岡本信二郎

おかもとしんじろう(1885-1942)

千葉県銚子に生まれ、1911年東大法科卒。1922年山形高校教授になり1926年から 約2年間ドイツへ留
学。1941年一高講師。1942年病歿。阿部六郎、神保光太郎、阪本越郎、亀井勝一郎等はその教えを受
けた。詩のほか俳句が多く、短歌もあり、それらは『
岡本信二郎集』三巻に収められている。ショー
ペンハウエル『意志と表象としての世界』の譯がある。/「
日本詩人全集 第四巻」より

岡本信二郎集・(一)』より

 

【貝殻】

一里南に
とゞろく海を知らざりし
いとけなき日の汐風の
くしき香を
ふる里の砂地の道の
砂の中より掘り返へす
子供がもてる
いと小さき
貝殻よ

1912.11




sea-mew よ 叫ばずや
嘲笑のなが眉ぞ小氣味よき

かゝれとて海や渡りし
逡巡のむろの「どん底」
執拗なスラブかぶれの
宿命の蛆の蠢めき

sea-mew よ 叫ばずや
嘲笑のなが眉ぞ小氣味よき

1912




「靜かなる曙」のかの友達の
死骸の如く美しき
雪國の彼誰時はしたしたと
闇の喪服にまかれゆく
淡き窓をぬけ出て
黄昏の胸にさ迷ふ
わが魂もまかれゆく
ビードロの空氣に包まれた
山々の頂に流れたる
寒い 寒い
シトロン色の薄明り
然れどもやがてそこには
ボリス ザイチエフの星チカチカとまたゝきて
わが魂の道を照しぬ
みよ 淡き窓には
暖かき燈火 軟かに匂へり

1913.1.6




晝間からの風立ちに
吹かれてゐる盆の月よ!
ごうごうといふ町の響の
俺はいまあの邊を歩行いて來たのだ
ぞろぞろと綺麗な人は
通るけれども
そこいら中にみちみちてゐる筈の
あいつは何うしたらう?
俺はいま膝をかゝえて
椽側にしやがむでゐる
つまらなく吹かれてゐる
孤獨な月よ!
頭がひしやげさうに痛むで
俺はなんにも出來ない

1913.7.15




つツ走れ!
炎天の光の中を
くるめく頭脳にめぐる思想の
メロディーは盡きず
日の道に當る地軸のゆるぎに
響き出す
俺はいま
メムノンの柱
つツ走れ!

1913.7.16




またけふも
頭のひゞれのひろがりに
崩れる蒸し雲
みろ!
こんなかぼそい莖の
うてな
眞つ赤な花が燃えてゐる

1913.7.16


【午後】

突き當りに燃え立つ雲が
ジユツと燒鏝をあてた通りを
かれはまツすぐにつきすゝむ
土用の午後の人通りははたちと絶えて
じりつく光に寂滅の響くゞもり
底なくみ淀むだ空は
死の影を沈めてまどろむ

けれどもつきすゝむかれの
汗のみゝずに血走るかんばせは
なほものみなの生けるあかしか
窒息した空氣の中に
じりじりと爆裂の力をはらむ

1913.7.21


【書斎にて】

どよめきよするうめきに
おのゝきやまぬ障子よ
力は内に漲れり
障子よ 障子よ
盾なる障子よ
いま たゝかひぞ たけなはなる

1913.9




見よ いまし 他界の空に
濁れる血汐の旗じるし
日は死せるか
夕靄のかけむくは
みだれとぶ蝙蝠の梭に織られて
なやましき眠り
野を襲ひぬ

夜は深し
しじまをめぐる
さこはかとなき水の調べに
野のぬかは
月代だつか
仄蒼き光のまたゝき
聽け いまし 闇の底より
甦る野のうたを

1913.10.14


【低唱】

白壁に息づく闇は
ゆけるすべてをつゝみたり
朽葉柳 みづにしづきて
古き水死の月を悼めば
もがりのうた
さすらふ橋や
たましひはそがひのくにに
あこがれの姿をうつす

1913.10.14


【野はゆるゝ】

野はゆるゝ
野はゆるゝ
大いなる響の中
日はなごみ 藻の影に
ちろめく麥魚(めだか)と
こゝろ 波立ち
むせびゆく
小川のこもり音

冬はいま喘ぎつゝ
ためらへる足もと
一つまみめる草に
ふとめぐる匂ひのむた
野はゆるゝ
野はゆるゝ
よろこびのきざし
はた なやみの波打つ如く

1915.2.18


【風景】

松の木を持つ風景が
人と犬とを載せたまゝ

やんまに曳かれて舞ひ上つた

中空へ
そこからぞろぞろ
百姓が仕事に出てゆく

落ちて來たのは自動車である
轉覆 崩潰
坂路に血が流れた

慥(たし)かにこゝだと思ふのに
未曾有の朝の光の中で
風景がすつかり變つてゐる

     ○

憂鬱の
おもくるしさ
このまゝ
化石するまで
この窓を
動くまい

けれどこの
憂鬱は
ときどき
圓い林檎になる
それを
手のひらに
のせてみる

かがやく卓布の
雲がわく
憂鬱の
林檎が
傾く

     ○

巻紙の
流れは
ひらがなの
をんなである

返信は
金ペン
タンポゝに似た
片假名の
花も咲く

すると
心臓の
インキ壺から
するどく舞ひ上る
sky-lark
横文字の
歌ひ手

1921.3.14