長田秀雄

ながたひでお(1885-1949)

東京生まれ。明治大学に学ぶ。1904年、文庫同人。翌年同派の詞華集『青海波』に入集、また新詩社に参
加。「
明星」に詩を発表しはじめ、北原白秋・木下杢太郎とともに新詩人の三羽烏として注目された。19
08年「
ンの会」に参加。翌年「スバル」に活躍の場を移し詩文を発表した。この年、白秋・杢太郎らと
三人で「屋上庭園」を創刊。「明星」の「春愁」(1906.5)「白露集」(1907.9)「鬱憂」(1907.1)「スバル」
の「港の歌」(1909.2)「詩三章」(1910.7)などが比較的まとまった詩群である。1910年、戯曲『
歓楽の鬼
を発表以後、
劇作に転じた。弟に小説家の長田幹彦がいる。/日本現代詩人辞典より


【薄暮銹銀調】

…………トレモロがきこえる。
朽葉色の禿げた並木も、
灰色の坦道も、また
往くさきるさの人影も、
蒼ざめた霧の奥にまぎれて、
街頭が黄に輝く、と
何処となくトレモロがきこえる。

紅く燻(ほて)つた雲が
悩ましげに暮れて行く。
蜘蛛の巣のやうな電信線が
キラリと鋭どく閃めく。
雀のK影が群れてはちる。

夜――象(かたち)を没する憂愁が
万物の表面(おもて)にハッキリ現はれてゐる。
悲しげなトレモロの波が
老女の微笑のやうにふるへた………

と、ある八百屋の店に、
パツと電燈がついた。
果実や野菜が、
生々と美くしく輝く。
奥の帳場に、娘が
凝然(ぢいつ)と往来を見て坐つてゐる。
――トレモロが段々遠くなる。

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(註)
 ■銹銀調=銹は原文では金偏に肅と書いて‘しゅう’=さび=錆

【樺色の幻影】

黒い衣を着た空眼の老女が
予の前に立つてる。笑つた。
黒い衣を着た空眼の老女が。

る、る、る、る、るうん……と鐘がなる。

褪めた真白な月が森の梢に
凝然(ぢいつ)と死んだやうに傾いてる。
褪めた真白な月が森の梢に。

………る、る、る、る、るうん………

何事か予の霊魂に暗示して
老女は足音もなく立去つた。
何事か予の霊魂に暗示して。

……………………る、るうん
……………予は輝く樺色の幻影に渇してる。


【水仙】

苦痛のやうに暗い夜、
私はあの人から、この
花を貰つた。匂が白く慄へてゐた。

見るとあの人は、真珠のやうに
蒼ざめてゐた。きゆつと
私をキスして、悲しげに笑つてゐた。

苦痛のやうに暗い夜、
私はその唇の冷たさを
初めて知つた。涙が、ほろほろ流れてきた。

すると、あの人の沈んだ声が、
銀のやうな声が「水仙。」
と、云つた。私は恐ろしくなつてきた。

苦痛のやうに暗い夜、
私は堕ちて行きながら、黙つて
ふるへた。星がぎらぎら光つてゐた。


【夜の溝渠】

暗く……………輝く。

傾ける月、
軟らかき銀灰色の嗟歎(といき)して河に映(さ)し……

暗く……………輝く。

石垣の一面は
明らかに見ゆ、懐かしき憂愁の笑へる如く。
また深き陰影に彩どられ、他の一面は
悪人の瞳の如く欝したり。

暗く……………輝く。

更けてゆく市街の夜は
凝然として眉高く惨ましき心をみつむ。
あはれその心の底の溝渠には
橋の影、燈火の光……黒き船。

暗く……………輝く。

石垣の何処にか、
神経病のこほろぎの細き音疼き………

暗く……………輝く。


【不安】

幽霊のやうに蒼ざめた夜が、
窓から覗いて笑つてゐる。

燭の灯が怯えて顫ふ。
と、室内がぐらつと動いた。

予は驚いてみまはす。併し、
机も白壁も花瓶(はながめ)も黙つてゐる。

唖者(おし)のやうに黙つてゐる、
確に今一声叫んだのに――

死人を抱いたやうな心持が、
予の膚(はだへ)を粟だたした。

幽霊のやうに蒼ざめた夜が、
窓から覗いて笑つてゐる。


【未だ生れざる帝國劇場】

星光の鋭き闇よ、秋の夜の丸の内
往きかよふ電車の軋り、東京の
底を流るゝ生命の響を傳ふ
折々のきスパーク………

苔き濠の水、透きとほるその憂愁を、
劃(かぎ)りたる古き城壁、
はた遠方に燈光のすさまじき戦争(たたかひ)を見る、
あはれあはれ、そは銀座街。

蒼白き弧燈輝く花園よ、樹立よ、
小亭ちん)よ
靜寂を悩ます池の噴水よ、
紫に澄む大空に、心の國を、
あさましく露はせる日比谷公園。

目盲たる煉瓦屋立並ぶ。
中央に生命保険立てり。彼
夜陰の内に新らしき宗教を説く。
ヨルダンの野に叫びたるヨハネの如し。

(そはやがて曙の靜なる光を浴びむ。
王城のほとりの曠野、
未だ成らざる東京の第一街よ、
そはやがて曙の靜なる光を浴びむ。)

首都のメシアス、壮麗の大劇場は、
いたましく半ば地上に生れたる
自己の姿を打眺め、生の苦痛に、
巨(おほひ)なる獣の如く泣き叫ぶ、泣き叫ぶ、首都のメシアス。

―1909年10月「屋上庭園・第壹號」より―


【港の歌 鶯鶯(インイン)】

朝だ。鶯鶯。起きろ。もう朝だ。
汝(おまへ)は全く美くしい懶怠者だ。
見ろ。朝日が窓からまぶしく
緞子(どんす)の夜具を照してゐる。
朝だ。鶯鶯。起きろ。もう朝だ。

伊豫丸が今、波止場へついた。
ほら。汽笛がきこえるだろう。
きつと汝の好きな
龍眼肉(ロンイエンロー)を、
あの船は一ぱい積んでゐるだろう。

汝はいつも夢をみてゐる。
海に向つた窓によりかかつて、
故郷の街にただよふ夜の笛を、
楊柳(ヤオリヤン)の影を、足小さき姉妹を。
まだそんなに戀しいか、あの廣東が。
鶯鶯汝は孤子(みなしご)ぢやないか。

朝だ。鶯鶯。起きろ。もう朝だ。
また今日も一日
月琴(ユエチン)を弾いて、
汝に初めて會つた華舫(ホアユアン)の上の
長夜宴(チヤンユエユアン)の歌でもうたはう。
朝だ。鶯鶯。起きろ。もう朝だ。

―1910年2月「屋上庭園・第弐號」より―


【顫光】

我は見る。暗き心の上に堕つる光を。
そは例へば銀の絃上を磨(す)るとき、
かすかに起る金属の呻吟(うめき)のごとく、
また褪めはてたる月光の淫慾にわななく如く、
きはみなく悲しき高調の射映なり。

またたとふれば牢獄に死して横たはる、
貴族の蒼ざめたる額に印する日光の如く、
微笑せる妖婦の皓き齒のきらめくごとく、
克ヨの觸感の如く、冷たく囚へがたき光は
今や我心に映(さ)して情緒の夜を照らす。

ああ柔かなる憂愁の顫光よ。我汝を思慕す。
汝は暗中に香ふ若き女の呼吸の如く、
我をして悩ましき幻覺を樂しましむ。
汝はまた銀灰の曉(あけがた)カトリコオの御寺に
蒼白く輝く臘の火の如く神秘なり。

―1910年2月「屋上庭園・第弐號」より―

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(註)
 ■カトリコオ=カトリック