「柳影集」
【葦舩】
▼
たけきを(こざと偏+日)~の心には
などてめ(こざと偏+月)~のならるべき
いとし子すてし葦船の
行くへを看め伊弉冊(いざなみ)の
尊(みこと)は磯に泣き伏しぬ
限りもしらぬ大海の
波を枕の旅衣
吹くしほ風にさらしつゝ
いく夜すごすか葦船の
行くにまかせる蛭兒~
「あゝ行ける哉わか蛭兒
再び歸ることなかれ
汝がその足のたゝんまで
あゝ行ける哉わが蛭兒
潮の中に入るなかれ
われらは汝をすてしとて
あゝ行ける哉わが蛭兒
海の極の島國に
なが身を寄せよやすらかに」
を~のもてる瓊矛(たまほこ)の
光にまさる日のひかり
遠きうな原てらしつゝ
瑞穗の地(くに)に風なぎて
あゝ葦船の行けるかな
「天(あめ)の浮橋わが身には
憂ひにいたる道ぞかし
高間の原の~集ひ
樂しかりける昔をば
なげく甲斐なき我身かな
(石偏+殷)馭盧島(おのころじま)神社にすまひして
八尋の殿のあさ夕の
樂しかりしは少時(しばし)にて
天(あめ)の柱(たばしら)ゆるぐまで
悲しき涙おつるかな」
折りしも起る風の音
嘯く波にゆられつゝ
あはれ葦船流れ行く
海の極の島國に
あはれ葦船流れ行く
【杜陵八景】
▼
夕風さむき高樓に
空ゆく雲を看(なが)むれど
夢路のあとの懷かしく
今の愁にたへかねて
身をうちよする欄干(おばしま)の
花の惠みの露やこれ
寶の玉のもりが岡
昔ゆかしき舟橋の
八つの景色の浮彫も
世になき人を忍ばむと
なげきのうちの業なるに
尚せくりくる我が涙
酒に愁を忘れむと
うち傾くる盃の
數もつもりてうま酒の
香(にほひ)に醉へはわがこゝろ
わかき生命にたちかへり
昔を見する幻に
優しき姿あらはれて
我は光にてらされぬ
葡萄の眼、花の唇
翠の袖に紅(あけ)の帶
すこしちゞれし前髪や
笑へばいづる片ゑくぼ
玉の皮膚(はだへ)をなよやかに
柱によせて立つ時は
岸の柳の春風に
吹かれてなびく姿あり
思ひなやみて文机(ふづくえ)に
身をうち伏せはおくれ毛の
みだるゝ樣は秋風に
野邊の薄(すゝき)のそよぐごと
花の唇いきふけば
春風のべを渡るごと
わが身の心やはらぎて
香はたかし春の花
葡萄の眼つゆたべば
秋雨軒につたふごと
心のおくもしづみゆき
愁はふかし秋の草
たかき調のオルガンに
合せて歌ふ乙女子の
節うるはしき讃美歌の
中にまじれる君が聲
あたり靜けき金曜の
祈祷の會に身をふして
罪うちわぶる~の前
殊にやさしや君が姿(さま)
われその聲を聞くときは
塵のこの世をうちわすれ
われその姿を見るときは
罪のこの身をなげくなり
何を怨みて叢雲の
月をかくせる土曜日の
集會(つどひ)をはりて歸り行く
香ゆかしき君が袖
七日のうちの安息日(やすみび)と
~の定めし日曜の
午前のいのりの集會(あつまり)に
わきてうるはし君が髪
われその袖の香をかげば
若き血汐のわきかへり
われその髪の色みれば
若き生命にかへるなり
嗚呼ある時は箱根路の
緑の雲を分け行きて
葦の湖水の岸に立ち
名もなき鳥の音をきゝぬ
嗚呼ある時は東路(あづまぢ)の
碓氷の山にわけのほり
涼風かよふ高樓に
この世の夏を忘れにき
君が姿をうつしたる
湖水の水のさちおほき
あだ浪よせてわが胸の
絶えぬかわきに注げかし
吾妻はやとこひなきし
尊のこゝろわが身には
いとゞ悲く忍ばれて
恨はふかし輕井澤
悲しいかなやうま酒の
香の醉はしばしにて
さめてそれたき幻の
影に殘れるわが身かな
酒よりまさる汝が愛の
泉はかれてエンゲデの
コペルの花は色もなし
何を望みのわが身ぞや
月影清く欄干の
八の景色を夢のごと
淡くてらせばわがこゝろ
千筋の絲と亂れつゝ
都の住居うちすてゝ
心にまかす獨旅
いく山河をへめぐりて
岩手の關につきにけり
わが高樓の八景は
すぎにし昔文政に
歌や詩(からうた)筆にして
藩公(きみ)にさゝげしものとかや
今は時世も變りきて
不來方城(こぞかたじやう)の八景は
世の文明にともなはれ
さま新にぞ見えにける
心の宿の不來方よ
コペルの花の香をしたふ
わが身にゆるせ我が涙
汝が八景に注かなむ
悲しいかなや不來方の
園生の櫻ちりにけり
風は梢に吹きあれて
盛りの夢の跡もなし
散るぞ果敢なき夢見草
また來ん春をたのみてか
青葉しげりて春の暮
悲しきうちに望あり
はかなくなりし君が身は
さかで散りにし櫻花
時の使のめぐりきて
園生に櫻雲を起すとも
嗚呼いつ歸りこむ我が君よ
花に嵐と詩人(うたひと)は
つれなき風をうらめども
更にうらめし死出の山
春は花さき花ちりて
愁はふかしさくら山
花の雪吹(ふゞき)に降りかへて
靜にふくる夜の雨
病の床にうちふして
日にほそりゆく君が身を
いたみて泣きし折々は
悲しかりけり夜の雨
はかなきものと思ふ身に
ゆかりも深き櫻山
散るを惜みて春雨の
ふるはわが身の涙かな
八幡の山の秋の月
世々をてらしてかはりなく
さやけき光今もなほ
鳥井のほとり照すなり
嗚呼この光一度は
黒髪ながき彼の君の
影をうつして地(つち)にまて
香(にほひ)うつしゝこともあり
嗚呼この光一度は
笑顔やさしき彼の君の
面をてらして石にまで
戀を教へしこともあり
今は悲しき八幡山
鳥井のしめのしめやかに
光ふけゆく月見れば
すぎし昔を懷(おも)ふかな
悲しいかなや黒がねの
橋にかゞやく夕日かげ
西に沈まむ影みれば
はかなき君を思ふかな
悲しいかなや本誓寺
音あはれなる入相の
鐘きくときは我がこゝろ
世の常なさを恨むなり
悲しいかなや名須川の
小田の田の面の雁みれば
翼にうひてわれもまた
慕ひ行かまし君があと
北上川のはし近く
千舟は歸り船人は
うち喜びていさましく
うたふ船歌こゑたかし
われは果敢なき一葉舟
荒きこの世の大波に
たゝよはされて舵をたえ
行へもしらぬ濤の上
一葉の舟のわが身には
君が胸こそ埠(みなと)なれ
君いまさねぞわが舟を
行(や)らんたよりもなかりけり
一葉の舟のわが身には
戀しき君は順風(おひて)なの
君いまさねばわが舟を
行らんたすけもなかりけり
悲しいかなやから衣
きた上川の船人の
歸帆をみれぞよるべなき
身の果敢なさを思ふかな
冬は淋しき岩手山
ふりつむ雪の夕間暮
われたゝずみて看むれば
風いとさむし暮の空
岩手の山にふりつもる
雪はわが身の愁かな
つもりし量(かさ)の多しとて
われの愁にこゆべしや
岩手の山にふりつもる
雪はわが身のなげきかな
春の光にてらされて
流れ出づれば泪川
人に知られし不來方の
世にうるはしき八景も
闇にまよへるわが身には
悲しき樣に見ゆるかな
心の宿の不來方よ
ながうるはしき景(さま)を見て
あつき涙にむせぶなる
われを咎むることなかれ
【十字架】
▼
本篇は我が正教會の主教ニコライ氏のコを賛した
る者なり。予多年同主教の館内に住み朝夕其温容
に接し懇篤なる教訓を受く。予や不幸幼にして父
母を失ひしも、今や同主教を見ると宛も我が父母
に異ならず。夫れ本篇の如きは、只同主教の片影
をうつせしのみ。予が主教に對する感情及び同主
教の事業に就きては、他日一大篇什を出さんとす。
一
吹く風あつき夏のそら
むらがり起る夕雲の
あはひにきらめく電雷(いかづち)の
四方に轟き走るごと
若き~僕(しもべ)の胸そこに
シナイの山の~の聲
ひゞき渡りて身にくだる
~の使命(みむね)を悟り得つ
月おぼろなる春の夜
波しづかなる大海の
底に流るゝやほじほの
わきかへりつゝ行くごとく
ナザレの主(きみ)の御言葉の
深きこゝろを身にしめて
道をつたへん心根は
せきとむべくもなかりけり
心おごれる惡魔(まがかみ)は
わかき~僕の髪をひき
心けがれし惡魔は
わかき~僕の肩をうち
「あゝ行き玉ふことなかれ
才すぐれたる身を持ちて
など愚なる傅道の
むなしきわざに果つべきぞ
「あゝ行き玉ふことなかれ
萬巻(よろづ)の畫(ふみ)を讀み破り
名譽(ほまれ)の源(もと)の湖の
智識の水にあさねかし
「止(とゞ)まり玉へわが友よ
見えざるわざに見ゆる身を
まかせて果つる愚さよ
わかき生命を思へかし
「止まり玉へわが友よ
富を作りて家をたて
位をうけて死をかざり
この世の花をさかせかし
シナイの~の御手(みちびき)は
わかき~僕の指にふれ
ナザレの主の接吻は
わかき~僕の頬にあり
「心沈めてきゝねかし
汝が言の葉はいつはりぞ
生命のみちは十字架の
うへに流れし血汐なり
「あゝ或時はわがこゝろ
わかきいのちの一筋に
渓水(たにがは)したふ鹿のごと
智識の水を追ひゆきて
「學びの庭の木の下に
言葉の露の香を仰ぎ
書籍舘(ライブラリー)に千萬巻(ちよろづ)の
書籍(こも)を求めてひそみにき
「深き緑を浮べたる
智識の淵のひろくとも
活ける泉をうちすてゝ
などか生命を求むべき
「わが身をされよ惡魔(まがつかみ)
生命の流うちすてゝ
智識の水にまよふなる
よわき心の我ならじ
「あゝ或時はわがこゝろ
この世の君のいつはりに
淺くもまよひくれ竹の
世にあらはるゝいさをしの
「濤路を破り風をわけ
昨(きのふ)はひがし今(けふ)は西
港にならす汽笛(ふえ)のおと
さもいさましき大船や
「水をめぐらし樹をうゑて
珠を彫(ちりば)め花を刻(ほ)り
にしきの幄(とばり)黄金の
燭(ともしび)てらす高樓を
「董花さく川岸の
かりねの夢の手枕に
~のみむねを忘れつゝ
あはくうかべしともあり
「わが身を去れよまがつかみ
雄鹿の角のつかのまに
凋むこの世のあた花の
匂をしたふ我ならじ
「あゝ天つ~!天つ~!
かぎり知られぬ御手をもて
みちなき野邊にさまよへる
われをみちびけ行く道に
「あゝ天つ~!天つ~!
かぎり知られぬ靈光(ひかり)にて
遠きやみぢにつかれたる
われをてらせよ安らかに」
「波路はるけき東の
はてに國せる日本の
青草人をイゝスゝの
めぐみの露にうるほはせ
「シナイの~のみひかりを
富士の高根にきらめかし
遠き異國のくにたみに
まことの道を教へかし」
二
雲にそびゆる圓頂(クーポル)の
上にきらめく十字架は
駿河の岡の中空に
~の御稜威(みいづ)を示すなり
深山の奥に身をかくし
きらめく星の夜おそく
みちなき山をふみあらし
崖にうそぶく獅子の身も
ナザレの主のみをしへを
民につたへて身を忘れ
敵をたふして義にいさむ
師父(きみ)の勇氣(こころ)にくらふれば
瀬をいのちなる小魚(うを)の身を
晴たる空に雲を呼び
やみをひろめて雨ふらす
龍のこゝろのそれなれや
誰か傾く月影の
ガラスの窓のまどおほひ
淡くてらすをうち看(なが)め
その故郷を慕はざる
誰か山路のむらさきの
葡萄の露のいろをみて
茂れる棚の葉の蔭に
その父母を懷はざる
誰か小鳥の聲をきゝ
たのしき歌を耳にして
牧場の暮の野がへりの
その朋友(ともがき)を忍ばざる
窓蓋(おほひ)洗ふ月の影
みどりしたゝる葡萄葉の
蔭につらなるむらさきの
葡萄の露や鳥の歌
ふるさと遠き旅の身の
師父の心にうつれども
あゝその弦(つる)のきれむまで
心の緒(いと)にひゞけども
人の姿を身にうけて
地(つち)にくだりしかの主の
旨にまかせる魂(たま)と身は
喜びて負ふ十字架や
春は凾根の嶺をこえ
西に教へをつたかづら
まつはる罪をきよめむと
水の洗ひをほどこせり
夏はこえ行く白河の
關のかなたのみちのくの
うつ波あらき荒濱の
磯邊に民をよびあつめ
秋は越路に錫杖(つえ)を曳き
碓氷の山にわけのほり
民の心のかたくなを
紅葉の蔭にうちなげき
冬はさびしき北陸や
河北の湖の芦鴨の
うきねに似たる人の世を
數へたまへり山蔭に
みどりの滴(しづく)谷に落ち
流れて山をいづるごと
清き心の師父が胸
流れいづらむ説教(のりのこと)
野邊ふぞ草の朝露に
わかき生命を得るごとく
伏屋のうちの賤夫(しづのを)は
師父の惠の露に泣き
靜にふれる春雨の
梢の翠(いろ)を洗ふごと
師父の説教(ことば)に宮人は
その靈魂(たましひ)を洗ふなり
貧をあはれみ孤をめぐみ
寡(ひとり)の人を慰めて
~にさゝぐる祈りごと
あゝうるはしき師父がむね
言葉すくなきわが筆は
師父をほむべき力なし
弦ゆるみたるわが琴は
師父を歌はん術もなし
詩人(うたのひじり)のフランスの
天才(まれなるひと)の筆にせし
書(ふみ)のうちなるミリエルの
さまに似たりや師父が身は
駿河の岡の空中に
天の使のあつまりて
師父をまもりつ歌うたふ
師父を見玉へやそのかげを
【硯賦】
▼
光りもうすき我が部屋の
冩字臺(デスク)の上の硯には
清き心の泉より
流れいでたる君が情(じやう)
こもりやすらむ永久に(とこしへ)
うすきちぎりと今ぞ知る
昔こひしきみちのくの
末の松山貝石の
硯を我に贈りしは
~の使の君が手よ
匠人の刀、海を堀り
岡を造りて貝石は
玉の潤ひうるはしく
烏金をすれば我がこゝろ
あやしき樂をきける哉
硯の海は淺くとも
深きなさけの君が胸
香りゆかしき風吹かば
我が身の胸は荒磯の
濤たちのぼる海の岸
風やはらかき春の暮
桜の花の一片の
硯の海にたゝよふは
我が身の上に似たるかな
薄き命を君や知る
土をやくてふ夏の日の
硯の海を乾すごとく
かわきてやまぬ我が胸に
玉の泉を注げかし
愛の渇きを君や知る
梢を落つる木々の葉の
雨にもまがふ秋の夜
硯にうつる月影に
君の姿もうつれかし
長き恨みを君や知る
葦の葉かれて雁金の
さびしく鳴ける冬の朝
情けにあつき君が呼吸
硯海(うみ)の氷を解せかし
深き愁を君や知る
心つくしの貝石も
今はあだなる形見ぞと
朝(あした)の風になびきにし
煙の末のうらめしく
こほりて解けぬ夕雲や
心に燃ゆる焔もて
かの夕雲をとかすれば
あつき涙の玉霰
硯の海に流れ落ち
墨の色香も薄るなり
墨の色香はうすくとも
筆運びゆく玉章(たまづさ)を
あつき涙と君知らば
安き心をわが魂に
再び返へし玉へかし
岸の柳の糸たれて
流れやさしき中津川
その源は北上の
遠き山路の谷の水
流れ/\て海にゆく
身もそれなれやあぢきなき
この世をうしと見てしより
かの青雲をうちすてゝ
殘れる身(から)と魂は
君の胸にぞ流れゆく
【河水】
▼
人に知られぬ山陰の
岩間をいでゝ走りつゝ
たぎりてめぐる百千渓
すゑは荒野のはてにゆき
涼しく咲ける白百合の
その面影をうつしつゝ
あるは野草にたはむれて
深きみどりのいと廣く
くめどもつきぬ大河に
わが戀ふ人やたとふべき
はかなき影にまよひそめ
心の緒(いと)のみだれつゝ
涙ながるゝわが頬も
今は色なくなりにけり
河水清く流れゆき
若き心はうつれども
彼岸は遠しさゞなみや
渡るよしなき憂きおもひ
悲しいかなや我がこゝろ
溺れやすらん河水に
【別離】
▼
再び遭はんその日まで
何どか忘るゝぞあらむ
君と別るゝ悲みは
心の絲のきるゝまで
強くうちけり我が胸を
しばしはゆるせ我が友よ
あさぎり深き松蔭の
露おく草のほとりにて
別れに灑ぐ涙こそ
汝にも我にも生命なれ
あゝ我が友よ汝が涙
いかなる時にぬぐふべき
あゝ我が胸のくるしみは
いかなる時にとくべきか
まためぐりあふその日まで
別れてのぼる旅路には
たのしき事は夢にだも
獨り行く身は悲みの
重き軛(くびき)にうちなやみ
夢想(おもひ)は君をめぐるべし
過ぎにし夢を説く勿れ
たのしきちぎり語りても
今はむなしき影ぞかし
流るゝ水に譬ふべき
つきぬ恨みの別れ路や
今松蔭をたちいでゝ
君に別るゝ我がこゝろ
朝に夕に汝をのみ
幸に不幸に汝をのみ
憶ひて日をぞ送るらむ
【都を出づる歌】
▼
櫻の花の散りそめて
樹々に若葉のさしゝより
あやしく病める吾が心
身も日にまして凋みけり
夏の初の深みどり
つよき光にてらされて
木々の梢にかゞやけば
鳥は晴空(みそら)に畫きつゝ
秋の希望(のぞみ)をこむるてふ
夏の自然をゆかしみて
うたひつほめつ興すれど
とくによしなき吾が怨
うらみや誰に寄せてまし
おのが果敢なき心より
身も世もすてゝ嘆きたる
緑の髪の君にかも
嗚呼愚なるわが心!
僞り多き世の中に
誰か誠の心もて
戀する人のあるべしや
をとこをみなの僞を
戀とや人の名づけゝむ
あやしく動く心根を
情と世には唱ふめり
されば千束の玉章(たまづさ)も
皆いつはりの仇し言
やさしく震ふ唇も
唯一時のなさけのみ
膚(はだへ)は雪をあざむけど
心のいろは清からぢ
緑の髪は長けれど
縁(ゑに)みぢかきを誰か知る
妙なる文をつゞりなぞ
世をも動かす筆のあや
哀れにうたふ一節の
異國(とつくに)ぶりの歌の聲
やさしくたるゝ振袖を
風にまかせてうちふれば
きよき香(にほひ)の花の影
春にゑひたる心かも
あゝ筆のあや歌の聲
香の春にゑひはてゝ
心の泉わきかへり
あやなく君にそゝぎしが
今は空しきまぼろしの
追ふかげもなき夢の跡
やすき心を吾が身より
うばひし君のつれなさよ
嗚呼愚なる吾がこゝろ!
いつはり多き世の中に
誠の文のあるべしや
歌は言葉のかざりのみ
やさしくたるゝ振袖に
薄き情をつゝみつゝ
花のかをりの油にて
汚(け)がれし心おほひつゝ
うはべをかざる優(や)さ姿
風にとたへぬ糸柳の
水に臨める樣ありて
心づよきは女なり
學びの道を咀へかし
あしき學びの身にしみて
おのづからなる婦の道を
今の處女(おとめ)はうちすてぬ
嗚呼吾がこゝろもゆるなり
つめたき智惠の水さして
消さんとせしも幾そたび
されどあやしき焔にて
大路をゆきて乙女子の
罪なき樣を看むれば
一度ありし彼の君の
昔の樣を憶ふかな
まばゆき衣、雪の膚
笑へる如き唇の
やさしき紅の色みれば
想にうかぶ夫(か)の夕
嗚呼愚なる吾がこゝろ
あらゆるものを捨てよかし
世は僞の器にて
人は不實の型なるを
夏のあつさの増す如く
心の病日につのり
今はえたへずなりにけり
なれし都をいざ去らむ
郷(くに)をいでしは廿年(はたとせ)の
昔の夢となりにけり
あゝ彼時は船人の
船よそほひて出るごと
行くての望多くして
わかき生命のたのしくも
盃うかべ友垣と
共にうたへり詩(からうた)を
こゝろは遙か異(たが)へども
年月あまたすみなれし
都を去らんけふの日に
何ど一言のなからめや
歌
我歸らじな都には
幾多の月日へしかども
かへすすべなき吾が怨
都はわれの敵なれや
學びのわざをさづけしは
都の恩と人は言へ
安き心をうばひたる
都はわれの仇なれや
したしき友とちぎりしは
花咲く春の夕なり
限りしられぬ悲みを
都の常と忍ぶかな
僞(いつはり)多き都人
~のいかりはおそからず
ゆめな忘れそわが友よ
海にもにたる長き恨を
怨は都(なれ)にかへれども
かへる時なき草枕
東(あづま)の關の雲を追ひ
西の海邊の波をみて
吾が放浪(さすらひ)の一生は
雲路遠山あるはまた
愁煙肝を焦すなる
孤島のさまに嘆くらむ
さらば都よ吾が友よ
われは歸らじ都には
年あまたへん後までも
われは歸らじ都には
【卒業生に寄する歌】
▼
由来人生不幸多し。而して女子の不幸なるは實に
憐むべきなり。駿台の女子~學校の生徒業を卒へ
て世に出るに際し、予彼等の前途を想ひ感慨のあ
まり此の一篇を賦して、女學生に寄せたり。
深き惠みの師に別れ
厚き情けの友垣に
袖をわかちて君は去る
うきことしらぬ花園を
庭の櫻の咲きみだれ
紅雲たなびく欄干(おばしま)や
緑したゝる葡萄葉の
蔭うるはしき夕暮や
あゝ一時の夢とすぎ
心くしたる文のみち
今日卒(おは)りてぞ君は去る
うきことしらぬ花園を
駿河の岡にひらきにし
學(まなび)の舎(いへ)のあけくれは
遠き昔にありしてふ
たのしき園にことならじ
學を卒へし喜びは
君がまとへる花衣の
その片袖につゝまれで
あふれ出でたる頬の微笑(えみ)
さはいへ少時(しばし)思ひ見よ
幾年月をすごしたる
たのしき園を今日いでゝ
何處へ君は行き玉ふ
縁(えにし)のうすきわが身にも
君か行方を看むれば
胸は愁の雨雲や
なあざけりそわが涙
しばし止(とゞま)りきゝねかし
うきことしらぬ花園を
今日出でゝ行く乙女子よ
調べつたなきわが歌を
心はうきに閉されて
山また山の旅衣
夫(か)の峻嶺にわけのぼり
杖を停(とど)めて看むれば
山はけはしく水蒼く
荊棘路に横はり
風伯雨師は折々に
うき身をおそふ行路難
車を摧(くじ)く大行の
路はけはしくありぬども
舟覆す巫峻(ふうけふ)の
流れはいとゞ急(はや)しとて
何ど難からん人生(ひとのよ)の
いまだ知られぬ路をゆき
限りもあらぬ悲哀(かなしみ)に
こゝろ傷(やぶ)るに比ぶれば
悲しいかなや君が身は
人の生(いのち)の旅にいで
雨とふりくる禍を
今はのがるゝ術もなし
やさしき君が眼眸(まなざし)に
泪たゝふる有樣は
雲間をもるゝ曉星か
草にやどれる朝の露
笑をふくめる唇は
香の高き薔薇の花
豊けき頬の櫻色
眉は翠の遠山や
罪なき胸の眞底より
いづる息にはやはらかき
春の風こそこもるなれ
冬の氷もとけぬらむ
つやうるはしき黒髪は
春はまだ若き青柳の
風に洗はれ一入の
色をますにやたとへなむ
綿にも似たるやはらかき
君の両手やくれなゐの
爪ある君の両足や
優しく立てる有樣は
天(あめ)の使の雲をいで
この世に降りし姿あり
また譬ふれば玉樹(ぎよくぢう)の
風に臨むに似たるかな
若きいのちを譬ふれば
未だあたらしき太陽(みひかり)の
朝の霞を出づるごと
暮には遠きたのしさよ
清きこゝろを譬ふれば
雲間をいづる宵月や
塵にはそまぬ清光の
その身をてらすうつくしさ
かくもやさしき乙女子を
この世の君は何と見む
かくもやさしき乙女子を
この世の君やけがさなむ
あゝ乙女子よ乙女子よ
若きいのちのあさぼらけ
この世の塵と悲みに
ちかづくなかれ心して
さはいへ悲し君が身は
行かでやむべき人生の
悲み深き大海や
愁ひたへざる濤の音
心やさしき君なれば
かなしみ深き人生の
舟出に泣きて紅涙は
長き袂をうるほさむ
心やさしき君なれば
世の波風になやみては
舵をたえたる捨小舟
行くべき島を失はむ
心やさしき君なれば
ながき年月人生の
あらき波路にたゝよへば
なげきに死にやし玉はむ
かゝる悲しき人生の
海はわれ等が自から
つくり出しゝ苦境にて
逃かるゝかたし人の運
定まる運を逃るゝは
たやすき業にあらずかし
さればわれ等はもろともに
~にいのりてすごさまし
あゝ乙女子よ乙女子よ
汝がうるはしき心もて
天にゐませる父君に
安き心をいのれかし
限りしられぬ惠みもて
汝をいつくしみそだてたる
その父母を失ひて
淋しき部屋になげくとき
幾山河をへだつれど
世にむつまじき同胞(はらから)に
永き別れとなりにける
報知(しらせ)を汝のきけるとき
梧竹はあをく紅の
薔薇の香(にほひ)のかんばしき
窓の下にて汝が夫(つま)の
深き愁を思ふとき
川添ひ柳かげさびて
闌(うつろ)ふ秋のこがらしに
汝が失ひし緑子の
その面影を憶ふとき
野邊も山邊もかれはてし
淋しき冬のまよなかに
重き病の床にある
夫(つま)の枕ぬるゝとき
あゝ乙女子よ乙女子よ
汝がうるはしき心もて
天にゐませる父君に
安き心をいのれかし
ふかき愁の身にふりて
あつき涙のいづるとき
心をやぶる悲みの
雲にその身をつゝむとき
光をしたひ闇黒(やみ)になき
身も魂もすつるとき
自由を望み罪惡の
軛(くびき)すてんと思ふとき
過ぎにし方の罪を悔い
ゆくての希望を願ふとき
この世のつとめなしはてゝ
來たらん御世にいたるとき
あゝ乙女子よ乙女子よ
常にいのりて一時も
心にやむることなかれ
~はまもれり君が身を
うきことしらぬ花園を
今日しもいでゝ君はゆく
調べつたなきわが歌も
あだになきゝそ我友よ
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