打)つ風


【雫】

寒き雨電車を籠めつ。

ゆきかひに線(いと)きしろへば
迸るき火二つ。

人いきれくもるガラスを
まじろかでしばしまもりぬ。

窓面(まどづら)の雫小紋の
二つ三つ寄りては流る。

わが思(おもひ)そこはかとなく
浮び來るやがてぞ消ゆる。
鐸(すゞ)は鳴る
神田須田町

+------+
(註)
 ■籠めつ=たちこめる
 ■きしろへば=きしむ=軋む


【都鳥】

初夏の日暮、みどりの
ただ中に夕ばえ煉瓦
速(まね)かざるまらうどと立つ
高鳴るや嘲る汽笛。

機關(からくり)の不斷の鞭に
むちうたれはためき過ぐる
塗舟に經(たて)をゆづりて、
川の緯(ぬき)漕ぐわたし船。

房州と人呼ぶ聞きし
牙彫(げぼり)めくをぢ櫂とりて
中流のゆふあげ潮を
皺みたる腕(かひな)にしのぐ。

はや近しさんや棧橋。
水棹(みさを)には芥まつはり、
浮木觸れ、水底草(みなそこぐさ)の
乞兒(かたゐ)ぎぬちぎれ摩けり。

にび色の川淀水の
渦巻に、雌雄(めを)か、白鳥(しらとり)
並ぶ。こやさすらひ人の
ふりし日の風流(みやび)の記念(かたみ)。

舟人よ。あの鳥を見よ。
「はあ。ありやあかごめでがさあ。」
氣ぢかきにおぢぬさま見よ。
「臭くつて食はれませんや。」

+------+
(註)
 ■まらうど=まれびと=客


【三枚一錢】

足早き角(つぬ)の怪(け)、電車
さやぎつつ來てはとどまる
かねやすが門邊の逵(つむじ)。

降るる乗る蜉蝣(ふいう)の群に
聳(そゝ)り立つ麥稈(むぎわら)帽子。
何か爲る。汝(なむぢ)、壯漢。

籠(こ)のうちゆとりいでて呼ぶ。
「昨日の新聞三枚一錢。」

さやぎつつ電車過ぎ行く。
「昨日の新聞三枚一錢。」

+------+
(註)
 ■逵(つむじ)=おおじ=大路=大通り


【旗ふり】

戀人は辻の旗ふり。
物買ひに通ふゆきずり、
顔見れば君が手にふる
赤旗の色にぞいづる
わが丹(に)の頬(ほ)、さはれいそしき

目の前を、線(いと)鳴りひびき、
ゆきかへる百(もも)の車を
留(と)むる赤、放ち遣る、
軍(いくさ)行(や)る時をはかりて
鼓うち金うつに似て、
あからめは暫しもえせぬ
君なれば、かへりみぞせぬ。
あたらしや使はるる身の
口わるきわが内きみの
目をぬすみ、しつる粧(よそほひ)

いたづらになれど、わが戀
赤旗のとまるとおもふな。
横町(よこまち)にはやくも立名。

+------+
(註)
 ■丹(に)の頬(ほ)=赤い頬


【火事】

目にみえぬ箒うちふり
四辻のマカダム道を
夜の風横ざまに掃く。

店窓に電燈照れど
見かへらでゆく靴尖(くつさき)に
觸れて舞ふ新聞反古(ほうご)。

鐘をちこち。馳する提燈。
馳する影。そまや、忙しき
鈴鐸(れいたく)の聲耳もとに。

地轟く。人は蜘手に
馳せちがふ。おどろおどろし、
ぽんぷ遣る眞赤の車。

+------+
(註)
 ■マカダム道=道路舗装方法の一種
 ■蜘手=蜘蛛の手足


【Modele】

なりはひにまだ慣れぬ身の
みじろかでよくぞありしと
手にわたす黄金に、四つの
少女(をとめ)の目異(け)しう笑まひぬ。

まゐらする此花束は
名なしびとふたりがしつる
なりはひの始のやがて
果に得し黄金のむくい。

+------+
(註)
 ■Modele=モデル
 ■なりはひ=生業=仕事
 ■みじろか=みじろぐ=身じろぐ=身動きする=ポーズをとる
 ■異(け)=異様、程度が甚だしい、特に優れている、けなげ、殊勝、温和、柔和


【後影】

眞晝時。うち見るきはみ
黍を刈りし畑土。
畦道を騎り過ぐる民
閑却す手の中の鞭。

目鏡持つ人呼ぶ腮(あご)の
髯黄なり、敵と口疾(と)に。
火閃く。伸長駆歩の
後影黍畑横に。


【かるわざ】

立見塞(せ)く幕を卸しし
薄あかり。むかしの都盧の
裔(すゑ)か。子を竿にのぼらす。
しだり葉の蛙とすがり、
鳥と注ェのし、蝙蝠と
さがり垂る。 見る人はやす。

立見塞(せ)く幕を卸しし
薄あかり。僻目か。あらず。
見よ。子落つ、劔の上に。
さるをなぞ。泣きいざちこそ
聞え來ね。奥津城無言(おくつきしゞま)。
鈍き目に衆人(もろびと)見やる。

立見塞(せ)く幕を卸しし
薄あかり。肩ぎぬの人
おごそかに汝(なれ)もと呼びぬ。
第二の子のぼりぬ。落ちぬ。
然(さ)あるべき戯(たはぶれ)のごと
鈍き目にもろ人見やる。

立見塞(せ)く幕を卸しし
薄あかり。登りて落つる
子いくたり。鵙(もず)のはやにへ。
獺(かはをそ)は魚をぞ祭る。
幕の闇とはに贄呼ぶ、
人鈍き目に見る前に。

+------+
(註)
 ■都盧=軽業師
 ■奥津城=神道式の墓
 ■
鵙(もず)のはやにへ=モズが捕らえた獲物を木の枝先などに突き刺しておく習性。早贄


【空洞(うつろ)】

うつろなる家こそ立てれ、
つねに行く丘のつかさに。
槌のおと夜晝絶えず、
月をだに踰(こ)えぬあひだに、
天(あま)そそり立つ杉むらと
肩並(な)むる家ぞいできし。
湖の、見はるかしつる
上みれば、晴れたるに虹、
かけわたす長橋。これも
束の間のいささめづくり。
石まがひ白くかがやき、
その影は水にも映り、
中島の赭塗祠(そばぬりほこら)

つねよりも小さく見えぬ。
見よ、家は空洞なる家。
薄板を重ねだにせぬ
壁打たば、琴の樋(ひ)のごと
鳴りなまし、見よ、長橋も
ぬり色の一重のさかえ。
人踏まば、日の照す霜、
かがやける色は消(け)ぬべし。

しかはあれどここに寄り來る
千萬の寶の數を
列(つら)ねんと、家をぞ作る。
その寶見に來ん人の
便(たより)にと、妻問(つまどひ)します
彦星のためならなくに、
鵲(かさゝぎ)の橋をもわたす。
疑(うたがひ)の心抑へて、
塵泥(ちりひぢ)と崩(く)えん日に逢ふ
うつろなる法(のり)を遺しし
いにしへの聖をぞおもふ。

+------+
(註)
 ■赭=赤土
 ■琴の樋=胴の部分
 ■妻問い=求婚すること。特に、男が女の家に行って求婚すること


【人形】

うなゐ子に人の贈りし
豆ほどの人がたいくつ、
たひらけき折敷(をしき)の上に
立てなんとすれば倒るる
立て難きこの人形に
さも似たる「論」いく條(くだり)、
あるみ行く舟の卓(つくゑ)に
索(なは)張りて皿置くがごと、
手づつにも立つとする間に、
咀はれし手まづ疲れて
いきの絲やがて絶ゆべし、
「系統」はTorsoなして。

+------+
(註)
 ■うなゐ子=小児、小さい子。髪型(髫髪=うない髪)から
 ■Torso=トルソー=頭や手足のない像。未完成(不完全)なもの、作品


【海のをみな】

海の邊に立てり。
身赤裸なり。
足元に伏せる
Kずめる岩に
かかれる高フ
藻なせるわが髪
風にぞ亂るる。
廣き、廣き濱。
紺の水を
湛ふる海原。
弓なし曲れる
一筋の白き
小ゝ縁(ささべり)は碎け散る
波の水沫。
こごたの女子(をみなご)
皆裸なるが
沙に伏すもあり、
波かづくもあり。
眞白き肉(しゝ)むら
あるは黄なる白を、
射返しかがよひ、
あるは水の面(も)に
隠れて、しばらく
魚の背なす
匂をぞ見する。
女子の顔は
いづれもいづれも
笑まひを帶ぶれど、
目差し(めざし)ただならず
憎き嘲(あざけり)の
色に照り映えぬ。
あなや、そがひとり
馳せ來(く)と見るまに、
右手(めて)わが左手(ゆんで)に
緊(きび)しくからみぬ。
振り放たんとす。
離れず。かなたへ
ただ引きにぞ引く、
美しき口を
方(けた)に見ゆるまで
開きて笑へり。
目石決明(みはび)の貝を
返したる如く
きらきらと照れり。
鱗光る
蛇(くちなは)のひしと
纏(まつ)はれたるに譬へむ。
わが髪は空ざまに
立ち、肌粟立つ。
わが右手には利(と)き
劍を持ちたり。
さはれ切りつべき
心は起らず。

兵(つはもの)率(おとも)ふ
人の駆引に
取る劍のごと、
ただ柄(つか)をひしと
握り持ちてあり。
われは女子を
見、目をめぐらして
持たる刃を見、
引かれじとのみぞ
すまふ。ふと見れば、
海なる陸(おか)なる
女子の眼
知らぬ詞もて
囀りかはして
われ等のめぐりに
輪を作り集ふ。
魚市の如き
腥(なまぐさ)き臭(にほひ)
我鼻を撲(う)てり。
輪はせばまり來ぬ。
わが左手取れる
女の體と
輪をなす女の
體と相觸る。
左手引く力
加はり加はる。
波打際へぞ
やうやう引かるる。
わが右手には利(と)き
劍を持ちたり。
輪をなす女も
身にはえぞ觸れぬ。
あな、我はかくて
海のいづくへか
引かれて行くらむ。

+------+
(註)
 ■右手(めて)、左手(ゆんで)=馬手と弓手から
 ■方(けた)=かどがあるさま。四角いさま。けだ、とも。
 ■
石決明(みはび)=アワビの一種


【直言】

金縁眼がね、バイシクル。
留守を使へど、まのあたり
歸るを見つと、上がり來る。

「是非高作の掲載を
 こたびは許し給はりて
 添へん次號の光彩を。」

「生憎何も出來合ひて
 あらず、鼬や道切りし、
 インスピレエシヨン無沙汰して。」
「そこを押してぞわれ願ふ。
 たとひ詰まらぬ作にても
 お名前あれば人は買ふ。」

金縁眼がね、バイシクル
人は見掛によらぬもの。
此直言を敢てする。