國木田獨歩

くにきだどっぽ(1871-1908)

千葉県銚子生まれ。山口県で成長し東京専門学校(現早大)中退。1895年、結婚。半年足らずで離婚。18
97年、田山花袋との共同生活を通して小説を書く。1898年再婚。小説を中心とした創作活動に入る。19
06年末に無理がたたり肺患の徴候が現れ1909年に肺結核で死亡した。詩は離婚した年から1897年にかけ
て次々と「国民の友」などに発表。宮崎湖処子らの『抒情詩』に収めた「獨歩吟」序の中に、「余は新
体詩が今後我国の文学に及ぼす結果の予想外に強大なるべきを信ず。日本の精神的文明の上に著しき影
響を与ふるものは今後必ず此新体詩なるべきを信ず。此新体詩未だ甚だ幼稚なりと雖も新日本はこれに
由りて始めて其詩歌を得べくなりぬ。……嗚呼詩歌なき国民は必ず窒息す。其血は腐り其涙は濁らん。
歌へよ。吾国民。新体詩は爾のものとなれり。今や余は必ずしも欧詩を羨ず」と記した。
                                    /日本現代詩辞典より

『獨歩詩集』より

【別れ】

今日をかぎりの別れとは
夢知らざりき夢にのみ
君に逢瀬を樂みし
我世も夢となりにけり。

目も杳(はる)かなる野末見よ
遠山霞む彼方には
人住む里も多からん
其里戀し、君が行く。

人の世古き昔より
逢ふては別れ別れては
また逢ふこともあらなくに
別れし人も多からめ。

十歳(とせ)の後の冬の夜に
君が門(かど)の戸叩かん折
せめては内に入れたまへ
越し方の日を語るべし。

君は彼日を語りいで
吾は彼夜を忍ぶべし
梢をわたる風の音は
かたみの涙さそひつゝ。

百歳後の秋の夜の
月は木(こ)の間を迷ふとも
君がおくつき照すべし
蟲の音しげき山里に。

わが墓いつか苔むして
文字さだかにも讀めぬ日は
誰か知るべき君と吾(われ)
住みてこの世に逢ひしことを。

逢ふては別れ、別れては
東に西に埋れゆく
千代の昔の神世より
はかなき人も多からめ。

逢ふは束の間別れこそ
はてなき恨み此世こそ
戀の屍と冬枯の
あらしに曝す暮ならむ。

+------+
(註)
 ■おくつき=墓。墓所。

【高峰の雲よ】

高峰の雲よ心あらば
乗せてもてゆき此我れを
大海原のたゞ中の
人無き島に送れかし

斯くて此身は浮世より
消え失すとても此われは
天地(あめつち)ひろき間にて
人とし生きむ。しばしだに。


【雲影】

さゞなみ立たぬ湖は
雲の影こそ映るなれ
ものを思はぬわが心
天津御空ぞ映るなる


鎌倉妙本寺懐古】

夕日いさよふ妙本寺
法威のあとを弔へば
芙蓉の花の影さびて
我世の末をなげくかな

法(のり)よおきてよ人の子よ
時の力をいかにせん
永劫の神またゝきて
金宇玉殿いたづらに
懐古の客を誘ふかな。

梢の鳩のうたふらく
ありし昔も今も尚ほ
夕日いさよふ妙本寺
芙蓉の花は美なるかな。


【驚異】

ゆめと見る見るはかなくも
   なほ驚かぬ此こゝろ
吹けや北風此ゆめを
   うてやいかづち此こゝろ

をのゝき立ちてあめつちの
   くすしき様をそのまゝに
驚きさめて見む時よ
   其時あれともがくなり


【夏来りぬ】

丘の白露ふみわけて
のぼる朝日を迎へなん
青葉かざして日の光
めくらむまでに仰ぎなん

あだなる夢は躍るなり
のぞみは高し天津空
思はひくし、あゝわが神


【人のすみか】

人のつくりし浮世より
のがれ出づべきすべはあれど
人をつくりしあめつちの
外にのがるゝすべやある
人の牢舎(ひとや)は浮世なり
人のすみかは天地なり
神をば知らんすべもがな