木下尚江

きのしたなおえ(1869-1937)

信州松本生まれ。開智学校を経て1881年松本中学に入学。ピューリタン革命の中心人物クロムウェル感
慨を覚える。まだ憲法も国会もない1886年、"国王を裁く法律"(日本にとって新たな法律の概念)を学
ぶため上京、英国憲法の授業がある東京専門学校(現早稲田大学)に入学。1888年、故郷にもどり信陽
日報の記者になる。キリスト教に出会い、廃娼運動、禁酒運動などに専念。1893年弁護士になる。1895
年「信濃日報」の主筆を務める。1897年、選挙疑獄事件の容疑で検挙される。1899年「世界平和に対す
る日本国民の責任」と題する論説を執筆し、以後平和と反国体を唱え、1904年の日露戦争では、「人の
国を亡ぼすものは、又た人の為に亡ぼさる。是れ因果の必然なり」と主張し、平民新聞の同志とともに
非戦運動を開始。また反戦小説「火の柱」を毎日新聞上に連載した。しかし1905年平民社解散。やがて
仏教世界へと足を踏み入れた。/「中村屋サロン」より


明治文学全集83 明治社会主義文学集より

【ポンポコ歌】


華族の妾の頭に光(ヒカル)わ何ですえ。
ダイヤモンド?
否え 否え 違います。
可愛い百姓の油汗!
ポコ ポンポコポンポコ ポン。

大臣大將の胸に光わ何ですえ。
金鵄勲章?
否え 否え 違います。
可愛い兵士の髑髏(しやれこーべ)!
ポコ ポンポコポンポコ ポン。

お金持衆の杯(コツプ)に光わ何ですえ。
シヤンペーン?
否え 否え 違います。
可愛い工女の血の涙?
ポコ ポンポコポンポコ ポン。

「良人の自白 上篇」所載


【戦争の歌】

  △青山墓地にて

山櫻、
散るを誉れと歌われし、
「軍神」のあと來て見れば、
五月雨暗き原頭(げんとう)に、
標(しるし)の杭わ白けれど、
風に花輪の骸(から)亂れ、
いともあらわの墳墓(おくつき)を、
心ありてや、ま榊の
青葉の袖に打ち掩い、
涙とばかり露の滴る。
 都人士(とじんし)の歌わ花より先に枯て
  雨の青山訪(と)う影も無し。

   * * * *

  △新大將

戦争五箇月ならずして、
大將七人はや現われぬ。
寡婦と孤兒とわ數知らねど、
餓?(がひょう)わ地上に充満(みちみ)てり。

   * * * *

  △召集兵

殘る妻子や白髪の親の、
明日を思えば心が裂ける。
名誉名誉と騒いで呉れな。
國の爲との世間の義理で、
何も言はずに只だ目を閉じて、
涙かくして死に行く。

「平民新聞第31號」所載