『草野民平詩集』


1971年に青娥書房から1300円で限定1000部出されたうちの0947というシリアルナンバー
が打たれている一冊。編集、装幀、題字すべてを弟の草野心平がしている。「兄民平の
こと」というあとがきの最初にこう書かれている。
 ……兄民平は1899年に生まれ、1916年結核性脊椎カリエスのために死んだ。16歳11ヶ
 月の生涯だった。私たちのきょうだいは長女綾子、その四つ下がが民平、 その四つ
 下が心平、そのまた四つ下が京子、その三つ下が天平だった。今は私と京子以外はみ
 んなこの世にいない。男の兄弟が三人とも詩を書いているというのは妙な血筋だ……
16歳で死んだ兄の遺した
ノートに書かれていた詩を読んで心平も天平も詩を書き始めた
ようだ。心平は有名になって1988年(85)まで生きた。天平は潔癖症のように哲学へと
陥り、僕の生まれる四年前に42歳でやはり肺結核で死んだ。この詩集の冒頭の詩が下だ。



 俺   文 僧 古 直   六 い   こ あ   午 逃   お   鉛 い の      
 と   体 院 今 立   百 ろ   れ れ   さ 亡   も   の ぢ ろ      
 い     長 の し   人 男   も も   が 者   ん   仮 け ま     俺
 ふ   肉 の 金 た   の     赦 恕   り の   み   面 た 男     の
 も   の 大 言 る   軍     す す     真   る   ` の       説
 の   彫 あ   冷   人     サ サ     実       悪 ろ       明
 !   刻 く   笑   の                     魔 ま        
       び   と   敵                     の 男        
               愾                     首          
               心                     領


……ふむ。僕にも覚えがあるこの年頃は「自分を説明したくてしかたがない」のだ。そ
の手段として詩を選んだ。しかし高村光太郎に言わせると選んだのではない。高村光太
郎は草野心平をこう評している。

詩人とは特権ではない。不可避である。詩人草野心平の存在は不可避の存在に過ぎない。



『定本 草野天平全詩集』
(左は『松永延造全集 第三巻』)

 
草野心平は有名だが、何故か弟の天平は殆どの人には無名だ。全詩集と年譜を読んでみ
ると、31歳頃、(23歳の時に結婚した)四つ年下の妻に先立たれた心的外傷から本格的
に詩を書き始め、生と死の哲学に陥り、出家の真似事をしたあげくの清貧ゆえに肺結核
で死んだ。実に悲しい人だ。手許の「日本現代詩辞典」にはこうある。
 ……『覚え書』(遺稿)には、「私の詩は人間の根本の微小な物質で、幸福といふ一
 とかけらであります。」とある。「凡てのものに片寄らずただ真っ直ぐに立つ」正し
 い芸術を目ざした求道的詩人と言ってよい。……
この‘求道的’なところが、暮鳥や重吉に似た平明な短詩となっているように思え、今
流行りの癒し系でもある。もう少し多くの人に
彼の詩が広まればいいのにと思う。


 涙 妻   そ 小 そ 並 光 糸      
 が の   つ さ ば ん つ 巻      
 な 針   と な に で た き     妻
 が 箱   ね に   針 針 の     の
 れ を   せ つ   刺 が 糸     死
 た あ   て ぽ   に   は      
   け   あ ん   刺   切      
   て   っ の   し   る      
   見   た 鋏   て   と      
   た     が   あ   こ      
   と         る   ろ      
   き             で      
                 切      
                 り