児玉花外

こだまかがい(1874-1943)

山口県大津郡生まれ。本名伝八。生後間もなく京都に移住。同志社から仙台東華学校、札幌農学校を経て1894年に
東京専門学校(現早大)文科に入学。1899年第一詩集『風月万象』を
山本露葉・山田枯柳との共著の形で出版。花外
は<麦笛>という章題の下、「鶏の歌」から「別離」まで13篇を収めている。1903年第二詩集『社会主義詩集』を刊
行しようとしたが発売禁止処分になる。わが国で詩集が発売禁止処分を受けたのはこれが最初。1904年「曩に発売
を禁止せられたる吾が『社会主義詩集』中の詩は、本集には半篇だにも収めずと扉裏にわざわざ注記して『花外詩
集』を自ら出版。この詩集には「波濤を望みて」から「山上感吟」まで30篇が収められているほか、付録として岩
野泡鳴・徳田秋声・幸徳秋水・堺枯川ら59名の『社会主義詩集』発禁処分に対する意見を「同情録」としてまとめ、
併載した。1906年には山口孤剣・白柳秀湖・中里介山らの社会主義文芸同人雑誌「火鞭」の発起人となる。1907年
『ゆく雲』、08年『天風魔帆』を刊行。そして1923年には三大校歌の一つといわれる明治大学の校歌「白雲なびく」
を作詞した。しかし大正期以降、晩年は詩作から遠ざかり不幸であった。1934年東大病院に入院、1943年急性腸疾
患で没した。『社会主義詩集』は1949年に
岡野他家夫らの努力により復刻出版された。/「日本現代詩辞典」より


『社會主義詩集』より

【支那パイプ賈】

    われ西の京に在る日この異邦人を見たり

曳船かよふ高瀬川
橋の袂に支那人の
出すや小さきパイプ店

店は硝子の箱一つ
小高き臺の上にすゑ
中にパイプを並べあり

支那の石にて作りたる
ものよ木片に腰かけて
道往く人の買ふを待ち

色はさめしも國風の
服を着けたり天が下
歩むに變へぬ扮装(なりすがた)

さすがに人は集まれり
こは珍らしと思ひてや
老も若きもとり圍む

自ら稱ふ同胞の
哀れをみても涙なき
人のいかでか異邦(とつくに)の

人に情を表はさん
眼に嘲りのひらめきて
笑ひを含む口の内

時に罵り過ぐもあり
たまたま買ふと手を觸れば
人は品ともなぶらるゝ

パイプの罅は忍ぶべし
國の罅をば支那人よ
如何とするぞさり乍ら

あゝ愚の群よ耳の塵
拂ひて聽けよ戦ひに
敗けたる國の人といへ

正しくなせる生業を
河を渡りて淫を賈る
自國の婦女といづれぞや

麥酒舞踏に洋行か
汝の國に誉れある
紳士學者といづれぞや

巴里に行きたる唄女(うたひめ)は
博覧會の出品か
嗚呼極東の美術國

【可憐兒】

春の水ゆく河岸の
淺緑なる柳かげ
哀れ母子の乞食あり
玉とめづらむ嬰児を
襤褸(つゞれ)に被ふ石の上
げに初花のそが如く
あな愛らし稚子かな
綾や錦に包まらば
世の名門の捨子かと
人や拾はむ、立寄りて。

この世の苦をばしるしたる
母のおもわに似もつかで
いとゞ美はし子の顔も
日々につれなき世の爲に
天をも怨む目とならむ。

衣は雪と墨にせよ
人に差異(けぢめ)のあるべしや
社會主義者の父と稱ぶ
カール・マルクスの名によりて
吾は抱かなむ、可憐兒(いとしご)よ。


『花外詩集』より

【故園】

殘んの光華やかに
紅き夕陽の沈む時、
熱き額を地にたれて
はるばる洛に入りみれば
故郷の秋は暮るゝかな。

淋しき目にも懷かしゝ
愛宕の山や、比叡山
狭霧に腰を纏はせて
昔ながらの平和(やはらぎ)の
姿を天に聳ゆなり。

湧き出る水の清ければ
こゝなる女肌白う
みやびの男優しくも
情は薄し、衣飾り
往き來ふ人の面識らじ。

名所々々は如何ならん、
衢は大廈いや榮え
物質みなこゝに輝けど
ああ美と善のうちつれて
去りにし跡ぞ歎かるゝ。

空も愁に曇るらむ、
疵もつ胸に沁みぬとも
故園の風のうれしさよ、
涙に似たるふるさとの
雨に濡るゝもおもしろや。

流るゝ水や、行く雲や
さすが穏(おだ)しの山城や、
世にさすらひの悲運兒の
ひまなき足に比ぶれば
動(ゆる)ぐともなきそがさまや。

夏は緑のしたゝりし
御苑の杜の蔭ゆけば、
塒につどふ夕鳥の
吾に謳ふにあらなくも
歡迎(むかひ)の歌と聞かれつゝ。

秋の木の葉の散るが如
一家哀しき別れより
われに古巣はあらねども、
元の「自然」を宿とせば
今宵の夢やゝすからん。

秋も靜けき平安に
初めて戀の思あり、
鐘の響や、星の色、
青き光の月かげに
疲れし胸をいやさまし。

嗚呼、流落に飽きし身の
明日は都を立出でゝ
また憂きことの堪へがたな、
母の墳墓の側に
永久の膝にぞ倚りて眠らむ。


【菫と別るゝ歌】

夕暮ヒゝと啼く鹿の
齒より漏れけむ青き葉の
流れて下る一葉舟
見送りがちに田荷河に
そひつゝ上る山の路、

朝日の光あざやかに
枝うちかはす樹をもれて
鳴くや百鳥(ももどり)樂しげに
あしたの歌を唱ふなり
吾は思ひに沈みつゝ、

いとも悲しき人生の
旅路あゆみし若人の
その初戀に遇へる如
露にぬれたる一むれの
菫みしこそ嬉しけれ、

山の香たかくにほひきて
木の葉に見ゆる風吹かば
濃き紫の愛らしき
眼をもてる花と花
囁きあひぬ傾きて、

優しき花に向ひては
かたくななりし吾心
愁ひは消えぬ、ながめては
また新たなる悲哀(かなしみ)の
湧きこそいづれわが胸に、

さみしき孤獨(ひとり)たのしみて
人の面わの厭はしう
世の冷たさに堪へかぬる
吾は汝(いまし)の友たらん
終日(ひねもす)山に登り來て、

人とうまれて幸薄う
泣きて世を經る宿命かや、
苦痛(くるし)の形もたむより
せめて花とも生ひもせば、
思へば神も恨みなり、

曉に開きて夕には
萎むもよしや美はしき
命なりけり、やよ菫
獸の足に踏まるとて
春の子なりし、短かくも、

平和の小き世界とはこれ
仲間(とも)と容れまじ花の輪に、
願ふはゆるせ一もとを
所狭(せ)くともわが庭に
移し植ゑては慰まん、

否とよ菫、けがれたる
衢の塵ぞいたはしき、
他(あだ)なる草の花つまば
憂しや捨てんの恐れあり、
日影よ、覗射(さ)しそ泣きて別れむ。


『ゆく雲』より

【空罎買】

春の波寄す品川の
町の家並に潮の風、
浮世のからき生活(なりはひ)に
買ひて集むる母と子が
幸も空なる空瓶よ。

碎けて脆き人生(ひとのよ)や、
細き腕に、青蔦の
抱ける重き實の如く
笊には薄き運命の
をはりに似たるガラスかな。

春の夜毎の宴會(さかもり)に
人と倒るゝ亡骸の
ビールの罎や、耀きし
鋪屋のこはれも買ひませう
冥府(よみ)の使者(つかひ)の聲の如。

昔おもへば長かりし
髪に被れる手拭の
中に幾計(いくそ)の智慧かある、
胸を掩へる衣一重
裏には知れぬ悲哀(かなしみ)や。

花の姿にあらねども、
女の恥づる稼業(わざ)みれば
夫(つま)に死別れし寡婦の身や、
人と社會に捨てられし
屑の屑買ふをかしさや。

沖の波間の舟入に
獲物あたふる神あらば、
險しき路の世を渡る
二つの命まもりてよ、
惠みを玉へ、笊に満つべく。


『天風魔帆』より

【白帆に寄する詩】

あゝ、大波のうねうねや、
旭日を孕む金帆は
七月、佐久の白百合の
雲吹く風に揺る如し。

聞け、赤銅の裸男(はだかを)、
浪も鎭まる火の言(ことば)、
見よ、巖角に手を舞はし
おゝ長髪の人立てり。

驚く勿れ、漁夫の子ら、
大き丸帆にわが怒、
小き片帆にわが愁、
載せて駛(し)けれや茫千里。

いかに其船、釣絲に
鰹、積んでは百石よ、
高き、美しを劒に獲む、
古今ぞ抜ける海賊ぞ。

陸(くが)在るきはみ、氷島(ひょうたう)や
舳の前に崩れ伏し、
魔帆むく影に諸々の
船は逃るる鰯かな。

巖にたばしる熱血に、
波も躍りて今急に、
行方は知らじ、たゞ勝利、
いざや帆を張れ、
     吾が胸のごと。


【涙の河】

秋の愁に堪へかねて
ふりさけ見れば、大空に
今宵かゝれる雲もなく、
銀河流れて明かに
天の不滅の螢火か、
光あふるるあまの川。

ああ、人の世の秋は常、
み空に星の川あらば
地にぞ涙の河あらむ、
水嵩や代々に増すとても
人の目つねに露ありて、
見れどもそれとわかぬのみ。


明治大学校歌

【白雲なびく】

白雲なびく駿河台
眉秀でたる若人が
撞くや時代の暁の鐘
文化の潮みちびきて
遂げし維新の栄になふ
明治その名ぞ吾等が母校
明治その名ぞ吾等が母校

権利自由の揺籃の
歴史は古く今もなほ
強き光に輝けり
独立自治の旗翳し
高き理想の道を行く
我等が健児の意気をば知るや
我等が健児の意気をば知るや

霊峰不二を仰ぎつつ
刻苦研鑚他念なき
我等に燃ゆる希望あり
いでや東亜の一角に
時代の夢を破るべく
正義の鐘を打ちて鳴らさむ
正義の鐘を打ちて鳴らさむ