中山 啓

なかやまけい(1895-1957)

金沢市生まれ。本名忠直。早稲田商科卒。明治末年あたりから詩作を始める。気宇壮大な向日性とニヒルでアナー
キーな側面が混在した特異な詩人として注目された。詩集に『自由の廃墟』『火星』がある。社会改革に身を投じ
ようとして焼却してしまった作品を友人の手を借りて再録したものであり、以降詩作から遠ざかる。のち中山皇漢
医学研究所を設立。訳書に
クロポトキンの『田園・工場・仕事場』がある。/石川近代文学全集16「近代詩」より



詩集『自由の廃墟』より

【先駆者】

この瞬間世界は
尊い持物の一つを
失はうとしてゐるのだ
革命をバイロンの熱で叫び出し
ホーマの調で
勝鬨をあげようとした君が
あはれ囚はれとなつて
虐政者の鉞(まさかり)の下に坐つてゐる

君の晴れた瞳も華かな笑聲も
もう再び俺達の手に
歸つて来ないのだ
地を離れて――遥かに遥かに
あの蒼穹の彼方へ距(さ)りゆくのだ
歎いても泣いても
魂は再び歸つて来ないのだ!

昔から幾千の思想家が磔にせられ
幾萬の改革者が烙き殺されたことか
そしてその血潮が
深く溢れて湖(うみ)とよどみ
堤の切れるしばし前の
凄い沈静を保つてゐる――

あゝ世界は
偉大な生殖をなさんがために
惨ましい陣痛をなめてゐる――
虐政者は自分が溺れる
湖の血を増さんがために
尊い反抗者を殺さうとしてゐるのだ
馬鹿な悲劇だ――

見てをれ
もうしばらくすれば堤が切れる
そして血潮が洪水を起して
燐火を燃やしつゝ
怨霊の叫喚と共に壓制者に押しよせる
もう遅い!逃れようとても
溺れかゝる虐政家の手足に
べつとりと血が粘り
殺された者の毛髪が藻のやうに絡みつく

振りあげた鉞の下に
あの世の扉が開く
中は咲き亂れた花園――
恍惚の樂が満ちてゐる
君よ
安らかにその扉を押して
静かな世界に入りたまへ
天上から不思議な韻律が響いて来る
――そしてそれが
群集の哀愁と縺れて
君の死を讃美してゐるやうだ

鉞が光つた
僕は静かに黙祷しよう――

【命日にうたへる】

俺は淋しい思ひ出を除くために
カンナを刈つてゐるのだ
君が病気の時
せめてもの慰めにと作つた花園で

君が死んでから俺は草むしりを止めた
――雑草が一面にばうばうと茂つて
その雑草の茂つた中に
カンナがひよろんと風に揺れてゐる

おゝ津山――おゝ津山
ひつそりした津山川の森の中で
君は静かに眠つてゐるのだ
――もうその墓には苔が生えたらうな

暮がた君の棺をBと俺とでかづいた
村の人達はみな泣いてくれた
虐められた小作人の味方が
宣伝の途中に倒れてしまつたんだ

森の中のくろい穴が
黙つて君の屍をひきとつてくれた
その棺がカンナで飾られてゐたんだ
真紅の花弁が君の喀血によく似てゐた

暮れてゆく静かな庭に
ひとり草を刈つてゐると
あの時のことが胸に甦つてきて
瞼が重くうるんで来る――

萎びた花に顔をあてると
まだ流石に微かな香がするが
その切口からポトポトと垂れる水の
何といふ淋しい冷たい色だ!

孤独な胸の中へ滲みこんで
古い記憶を甦らせてくる
――淋しい鎌の音と水の色!
俺の頬にはもう涙が伝ひ始めた

――おゝ君がまだ生きてゐて呉れたら
このカンナ畑へソフアを持ち出して
例の通り真理や理想を語るのだに
――それにひきかへた悲しいこの草刈!

さくさく さくさくと
又しても鎌の響が涙をさそつて来る――


【廃墟】

どれだけの時が
過ぎたかしら――

長いあいだ
独りぼつちで
冷たい墓の下に
眠つてゐて
すつかり
退屈になつた時
ふと記憶が胸を過ぎて
ぶらりと墓から
ぬけ出して来たのだ

どれだけの時が
過ぎたかしら――

地球の模様が
すつかり変り果てた
見渡す限りは
もう一面の沙漠
噴火山はみな冷え黙し
都会の跡には
殿堂の礎石が乱れ
生きものゝ姿とては
一つも見当たらぬ
見渡す限りの沙漠
地球が骸骨になつて
ころがつて居るのだ

どれだけの時が
過ぎたかしら――

鳥の声が繁みから洩れて
静かにこだましてゐた
栗鼠の森も
ねころんで恋人と
接吻をとり交はした
香ひ高い花野も
優しい口笛の小川も
月夜にボートを浮べて
ギータを弾いた入江も
もう跡すら見えず
恐ろしい怒濤が
暗礁を噛んでゐた
太洋だけが名残を見せて
大きな低地に干せてしまつた

どれだけの時が
過ぎたかしら――

嗚呼あの太陽の
喘ぎ疲れた赤銅色!
太陽にも冷却が近づいたのか
それにあの虚空の黒さよ
空気が涸れ果てゝ
白雲の浮でゐた青空は
いまは想ひ出のみとなり
まつ黒な空には
太陽と星とが
一時に輝いてゐる

どれだけの時が
過ぎたかしら――

これが人類の最後の姿か
毒蛇や猛獣と闘ひ
飢饉に脅かされ
暴君に虐げられながら
血みどろになつて
生きんためにあがいた
人類の最後の姿か

どれだけの時が
過ぎたかしら――

こゝではネロの暴虐も
トロイの戦ひもロシアの革命も
ゲーテもワグネルも
一切の権力光栄闘争が
きれいに忘れられてしまつた
いや人類なんかゞ
かつてこの世に
生きてゐたかと云ふ風に

どれだけの時が
過ぎたかしら――

圧制も反抗も
正義も自由も
動乱も平和も
――人類の煩悶と苦闘が
みんな解決されてしまつた
そして見渡す限りの荒れ果てた沙漠!
ほんとに
ひつそりした世界だ

どれだけの時が
過ぎたかしら――

たゞ俺はみた
しつかりと俺は見とゞけた
人類の末路と
宇宙の終焉をば

時は古り
時は過ぎた
あゝどれだけの時が
あれから過ぎたのか――


【ハレー彗星】

太陽が日本海に沈んで
軒々に夜の陰影が濃くなると
ハレー彗星の不気味な蒼白い光が
街の空に現はれる――
と 老人は二階の窓から首を出し
若者は道路に出て
みな一様に不安な顔をして
空を仰ぐのだ

――気味の悪い光やな
――また戦争があるんじゃろ
――疫病がはやる前徴やろ
――もう一週間すると地球と衝突するがや
――どうなるがやろ
――地球が火事になるかも知れんぞ
――そんなけな人間が毒瓦斯で死んのやろ
――南無阿弥陀仏(なんまいだ) 南無阿弥陀仏

妖徴だ 妖徴だ 地球の終りだ
結婚したばかりの若夫婦
老先の短かい老人までが
みんな短かい生存を貪ぼらうと
不安な顔をしながら
日が暮れると空を仰いで
歎息をしたり念仏を云つたりする
――あゝ彼等はなぜあんなに
死ぬことが恐ろしいのだらうか

僕この間から毎晩
晩飯を食ふとすぐ天神橋を渡つて
この向山の頂へのぼるのだ
それは壮大な彗星の全姿が
町の中では見えぬからだ
家や立木が邪魔になつたり
煙突や電柱があつたりして

この頂に立つて僕はお前を仰いで
静かに黙想にふけるのだ
――永遠が宇宙の底からやつて来て
俺の魂をすつきりと冷静にしてくれる
あゝあの電燈の輝いてゐる街の人々は
お前の姿を見て妖徴だと騒ぐのに
僕のこの胸には何といふ
大冷静がひそんでゐることか!

あゝハレー彗星よ
ほんとに壮大な姿だ
金沢城の森の上から
僕の頭を越して
河北潟の芦を下にみて
能登半島の方へ
蒼穹一ぱいに横はつて
長い光芒を引つぱつてゐる――

ハレー彗星よ お前は
七十五年目に一廻り出来るやうな
軌道を循環してゐるといふが
この粟粒のやうな地球の軌道の
まあ七十五倍の大きさだ!
でもこの大宇宙の茫漠にくらぶれば
小さなものだ――然しお前を仰げば
流石に胸が轟いてくる
お前が今度太陽系を訪ねる時
僕はお前を仰げるかしら?

あゝ天というものは
何といふ広漠無辺の空間だ
今更の如く僕の魂が驚く――
あゝハレー彗星よ
お前の化物のやうな尾に乗つて
宇宙の片隅でも放浪できまいか
どんな珍奇な星が運行してゐて
変な生物が棲んでゐることか
――おゝ偉大なる放浪よ
――おゝ偉大なる放浪よ
僕は宇宙の未知の世界に憧憬(あこが)れる

僕は子供の時から
放浪が大好きなのだ
しかしこんな地球の上なんかを
放浪したつてつまらない
地球の上はみな大同小異だ
その光景はきまつてゐる
きつと地面があつてその上は空だ
地面は沙漠か山岳か森林か
それとも怒濤がせゝらいでゐる海だ
港や都会のごたごたと家の並んでゐる処には
小奇麗な女が男を待つてゐるばかり

狭つ苦しい地球の上を放浪して
毛色の変つた女を抱いて歩いたつて
始まらないじやないか
それよか此丘の頂にねころんで
夜風にでも吹かれながら
口笛でも吹いてゐる方がよつ程ましだ

ハレー彗星よ
お前は彗星に似あはぬ常識家で
一定の軌道を守つてゐるが
そんな軌道なんか棄てゝしまつて
僕を乗せて気まぐれに
気まぐれな処を飛びまはつて
気まぐれな時に他の星と衝突をしないか
それこそ本統の生活だ
彗星は宇宙の放蕩児でなければならぬのだ

あゝ徐々に傾くハレー彗星よ
夜更けの山上に立つて
一人お前を仰いでゐると
僕の魂は宇宙の中にとけ入つてしまふ――
何といふ人類の弱小さだ
お前の一循環が人間の一生だ
お前が地球を訪ねてから
僕の心は夜々
お前を仰いで緊張しゐるが
もうしばらくするとお前はまた
太陽系を去つて
僕等の視界から離れてしまふ
どうかお前の出現が
地球未曾有の大不幸の前徴で
妖事が後から後へと人類を見舞へばよい
あゝ流言の妖徴よ現はれよ
地球全体を暗黒にするか
或ひは地球を再び火雲の昔にかへすか――
地球が衝突によつて再びまた
太陽のやうな灼熱に帰れないものか

+---------+

(註)
 ■1910年に大接近した
   
ハレー彗星 ハレー彗星 ハレー彗星


詩集『火星』より

【星座の主(1)】

僕は銀河の分水嶺に棲む
無窮にして不死なるものだ
僕は何時でも
古銅の椅子に腰かけて
宇宙の變遷をながめてゐる――
 宇宙の過去帳も
 現在の星座の開展も
 幽邃な未來の死面をも
 僕はみな知り抜いてゐるのだ

人間よ
僕はお前のために
宇宙の過去帳や
未來の暦の豫言
萬象の運命やに就て
話してみようか

ガリレオを祖先に戴く
天文學者つて奴から
よくお前達は
火雲星」つてことを聞くだらう
大きな大きな
熱い瓦斯のかたまりさ
そいつが星の第一期だ

お前達の棲む地球
それ等が屬する太陽系も
元はその火雲星つた奴でな
熱い瓦斯のかたまりが
ぐるぐる廻つてゐたんだ

それがだんだんに
冷えて行つたさ
美麗な茜の雲が凝結し
ところどころが切れて行く
地球や金星や火星や
天王星や海王星つて奴が
波紋のやうな軌道を作つたさ

その中心に集つたかたまりが
薔薇に咲いてゐるあの太陽さ
あいつはまだ大きいので
どろどろした鐵の熱液のやうな
液體の状態でゐるんだ
その表面は常に
火花と焔と稲妻の熱風で
凶日のやうに妖亂してゐる

お前達が夜な夜な
遺傅的な遊牧者の目つきで仰ぐ
蒼穹の神秘な恒星はみな
遠い處にある太陽だ

月といふ骸骨は
太陽から分家した地球の
そのまた分家なのだ
そして皆が舞踏しながら
ぐるぐると大圓や小圓や
楕圓や抛物線や双曲線で
宙がへりしながら運行してゐる

月は地球をめぐり
地球や火星や海王は
また太陽の周圍で合唱し
そして太陽はまた
狼星座のずつと彼方の
望遠鏡なんかでは見えない
無窮の遠方の大火雲星を
ぐるぐる廻つてゐるんだ

彗星つて鬚づらの老人は
若い時の失戀で色情狂になり
あの白い鬚を引きずりながら
今だに戀を求めて狂ひまはつてる
憐れな代物さ
あいつの軌道は抛物線でも
双曲線でもやつぱり
太陽と同一の中心の火雲星を
ぐるぐると廻つてゐるんだ
銀河の分水嶺は
その大火雲星の絶頂だ
僕はいつもその上に
銅製の椅子を置いて
宇宙の變遷をながめてゐるんだ

+---------+

(註)
 ■幽邃=ゆうすい=邃=奥深い=静かで奥深い樣


【星】

ああ星よ星よ
秋の晴れ夜に
またたく星よ
お前を仰いで
宇宙のことを考へてゐると
永遠が銀河のほとりから
僕の胸にやつてくる――

すると心がひつそりと
澄みとほつて来て
一切の邪念や情慾が
すつきりと浄まつてしまつて
鼓動が永遠と
調子をあはせてくる――

ああ何といふこの胸の
沈んで冷たく静かなことだらう
――ああこの胸の深い静けさよ
この気持こそ
僕が感ずる最上の幸福だ

秋の深夜にまたたく星よ
お前をみつめてゐると
俺の胸にありありと
人類の運命の姿が
映つてくるのだ

そして誰にも
かくしてゐる弱い心が
涙ぐましくも甦つてきて
淋しい人間の運命が
いまさらに歎かれるのだ

俺は何時も強がりを云ひ
ひとかどの賢者ぶつてゐるが
そんなものが何にならう
星よ星よお前にだけは
俺は素直にかくさないのだ

人類つて何といふ
憐れなものだらう
真理が自由が正義が光栄が――
それは滅びてしまへば
それつきりな空虚なものだ

さう思ふと俺はすつかり
働くことがいやになつて
ぶらりと怠けて暮したいのだ
そして夜になると
お前と話がしたいのだ

星よ星よ
お前だけは
この弱い本統の心を
理解してくれるやうな
お前だけが俺の
友達のやうに思はれるのだ

星を仰いでゐると
すつかり俺は
太古の賢者になるのだ
涙ぐましくも
ギリシヤの哲人になるのだ

彼等はみな
星を仰ぐことを楽しみにしてゐたが
俺もまた星を仰ぐためにのみ
生きてゆく人間でありたいものだ

あの無数に輝く星の中で
俺の運命の星はどれだらう
あの消えてしまひさうな
幽かな星が
俺の運命の星でなからうか

ああ星を仰いで
このすつきりとした気持を
いつまでも胸に抱いて
淋しく孤独に生きてゆかうか

社会運動や革命のことなんか
すつかり止めて忘れてしまつて
静かな哲人になつてしまはうか