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川路柳虹

かわじりゅうこう(1888-1959)

東京生まれ。本名は誠。幼少期は福山市や淡路洲本で過ごした。洲本中学時代から文学に関心をもち
「中学世界」などに投稿を始め、京都の美術工芸学校に入学した後までもそれは続いて、「文庫」や
「新声」などに多くの作品が掲載された。やがて河井酔茗の主宰する詩草社に加わり、作品は機関誌
「詩人」誌上を飾ったが、とりわけ「新詩四章」の中の一篇「
塵溜」は自然主義の精神に基づいた口
語詩の第一声として注目され詩壇に大きな波紋を投じた。その後、東京美術学校(現東京芸大)に進
んだが詩作は旺盛で「早稲田文学」「文章世界」「創作」などに発表。これら初期の作を集めて詩集
路傍の花』を上梓した。 口語自由詩を収録した最初の詩集としてその意義は大きい。その後 三木
露風を中心とする詩誌「未来」の同人として活躍。この時期の作は『
かなたの空』にまとめられた。
その後の詩集『
勝利』になると抒情性を脱皮してしだいに主知的傾向が表われ次の詩集『曙の声』で
はそれがより顕著となる。更に詩集『
歩む人』に至って主知派詩人の本領はいかんなく発揮され「
發時」のように日常の些細な出来事の中に深い思索の跡を示した。没後に遺稿詩集として『石』が上
梓された。/「本現代詩人辞典」より

 

塵塚

隣の家の穀倉の裏手に
臭い塵溜(はきだめ)が蒸されたにほひ、
塵溜のうちにはこもる
いろ/\の芥(ごもく)の臭み、
梅雨晴れの夕をながれ漂つて
空はかつかと爛れてる。

塵溜の中には動く稻の蟲、浮蛾(うんか)の卵、
また土を食む蚯蚓らが頭を擡げ、
徳利壜の虧片(かけら)や紙の切れはしが腐れ蒸されて
小さい蚊は喚きながら飛んでゆく。

そこにも絶えぬ苦しみの世界があつて
呻くもの死するもの、秒刻に
かぎりも知れぬ生命の苦悶を現じ、
闘つてゆく悲哀(かなしみ)がさもあるらしく、
をり/\は惡臭(をしう)にまじる蟲螻の
種々のをたけび、泣聲もきかれる。

その泣聲はどこまでも強い力で
重い空氣を顫はして、また軈(やが)て、
暗くなる夕の底に消え沈む。
惨(いたま)しい「運命」はたゞ悲しく
いく日いく夜もこゝにきて手辛く襲ふ。
塵溜の重い悲しみを訴へて
蚊は群つてまた喚く。

1907.8

詩集『
路傍の花』・「曇日」より


【バタの鑵】

戸棚の隅のバタの鑵――
半ばは屠りつくされて
臭み蒸された油の香
はげしく香ふ棚の中、

壁には黴の花が咲き、
うつらに暗い夢をみる、
暗い世界に瞬いて
ほのかに光る壜の色――

こゝには狭い厨房(くりや)から
かすかに漏れる日のかげが
わづかにものゝ差別する
生命の鈍いうす光り。

これに照らされ微かにも
浮び出されるものゝのかげ、
青に、茶いろに、紫に、
膳のかげ、また皿の色。

浮び出された光りには
不安の「生(せい)」が仄びかる。――
暗い世界に置かれたる
あらゆるものゝ閃(きらゝ)めき。

匙やフオークの光りにも
まして一きはバタの鑵――縦横に
ナイフの痕をいれられた
鑵の負傷(てきず)はもの凄い光りに閃(ひか)る。

戸棚の隅のバタの鑵――こは
恐しい殘虐の手がある日かく傷つけた
癒えぬ痛苦を膿(うづ)かして
呻きながらに訴へる。

つよい輝き、恐ろしい世を照る光り、
戸棚のなかにかき潜む
暗い痛みを投げ出して
鑵の負傷は光つてる。

1907.9

詩集『路傍の花』・「曇日」より


【素畫】

畫家よ、木炭の走るがまゝに君の生命を、
こゝろやすく紙の上にうつす、畫家よ、
モデルの靜かな皮膚が呼吸する光りを、
じつと瞶(みつ)めながら。君の眼は發見に輝いてゐる。
幻に浮きいでる肉體のおとなしさは
畫の泉よりも美しく君の内心を噛む。
君は「不可思議」と「不能」とのために迷はず、
瞳はたゞ怡(よろこ)びにのみ燃えてゐる。

木炭の走るがまゝに君の生命を、
こゝろやすく紙の上にうつす、畫家よ、
墨繪のなつかしい陰影に浮く生(せい)の寂しみは、
かるく拭ふ君のパン屑よりも小さい。

美と、實在のよろこびと、感覺の幻像とを尊べ、
いま消える影をとゞめよ、
光りの夢にうく私の生の素畫(デツサン)は、
疲れた線と影とに消えてゆく。

詩集『かなたの空』・「伸びゆく芽」より


【歩める人】

   Il est ainsi de pauvres gens,―
Verhaeren


  T
歩める人よ、
おん身の周圍に、
樹木と日光と、爽やかな空の光りと、
五月の麗かな花のにほひと、海の香りと、
歩める人よ、おん身の周圍に、
かつて纏はりし記憶をたづねて、
おん身はいま何を見る。

  U
美しき田畑を過ぎてゆく汽車の如くに、
「時」はおん身をのせて走り去る、
おん身の手は耕作をする農人のやうに、
新しい土を掘れど、
おん身の眼は輝く風景を過ぐれど、
おん身の心には馬齢薯の花だに咲かない、
しかもなほおん身は種を播く、おん身は培ふ。
鐵(くろがね)の土、金の土、また土の土に。

  V
希望と期待とはげに間者である。
優しく息づくおん身の心は常に裏切られ、
すぎゆく後(しり)へにすべては夢と嘲(わら)ふ。
夢、げに夢のみいつも美しく。

  W
樹は緑をかへて骨だち、
灰ばむ空に傷のごとく太陽はにじむ。
死のひそむ靜かな地平に、
群れさわぐ鴉よ、
おん身の心に似て寂しく鐘もまた鳴り渡る。
しかも「順禮」のおもひに
なほ愛しむものをたづねて、
おん身は歩む。

  X
おん身は歩む、貧しき心に、
なほ明日を信じて、太陽を信じて、
おん身はなほも歩む。冬の氷雨に
ちりぼへる灯をしたひ……
おん身は歩む、愛のこゝろに
なほ青き生命をこがれて。

詩集『かなたの空』・「内心」より


【良き夜】

快く雨は土に匂へり、
九月の宵のふかみゆく草のかげ、
ひそかに祈りするものゝ如く
心こめたる肅(つつ)ましき歌に
世界は蟲の響となる。

時計の音も靜かな宵かな、
われ足音を立てずとも
しだいに迫りくる空氣は
なにものか力ある聲に囁き、
新しき果物の匂ひの
濕りたる土より息をはなてば
涼しき瞳は隠れたるところに笑へり。

われに軛(くびき)をかくるものなし、
われに、僞(いつはり)を教うるものなし、
風のきたればしづかに
簷(のき)ばの風鈴は鳴るごとく、
われあたへられたるものを正しく
わが心のまゝに響かせむ。

快く、しづかに
雨は永遠の世に煙れり、
われ灰色の衣をぬぎすてゝ
ねがはくばねぢけたる微笑を
わが~のまへにほどかむ。

詩集『勝利』・「耕人」より


【過ぎゆくものと「生」】

昨日の日をながめよ、今日は屍骸(むくろ)となつた
 昨日の日をながめよ。
過ぎ去る亡靈の影とうつる
 昨日の日をながめよ。
運命のをかしくも織りなしてゆく
縷れの青ざめた昨日の日をながめよ。
「昨日」はわたしを捉へた。
「昨日」はわたしを苛んだ。
「昨日」はわたしを蹂躪(ふみにじ)つた。
わたしは力ない腕をふるつて
むらがる惡鬼と爭闘した。
わたしは湧きおこる力を豫想して
「昨日」の扉を押しやつた。
わたしは不可抗な「時」を友にして
いま、「今日」の扉をたゝく。

「今日」はわたしにとつて永遠である。
「今日」はわたしの慕はしい戀人、
「今日」ははわたしの愛しい妻、さうして
「今日」ははわたしの力の源である~、
あゝ、その祭壇には熾んな情慾がもえたち
焔はあらゆる供物を生々の色に彩る。
「今日」は來らむとする翼をとらへ、
「今日」は遠き未來を打ちこぼつ。
わたしの禮讃はわが皮膚の細胞に
花と亂れる情慾の讃歌、
あゝ、偉大な本然に根ざす力の動きに
わたしは車輪の一片となつて
その壯大な堂宇をかけめぐる。

わたしは「昨日」を葬る、
 やさしい言葉もかけず。
わたしは合掌する、
 わたしの燃え立つ魂に。
わたしは瞑默する、
 靜かな夜にもきこえる鼓動に。
わたしは火をかゝげる、
 わたしの心の隅々を明るくするため。
わたしは歌ふ、
 大聲を張りあげてわが心の動くがまゝを言葉と響にして。
あゝ過ぎゆくものゝ一切、わが前を消え去るものゝ一切、
われはそのために嘆かず、
 わが愛撫の心を生き動くものゝ上にとさし向ける、
わたしは一切の死滅を幻と信じて
うつりゆく「時」の胎内にわが生をさゝげる。

詩集『勝利』・「風物と吾」より


【轉換】

 男は女にいふ、――
わたしの慾望は、けつきよく
あなたの全部です、
あなたの「心」といふは足らず、
しかもあなた自身を偕(とも)なはない
肉體だけでも不満です、
あなた全部を下さい、私全部を上げます、
これが愛といふ~聖な
しかも卑近な「人間」の Bargain です。
 女は男にいふ――
まあ、愛は取引でせうか、
わたしは懸引なく申します、
わたしの愛は私が本位です、
さうして女といふ性が
やつぱり私のものです。
その「性」は目覺めました、
それはあなたの露骨な慾望を
どんな可愛いゝ詩や巧妙な
あなた自身の哲學でお包みになつても、
さて、わたしをさし上げたあなたと
わたしをさし上げない前のあなたと
どつちを好くでせう?
その答へは充たされぬといふ熱望に
わたしの最も好む「愛」の香氣が
その陶醉がかゝつてゐるのです。
熱望に醉ひたい、永遠に。
 男は笑つていふ――
昔乍らの女の哲學が
やつてきましたね、
熱望は瞬時、リズムの頂點は一つ、
勿論私もそれは欲しい、
しかし醒める約束で酒はのめない、
信じない靈に愛は賣りたくない。
もし私の慾望が露骨な情慾を
あなたに表す形式を僞はるといふなら、
はつきりと申しませう、
それは罪といふものが
なぜ生れるかといふことを。
わたしの本能は
幾代となくつゞいた人間の
意識のうちに耕され、
理智と禮譲のなかを潜(くぐ)つたが、
さて、あなたの前で
あなたの唇を感じ、瞳を感じ、
あなた自身の肌からあなたを感じることが
なぜあなたを惡くするでせう、
なぜ私を蔑くするでせう。
あるひは今日このやうに、あなたに
はげしく打ち込んでゐる愛が、明日
何ものかの敵によつて裏切られ、
愛が憎みに、憎みは戦ひに、
戦ひはお互ひを惡魔に賣り渡すとしたら、
私たちは何によつて
この代償を「愛」に求めませう?
 女はおとなしく答へる――
人間を肯定することで、
愛も慾望も一つに認める
あなたの勇氣をよろこびます。
しかし、今日、あなたを信じることが
なぜ明日あなたを敵とする
恐ろしい疑惑の雲に變るでせう?
かうすればいゝのです、本能の
野獸の力をあなたから
私の熱望にかへて下さり、
私のほしい熱望を
いつまでも燃やされるあなたの焔に
變へて下さるなら……
わたしとあなたとの戦ひが
あなたと他人との戦ひが
一つの國と他の國との戦ひに
いつもひろがるではありませんか。
暴力をみんなの力に
人間そのものゝ伸びてゆく根元に
しつかりとおさへて、
さあ、この脣の燃えたつなかに
優しい接吻をいたしませう。

詩集『歩む人』・「歩む人」より


偶發事

夕餉の膳にはこぶ血が
狭い食器棚からころげ落ちた、
けたゝましい響を立てゝ靜かな薄暮(たそがれ)に
その破片は白鳥の毛のやうに亂れた。
妻はその片われを採りながら
ふたゝびもとに還らぬ皿の形を思つた。
だが結論は皿になく棚にあつた。
狭くかよわい食器棚は
永年の痛みに扉もゆるみ、
棚板はひよわく、重みに堪へかねた。
問題はつまり新しい棚を買ふことだ、
安全で堅牢な棚に代へることなのだ……
しかし、そこにはその新しい意見に
添はれる條件が缺けてゐる。……それは
ちよつと今買へさうにないといふことだ。

心を暗くするもの影は
たゞ吾々の貧しさということか?
いやさうでない。私の慾求はすぐに
新しい棚の存在を夢みるが、
これをはこぶ意志をはゞめる
永年の、逡巡し、おびえる心があるのだ。
私のまはりにある凡てが
私をいつも億劫にさすほど苦めた。そして
今必要だといふことが
どんなに多くの私のまはりにあるのか。
しかも、その一つを考へることすら、
それは遠い遠い理想のなかにある、
思考のたやすく實行し、
幻影のやさしく眼にうつすそのことが
どうして、かうも出來ずに
さしのばす手のかなたにあるのだ。
眼の前にある石ころ一つすら
努力なしには動かしえないのに
なぜ吾らの心はその力をば惜むのだ?
この薄暮にきえゆくものは、弱い心と
智慧の嘲笑(あざわら)ふ悔恨ばかりではあるまいか。

詩集『歩む人』・「歩む人」より


【春の動詞】

Je suis aime
tu es aime
il est aime,
Nous sommes aimes
ils sont aimes.………

チビは熱心にやつてゐる、
文法はお經のやうで
音律はナンセンス。

主格と賓詞はお互ひごつこで
「時」は前か後(うしろ)かだ。

あゝめんどくさい「時(タン)」よ、
俺が愛されてゐようと
おまへが愛されてゐようと
かんじんなのは「現在」。

空にうごく雲は出鱈目で
風もまた出鱈目だ。
しかもブロークンな「春」の動詞は
この風景を間違へない。
Je suis aime
Nous sommes aimes
チビよ、朗かにやれ、
天氣のいゝ空を眺めて、
ラグビーを思ひ出しはしないか。
蒲公英は輕快にとび歩き、
太陽はベレーのやうに可愛いゝ。

詩集『明るい風』・「未來の動物」より


【黒枠】

黒枠のハガキが飛び込む、
朝の日といつしよに。
俺は默つて讀み捨てる。
俺は含嗽をする。

俺は悔みを言はない、――
「生命」に對しての遲い挨拶だ――
悔みの言葉はどこかしらに
嘘をつけるやうに出來てゐる。

この世のなかで(古い話だが)
「死」だけが一番正しい、
俺は黒枠の正義に敬禮する。
奴は辯解を許さない。

巖粛な悲哀に装飾はよさうよ。
結局「事實」より承認出來ないのだ、
「今日空から一つの星が落ちました、
きれいですね」とでも言ふくらゐ。

どこを探してもゐ無い顔を
口惜しさうに追憶が追ひ廻す、
ムダな愛がまだ舌なめずりをやる――
生命(いのち)と踊つてゐるのは誰だ。

詩集『明るい風』・「明るい風」より