野村英夫

のむらひでお(1917-1948)

東京青山に生まれた。父は農林省官吏。祖父は吉田松蔭の門弟であった。早稲田大学仏法科に学んだ。受験勉強の
無理から発病し早稲田高等学院の頃から毎年夏には追分、軽井沢などに転地療養した。その追分で堀辰雄、室生犀
星津村信夫、立原道造、
中村眞一郎などを知った。「野村少年」と愛称されたが特に文学に関心を持っていたわけ
ではなかった。立原道造の死後(1939年)、『立原道造全集』の編集に参加し1943年頃から塚山勇三、鈴木享、
小山
正孝らと「四季」を編集し、この頃から熱心に詩作を始めた。1946年、小詩集『司祭館』を自分で筆写して数部つ
くり数編の小説や評論を書いた。また
フランシス・ジャムを愛読し、影響を受け翻訳したり小伝を書いた。
                                     /「
日本詩人全集 第8巻」より

…不意に僕はあの詩人が大きな悲みを鳥の翼のやうに抱きながら、始めて主に祈つたと云ふ彼の詩の中の教会は此処ではな
かつたのかと考へ始めてゐた。…僕には、その時の彼の悲みに充ちた眼差しまでがせつない程はつきり浮びあがつてきた。
だが、彼の詩はその時から次第に深味ある感動的なものとなつていつた。それは彼が自分の悲みに耐へながらそこからもつ
と永遠的なものをとり出した為だつた。その晩年の詩には、あたかも彼が死んでしまつた後も彼が愛した此の冬の村の教会
の十字架がやつぱり、黄昏の光に金色に赫き残つてゐる、そんな人生の永遠の切実さが滲み出てゐたのではないだらうか…
                 /『野村英夫全集』(国文社/1969)・・・「野村英夫氏の思ひ出」(遠藤周作)より


愛するものの…

お前が愛するものの死について
信じてゐることは
死者が白いレースに包まれて
たくさんの花と一緒に
墓地に運ばれてゆき
もうお前の見知らない遠いい所にしか
居ないと言ふことだけだらうか?
いつかお前が森の中で
一羽の死んだ小鳥を手にしたとき
その魂の遠いい空の中に
あることを信じたやうに
お前の愛するものの死を
そのやうに信じられるだらうか?
さうしてお前が
日暮れに窓辺に佇むのは
死者がそこに佇んでゐるのを
確かめようと言ふためではないだらうか?

【小道】

秋の午後の森の小道を
私は 私の戀してゐた一人の少女の母親と
二人だけで歩いてゐた。
私はその日、私の戀を母親の耳に
告げねばならないと思つてゐた。
破風のく塗られた別荘(ヴイラ)の前で
私はそのことを告げようと思つたが
私達はやがてその別荘を通り過ぎた。
アカシヤの並木道のつきる所で
私はそのことを告げようと思つたが
アカシヤの並木道もやがてつきた。
さうして私達はいつかまた私達の別荘に歸つて居た。
私は默つたまま暖爐の火を見つめてゐたが
その夜、夜更けまで明るい月の光は
細い窓掛けの隙間から
私の涙のすぢを映してゐた。

1946年作


【司祭館】

     森達郎に

白く透けた硝子戸にはフランスの新聞がはつてある。
埃りだらけの戸口にはどれも眞つKな
靴とマントと杖が置いてある。
その狭い司祭館の一部屋で
フランス人の老司祭は一人もの思ふのだ。
テーブルの上には古風な毀れた眼覺し時計が
いつも倒れたままで置いてある。
私はいつかそれを起して見たが
それは急に止つてしまつた。
司祭は笑ひながらそれを倒したが
するとそれはまた動き始めた。
こんな狭い一部屋で司祭は眠るのだらうか?
いつか司祭は寂しさうに笑ひながら
子供達にさへ小さ過ぎる
片隅の長椅子の上を指さして見せた。
テーブルの上に置かれた
い眞珠母色のマリアの像。
私はそのやうに清らかな
優しくてもの悲しい一部屋を知らなかつた。

1949年1月「詩人」より


【至高なるものへと】

もう帰つて来てはいけない
訪ねてはならない。
若しお前が
お前の愛したものが
またお前の見捨てたものが死者であらうとも。
もう足取りは奪はれてゐる。
ただ見失つたものへの呼び声だけが許されるであらう。
さうしてお前の
お前の愛したものの
またお前の見捨てたものの魂が
たとへ獣らのやうに射殺されたとしても
ただ幾つかの呼び声だけが
あたかも耐へて異れるものらのやうに
至高なるものへと立ち昇つてゆくであらう。

1949年2月「人間」より


【花嫁の冠は】

明るい歌声のやうにさざめいてゐた
花嫁の冠はもう取られただらうか?
さうして人生の悲しみも
もう一つくらいは見知つただらうか?
たとへば愛する者の心を見失ひかけたとか
幼い者の病むさまとか
時には神様が
それらの者をお召しにさへならうとしたとか。
さうしてもう気附いただらうか?
墓地のたくさんの十字架の下には
見捨てられた不幸せな魂も
眠つてゐることを。
そうしてもう見ただらうか?
かつて愛したものの幸せかどうかと言ふ
それらの死者達の問ひたげな眼なざしを。

1947年作


【それともそれは】

私の心の前に
鏡に映された眼なざしのやうに
またランプの點されて見えるやうに
お前の心が映され見えるのは
お前の心に何かの悲しみがあつたためだらうか?
ただ私が街かどで
幸福な者達を見て來たためだらうか?
それともそれは
お前がもう死者であるためではないだらうか?

1947年作


心のなかで

陽を受けた果実が熟されてゆくやうに
心のなかで人生が熟されてくれるといい。
さうして街かどをゆく人達の
花のやうな姿が
それぞれの屋根の下に折り込まれる
人生のからくりと祝福とが
一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。
さうして今まで微かだつたものの形が
教会の塔のやうに
空を切つてはつきり見えてくれるといい。
さうして淀んでゐた繰り言が
歌のやうに明るく
金のやうに重たくなつてくれるといい。

1949年2月「人間」より


【心のなかの石段を】

心のなかの石段を一段一段昇つてゆかう。
丁度、あの中世の偉大な石工たちが
築き上げた美しい聖堂を
一段一段、塔高く昇つてゆくやうに、
私達の心のなかの石段を
一段一段、空高く昇つてゆかう。
さうしてもう一度だけその頂から
曠野の果ての荘厳な落日に
僧院の庭に音立てる秋の落葉に
人々の群がつた街かどに
また愛するものの佇む窓辺に
別離の眼なざしを向けよう。
さうしていつか私達の生涯が
このやうに荘厳に終えて呉れるといい。

1949年「文明」より


【地に落ちた聖體】

そのとき聖體拝受の人々の流れは止つた。
祭壇の前に幾たりかの
白い尼僧達が跪いたまま眼を閉ぢた。
聖體盒は祭壇に置かれ
司祭は靜かにうな垂れた。
それは幾片かの聖體が
地に落ちたのだつた。
やがてそこには二枚の白い麻ぎれが覆はれ
聖體拝受の列はまた流れ始めた。
だが私はそのとき
その二枚の麻ぎれの下に
地に臥した人の血と肉とを
地に落ちたキリストの血と肉とをありありと思つた。
さうしてやがて聖體に宿つたキリストの血と肉とは
私の血と肉とのなかに流れてゆくのを感じた。

1947年作


【死者と生者の】

恰も、愛の甘い眠りの熟される
一部屋の壁に隣り合はせて
眠りのない言葉がまた祈が
耐えることなく囁かれてゐるやうに、
亡んだ愛の屍が
腐り果てた枯葉の間に
青い湖水の底に
また花々の間に
その甘い眠りを沈めるとき、
既にその土地と時とを失つた
死者の列と
生者の囁きと祈りとが
また天使と聖者との足取りが、
見知らない遠いい土地に
滅びることのない花々の冠と
立ち昇る歌声との間を
通り過ぎてゆくであらう。


【私の心のなかで】

お前は私の心のなかで
なかば生者であり
またなかば死者である。
さうしてお前が死者であるのは
それは私がお前に
幸福が異つた所にあつたことを
言ひ聞かせようと言ふためだらうか?
お前は私の心のなかで
なかば幸福であり
またなかば不幸である。
さうしてお前が幸福であるのは
それはお前が私に
お前の憧れの過ちでなかつたことを
言ひ聞かせようと言ふためだらうか?


【鳩時計を】

新聞紙の上に落される吐息のなかで
日曜日の食卓が花飾られるやうに、
お前がお前の髪を編んで
それに花挿した日の思ひ出が
また浮んで来て呉れるといい。
幼いものの泣き止んだ合ひ間に
鳩時計を螺旋巻くやうに
古びた樫の戸棚のなかに
もう蔵ひ忘れた冠を
時たままた思ひ出して呉れるといい。
さうして老いた母親の眼なざしのなかに
その花嫁の微笑みが見出されるやうに、
人生の疲れと不安とのなかで
お前の心にその旅立つた日の歌と歓びとが
また甦つて来て呉れるといい。


まだお前は

時としてまだお前は
私の心のなかにゐるかのやうに思はれる。
然しそれは既に愛のためではなく
それは感謝と祝福のために。
お前は私に人生と言ふものを教へてくれた。
嘗て私の愛のために
少女らしい微笑みと憧れとが
お前の髪に花輪を置いたやうに、
今、私の感謝のために
人生の気高さと祝福とが
やがてお前の髪に
金の冠を置いてくれるといい。


夏休み1

小さな花の縁飾りのついた田舎道を
二つの白い蝶のやうに
私達の自転車は走つて行つた。
それはその田舎の村に
私と一緒に暮らしてゐた一人の少女のお母さんの
絵を描きに来る友達を
町の停車場で見つけるためだつた。
だが停車場では見つからないで
一人の詩人の家だの
町の教会や水車場で遊んだりして
夕方村に帰つた時には
もうそのお母さんの友達は村に着いてゐて
二人で森に絵を描きに行つてゐると言ふ手紙が
西洋菓子の箱と一緒に
テーブルの上に載つてゐた。


いつもカナリアの鳴いている

いつもカナリアの鳴いている
古びた司祭館の角口で
私が始めてフランス人の老司祭と手を握ったとき
あなたは教師かと尋ねられた。
私が詩人だと答えたとき
それは価値のある暮しだと笑いながら
司祭は私の肩にその大きな手を置いてくれた。
ある春の日暮れに
私が司祭館をまた訪ねたとき
あなたの結婚のためかと尋ねられたが
私はただ首を振っただけだった。
そうして御復活祭前の告解日がやって来ると
細い格子戸の向う側の
私の頬にすぐ近い司祭の顔には
いつもより痛ましい悲しみの色がその目に浮んでいて
思い出のように苦いパイプの匂いが
その口髯の辺りに漂っているのを思い出す。


【改心】

神様、大きな悲しみが翼のやうに
私の心を包んだのでございました。
あの聖母座の暗い御堂の片隅で
私がお祈りを致すやうになりました日には
風に吹かれてまゐります小鳥のやうに
一人の優しい少女の笑ひ声に追はれながら
木の葉の散つてゆきます並木道を
私は御堂に急いだのでございます。
さうして私が静かにお祈りを致しますとき
ただ私には忘れることが出来たのでございます。
少女の心の優しいことを
光つた流れのやうなその明るい声を
影のやうなその微笑みを
さうして私の心の苦しいことを。
神様、今も小鳥たちは
冷い空を風に吹かれてゆくでございませう。
さうして今私はそんな小鳥たちより
どのやうに幸せでございませうか。


【忘恩】

私はいつかフランス人の老司祭に
フランシス・ジャムの詩を習つたが
貧しい私はたつた六個の
マルメロしか
それに報いることが出来なかつた。
そのことは長いこと私を苦しめたが
あるとき司祭がフランス人の間でも
稀な高徳者として知られてゐることを聞いたとき
私はやつと安心した
そのやうな高徳の司祭なら
私の忘恩の罪をも許してくれるだらうと思つたのだ。
さうしてあの暖い司祭館の戸口で
私と椅子を並べてフランシス・ジャムを読んだ
司祭の日に焼けた鳥打帽子
青ざめてもの悲しさうな唇
ボタンのとれた貧しい司祭服のうちに
私はより大きな高徳をまた思つた。