【山上の岩】
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神よ 神よ 神よ 神よ
神よ 神よ … …と
限りなく神の名を呼んで訴へたでもあらう
祈つたでもあらう
十年ほど前までの俺ならば
それほどに今俺に負ひかぶされてゐるものは重い
だが今俺は訴へない
祈らない
ダンテの地獄のヴァンニ・フッチなどを思ひ乍ら
俺は頑なに默する
腰を据えて天の一角を睨みつゞける
かくて――
この重荷とたゝかひつゞけてゐるうちに俺は
山上の岩ともなるだろう
默しつゞけて、
睨みつゞけて。―1935年頃作[未発表]―
【自然は卑屈を知らない】
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雨霰のやうに、といふが
そんなどころではない
屋根瓦も打ち壊さんばかりの物凄い雹だ
轟々たる雷鳴の中に
飛沫をあげて飛び散る無數の樟腦玉
八ツ手もかなめの木も穴をあけられ、もみくちやにされてゐる
見れば、庭の片隅で
可憐な石竹もびしよ濡れになつて叩かれてゐる
だが何と、あの小さな石竹が
葉を千切られ、葩(はなびら)を落されながらも
この大嵐の中に
昂然と突つ立つてゐることか!
一片二片(ひとひらふたひら)まだ殘つてゐるその紅い花辨を振り翳しながら
雷だつて雹だつて自分と同等の存在だとばかりに
臆する色もなく
シャンと直立の姿勢で
釣瓶打ちの凶暴に抗してゐる
憫みを乞ふとか
寛大を求めるとか
凡そそんな素振りは微塵もない
たとへ打ち倒されて雹の下敷きにされたとて
一向に掌を合せそうには見受けられない
おお、お前あつぱれな石竹よ
自然の勇士よ、お前の可憐な姿が
今はこの私に何と偉大にみえることか!
―1935年
詩誌「ポエチカ」7月號より―
【ラオコーン像に寄す】
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――Eine Gedankenlyrik――
あゝラオコーン
天から投げつけられた蛇に絡みつかれた英雄よ
子等と諸共に巨大な蛇にまとひつかれた御身よ
御身が嘆息の口を半ば開き
右手で辛くも押し上げてゐるその蛇の身の何といふ平然たる重たさ
御身が左手に頸根つこを握つて押し返さうとする
その蛇の頭の何たる執拗さ
まさに君の腰骨に喰ひつかうとするその毒々しい眼の光り
君が渾身の力で持ちこたへてゐる両腕には
恐怖に喘ぎながら子等がいたいけに闘つてゐる
一人は君に助けを求めながら巻かれた片腕をほどかうと焦慮(あせ)り
もう一人は両脚(あし)をすくはれ、胸をしめ上げられて
右手を高く君の方に差し伸べつつ昏倒せんばかりだ
君もまた絶望的な苦悩の顔をかしげて
力なく半ば仰向いてゐる
君の眼には
君のその苦悩を面白がり
高い所からあざ笑ってゐる神々の饗宴(うたげ)が映らないか
あゝ君はその眼を今苦悩のために閉ぢてはならぬ
君はクワッとそれを見開け
見開いて理不盡な神々を睨みつけろ
そして怒鳴れ
「今のうちにいくらでも面白がるがよい、
今に神々の黄昏が來るのだ、
本當に面白がられるのはその時のことだぞ」と。
そしてラオコーンよ
理不盡な神々に子等もろ共に苛まれてゐる英雄よ
かまふことはない
御身が今左手で持てあましてゐるそやつの頸根つこに
御身自身が思ひ切り噛みつけ、噛みつけ
噛んで噛んでギリギリと噛み切れ
御身のその人間の歯からではあつても
御身の全身にいま沸騰してゐる憎惡(にくしみ)が
御身の歯に蛇以上の毒液を湧き出させる
その毒液で噛みつけ、ギリギリと噛み切れ
噛んで噛み切つて落ちた頭をかゞとで踏みにぢれ
子等にも言へ
「噛め、噛め、噛みつけ
全身の憎惡を毒液として蛇に噛みつけ」と。
おゝラオコーンよ
古代の傳説的英雄よ
天から投げつけられた二頭の蛇に絡みつかれ
子等と絶望的な苦悩にもがいてゐる御身よ
御身のその姿は餘りにも痛ましい
御身はいま悩み、絶望するのではなしに
今こそ御身は力の限り憎しめ
憎しみの沸騰の中で全力を呼び返せ
憎しみの毒液で蛇の毒牙に勝て!
勝つて子等と相擁して高らかに笑へ!
かのツァラツストラの謎の牧人の如くに、
未だ曾つて地上に笑はれしことなき笑ひを!
おゝラオコーンよ
御身のその苦悩の群像をみる毎に
御身等のいつかはその苦悩に打ち克てる姿を
その歡呼の群像をこそ刻みたいものと
常日頃ひそかに念じて居る者のあることを知れ。
――1937年
雑誌「批評」4月號より――
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