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百田宗治

ももたそうじ(1893.1.25-1955.12.12)

大正・昭和期の詩人、児童文学者。大阪市生まれ。大正7年創刊の「民衆」に参加、同年詩集『ぬかるみの街道』を刊
行、民衆詩派の1頂点を示した。大正15年「椎の木」を創刊、主宰。後進を育成する一方、
児童詩の普及にも寄与し
た。童謡『
どこかで春が』の作詞者として名高い。




【私の帰つてくるのは此処だ】

穏やかで静かなランプの光!
私の帰つてくるのは此処だ、
卓の上に柔く輝いてゐるランプの光、
一つの椅子、それから鉄製の粗末な寝台、
私の帰つてくるのは此処だ、
窓の外のすさまじい颶風、雨、
電車のひゞき、街の騒乱、
それらのものから私を救つてくれる光、
私はこの椅子に腰を下し、
この卓の上に一巻の書物を開き、
そしてこの柔い光が慈母の掌のごとくに自分を包むのを待つ、
こゝで私は静かに仕事をし、
友人を思ひ、
また下の部屋で仕事をしてゐる妻を思ひ、
それから、それよりもつと深い熱情で人類のことを考へる、
私はむしろ暴風を好む、
むしろ大雨を好む、
むしろ群集の喧轟と機関のわめきを、
しかし私はこゝへ帰つてくる、
汝の光の前に帰つてくる、
あらゆる希望と努力の上に汝の柔い接吻を受けるために。

編集部(註)
■颶風(ぐふう)=強く激しく吹く風。もと気象用語で、
           風速32.7m以上の強風をさした。

【地上の言葉】

夜、
街道のぬかるみに立つて、
私は星を見る、
はるかな天空に輝く一個の星、
私の魂は夜露に濡れ、
私の魂は地のひえびえとした湿りにひたされる、
あゝ私はいま世界の道の一端に立ち、
私のこゝろはあらゆる全地球の魂を感じてゐる、
見よ、
私はいま汝に語りかけようとする言葉で一杯だ。


【人は孤獨となり得ず】

人は孤獨となり得ず
見えざる鎖われらを繋ぎ、
かたちなきものわれらのうちにありて、われらを等しく呼吸せしむ、
たえざる流動と生育の雰圍氣(アトモスフエル)、
われらは等しく哀しみ、
われらは等しく歎ぶ、
われらは等しくうたひ、
われらは等しく祈る。

われらよし哀しき旅をつゞくるとも、
ふるさとはつねに近し、
そが門はときじくに開かれ、
涙には涙をもて、
よろこびにはよろこびをもて、
然してすべての愛の天使、閾(しきい)の上に汝をむかへん、
夜眠りにつくとき、
晨(あした)のすゞしき祈りのなか、
また力と汗に勞(いたわ)るゝ晝(ひる)、
汝不幸に泣きぬるゝ時もなほ、
哀しきもの來りて汝を抱かん。


【朝の時間】

私には朝の時間がたのしい、
一杯に日ざしの照りわたつた障子の中で
しづかに、明るい自分の心を視ることは幸福だ。
深い熟睡のあとで、こゝろよい茶のあとで、
一日の仕事のことを考へるのはたのしい。
その日の仕事には破綻や失敗があつても
この明るい希望にみちた心はうしなはれない、
あたゝかい、明朗な朝の日ざしとともに
私の魂は洗はれ、きよめられて生誕する。

私はハタキをかけるぱたぱたと云ふ物音を耳にする、
小犬たちの鈴の音を聞く、
臺所戸口の開け閉めの音や、バケツのがたんごとんと云ふ響きを聞く、
ほどちかい小學校での生徒達の足音をきく、わいわい騒ぎたてる物音を聞く、
しかし私の頭は掻きみだされない、
あたたかい日ざしのなかに
それらの物音が喜々とし、よろこび勇んで空の方にたちのぼつてゆくのを聞く、
萬能の神が彼等を召してゐるのを聞く、
朝の一絲みだれない諧調音をきく。

朝の日ざしは遲々として屋根瓦の上を歩む、
障子のおもてを歩む、
小雀の影のまへを過ぎる。
朝の日ざしは快活で、幸福な揺籃のやうにゆれる、
典雅な宗教儀式のやうに進行する。

私には朝の時間がたのしい、
一杯に日ざしの照りわたつた障子の中で
しづかに明るい自分の心を視ることは幸福だ。


【あらゆる繩を解きはなて!】

あらゆる繩を解きはなて! 自縛の繩を!
汝の精神と肉體は數知れぬ見えざる繩によつて
 十重二十重に縛り上げられてゐる、
一筋は一筋より強く、一筋は一筋より汝の筋肉に喰ひ入つてゐる、
汝は既にこれらの繩目を平氣でゐる、
汝はこの繩目の苦しみを人間そのものの苦しみだと思つてゐる、
生きてゐる限りのがれられない苦しみだと思つてゐる、
生れついた時からの自然の枷だと思つてゐる。
しかし見よ繩は次第に殖えてゆく、
繩は次第に太く、次第に力強く汝を締めつける、
汝の苦痛は次第に増してくる、
遂にはこのものが汝の全身を掩ふだらう、
先づその一筋を切りはなて、
最初の一筋を切るためには汝には信念と力が要る、
汝の渦まく鼓動を以て、
汝のぬきがたい精神を以て、
汝の全身の血を以て・・・
切りはなたれた一筋から汝の手と足が自由を得るだらう、
そして手は武器をとるだらう、
口は叫ぶだらう、
足は汝を運ぶだらう。

人間よ、すべてのものは汝を怖れてゐるのだ、
汝に勝るものはこの世界に何も無い、
――神もまた汝の力と意志を借りるのだ、
汝が自由になつた時、
汝を縛つた怪物共から汝の自由を回復した時、
同時に汝は一切の汝等の所有を失ふだらう、
過去を失ふだらう、
一切の既成の文明を失ふだらう、
――おゝそれこそは汝にとつて最初の勝利だ
天と地との間に汝はたゞ一人だ、
うづまく大氣と暗黒とひらめく雷電と
 何者とも知れぬ流動の世界に赤裸の汝がたゞ一人だ、
そしてたゞひとりの汝の力と意志のみが新しい世界をつくるのだ、
その中に汝の道をつくるのだ、汝の光をつくるのだ、
汝の生命が汝に還り、汝の正しい成長が汝を導くのだ。
何者とも知れぬ厳角に十重二十重に縛り上げられた人間よ
先づその一筋を切り放て。


【いまは分娩の苦しみに惱む時だ】

いまは分娩の苦しみに惱む時だ、
暗黒のうちに反轉する時だ、
光はいま失はれてゐる、
あらゆる醜惡と自苦のうちにのたうち、
あらゆる災虐と反抗に全勇氣をふるふ時だ、
彼女の顔の色は蒼ざめ、
不斷に戦慄し、
四肢の平衡は失はれ、
毒に充ちた惡血が全身に渦まいてゐる、
苦惱・・・そして既に死にさへも面接する・・・。

されど見よ嬰児は既に動いてゐる、
彼はまだ暗黒のうちにその膝を抱いてゐるが、
未知の運命の前にまだ眠りを續けてゐるが、
彼の生命は曙に近づいてゐる、
彼の靜止と計り知れざる呼吸の奥に新しき躍動の精神がめざめかけてゐる、
一切の混乱と無秩序の前に一つの道が開かれようとしてゐる。
一切の暗黒と模索の前に新しき太陽の光が輝き出でようとしてゐる。

おゝ一切の苦痛は、うめきは、狂ひは、あへぎは、争闘は、
 そして一切の忍耐と勇氣は生れくる者のためである、
いまは世界の最も下層のうちにあつて醜き反轉を繰返すも、
いまは哀れむべき中ぶらりんの状態のうちにさ迷ひ廻るも
やがて産み出す新しき世界、
やがて示現すべき眞實の人類、
一切の誤れる文明の方向、
自束と虚飾の一切の宗教、
誤れる信仰への一切の洪水の上に、
地上の太陽は最初の光明を送り出すであらう、
一切の人類を正しき姿に引戻し、
一切の文明をまことの神の意志のもとに導くだらう。

おゝいまは生死の境に一切のもののうへに呪詛を吐き出す一個の女性、
その時世界は汝の下に祈祷の聲を擧げる、
汝は回復される、
汝の靈魂はかの天空に窒ホたき、汝の肉體は永久の自然のうちにとゞまる、
榮光は汝を掩ひ、神は汝と共にあるだらう、
いま彼女の眼はある見えざるものの影を追つてゐる、
この見えざる影こそは一切の苦痛から彼女を引上る人間以上の力だ、
おゝ導かれゆく彼女の魂、
そこに自分は見る――最後の勝利。