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木下杢太郎

きのしたもくたろう(1885-1945)

予の詩作は明治40年、西暦1907年に始まる。初めて新詩社諸秀才の驥尾に附してその高作を見るに及び、予は予の感情に
対して新しい表現の窓を作るを識ったのである。長田秀雄が屍体の海底に沈むを叙せるもの、平野萬里が酒の醸造を歌え
るもの及び北原白秋の縹渺たる小曲の諸篇から多大の刺激を受けたことを覚えている。/中央公論社「日本の詩歌」より



【北原白秋氏の肖像】

・・・・・・願ふは極秘、かの奇しき紅の夢・・・・・・(「邪宗門」)

性欲の如くまつ青な太陽が金色(こんじき)の髪を散して、
異教の寺の晩鐘の呻吟(うなり)のやうに高らかに、然しさびしく、
河の底へ・・・・・・底へ・・・・・・底へ・・・・・・と沈む時に、
幻想の黒い帆前は
滑つて行く・・・・・・音もなく・・・・・・
明るい灰色の硝子の外で、
氏が倚れる窓の後で――。
されば其光の顫音(トレモロ)は悲しく、
氏の銅色の額に反射した。――恰(さなが)ら
青の鶯が落日(いりひ)の檣(マスト)の森で鳴くやうに・・・・・・

雲の彼方の蘆会花咲故郷へ、故郷へ、ねえ、故郷へ・・・・・・。

氏は卓(たあぶる)の一角から罪色紅のCuracaoを取って
薄玻璃の高脚杯に垂した・・・・・・重く・・・・・・緩かに・・・・・・。
その懐しい錯心(でりいる)のやさしい呼吸づかひの中(うち)に、
赤、紺青、土耳古珠色、「黄なつぽい」Sentiment(さんちまん)色、
そのあまり日向つぽ過ぎる新しい(やや似合はない)
背広の文(あや)の音楽に首を埋めて
(かの邪宗、その寺の門前に梟首(さらさ)れた怪僧の額のやうに)
烈しい異国趣味(えきぞちすむ)に飢ゑ爛れた氏の表情は、
新に南洋から帰つた商船の事務員の如く、
ひたすら卓上の罌粟の唇を見詰て居る。

(かの黒い幻想の帆前は力なく黙したのに――。)

私の日曜日の雑踏を恐るる象、
その如く燭つた瞳、瞳の中の青い花は、
日本の――厭いた、労れた
昼の三味、女の島田、音(ね)も低い曲節(めろぢい)から、
ああ、せめては中に雑る合惚(かっぽれ)の進行曲(まるしゆ)から、
『空にまつ赤な雲の色、玻璃にまつ赤な酒の色』から、
河に面した厨の葉牡丹の腋臭から、
日を受けたタンク蒸気の引いてゆくCadenceから、
はた其かげの痛ましい木査古聿(ショコラア)の
とぎれとぎれのStrauss(しゆとらうす)、Gauguin(ごうぎやん)の曲調の
うち絶えつ、またも響く柔い薫のうちから、
氏の厚い紫の唇は苺の紅い霊魂を求めて居る。
瞳の青い羅曼底(ろまんちつく)は忘れた故郷の香を捜して居る。

日が暮れるまで・・・・・・

日本の憂鬱な十月の夜の彼岸(あなた)に
寂しい三味線がちんちんと鳴り出すまで、
なほも善主麿(ぜんすまろ)、おおらつしよの祈をつづけながら・・・・・・
無益にも・・・・・・

月の方に青ざめた帆前の黒い幻想を眺めながら・・・・・・

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(註)■蘆会=ロカイ=アロエ
   ■Curacao=キュラソー=リキュール
   ■土耳古珠色=とるこだまいろ
   ■Cadence=韻律
   ■木査古聿(ショコラア)=‘木査’は木偏に‘査’という字。
   ■善主麿(ぜんすまろ)=ゼウス=神
   ■おおらつしよ=ラテン語で‘祈り’の意味

【邪宗僧侶刑罰図を眺むる女】

予は、とある酒場で女の横顔を眺めてゐる。
漆黒の髪の毛には緑玉の色に電気が反射し、
牛乳の如き白色の襟には紫の陰が淀んだ。

常に横を向く女よ。予は慊(あきた)らず思ふけれど、
思ふけれども予は汝の見つむる・・・・・・
汝の見つむるあの奇怪な絵を見ることが出来ぬ。

予は知つてはゐる。吉利支丹邪宗の信徒は
炎炎たの焔の中の磔木の上から、
『命だ。命だ。わかい日の為めに、
彼のでうすの為めに、我が麻利亜の為めに
我は殉教(まるちり)の苦痛を忍ぶ』と叫んでゐる――

『我神よ、我神よ、永しへにわかき命をよ』と。

予は寂しく、濃い木査古聿(ショコラア)の中のヰスキイの匂を嗅ぐ。
予は殉教の者の伝記を瞥見する。
予は毒の如く赤く記されたる異国の淫詩を読む。
それから故しらなく悲しく――玻璃窓(がらすまど)から
月夜に、氷のやうに煌く河の彼方の市外を見る。
予の心はいつか嘘唏(すすりなき)を始めた。地を抱いて死にたくなる。

其刹那、ふと気付いてまた汝の見るものを見る。

女の湖の如き眼はひたすらに蛮人刑罰の図を眺めてゐる・・・・・・

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(註)■木査古聿(ショコラア)=‘木査’は木偏に‘査’という字。


【金粉酒】

FAU-DE-VIE DE DANTZICK
黄金浮く酒、
おお五月、五月、小酒盞(リケエルグラス)、
わが酒舗(バア)の彩色玻璃(ステエンドグラス)、
街にふる雨の紫。

をんなよ、酒舗の女、
そなたはもうセルを着たのか、
その薄い藍の縞を?
まっ白な牡丹の花、
触るな、粉が散る、匂ひが散るぞ。

おお五月、五月、そなたの声は
あまい桐の花の下の竪笛(フリウト)の音色、
若い黒猫の毛のやはらかさ、
おれの心を熔かす日本の三味線。

FAU-DE-VIE DE DANTZICK
五月だもの、五月だもの――

(Amerikaya-Barに於て)

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(註)■FAU-DE-VIE DE DANTZICK
    =ダンチック市(現ポーランド領グダンスク) 産のブランディ
   ■セル=セルジの略。セルジを「セル地」と解して「地」を略したもの。
    平織り薄手の毛織物。合着用和服地。serge(サージ)のこと。


【こほろぎ】

こほろこほろと鳴く虫の
秋の夜のさびしさよ。
日ごろわすれし愁さへ
思ひ出さるるはかなさに
袋戸棚かきさがし、
箱の塵はらひ落して、
棹もついて見たけれども、
あはれ思へば、隣の人もきくやらむ、
つたなき音は立てじとて、その儘におく。
月はいよいよ冴えわたり
悲みいとど加はんぬ。
昼はかくれて夜は鳴く
蟋蟀の虫のあはれさよ、
しばしとぎれてまた低く
こほろこほろと夜もすがら。

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(註)■棹もついて見たけれども=三味線の棹
    さびしさにつられて三味線をひいてみたのか?


【もしや草の芽が】

美しい瓶(かめ)なりしかど、暗い心を盛つて、
まだ少(わか)い時であつた、森の中に埋めた。
二月の末の幹の漏れ日に
斑(まばら)な雪は輝き、そして川の縁に、
黄にまじる緑の草がやうやうに頭をあげる。
草は心は無いけれども――地の底から――
もしやその草の芽が暗い心を
ひよつとして人の目に立てはせぬかと
案じた日があつた――覚えてゐる。

今日となり 同じ憂(うれひ)が
来るものか。淡雪ふる日。