蒲原有明

かんばらありあけ(1876-1952)

東京麹町隼町生まれ。本名隼雄(はやお。出生地にちなむ)。尚、有明自身は記述の中で生年を
1975年としている。生まれつき体が弱かった。平河小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京
府尋常中学校(現・都立日比谷高校)を卒業し第一高等中学校(のちの一高)を受験したが失敗。
国民英学会で学び、卒業後小林存や山岸荷葉らと同人雑誌「落穂双紙」を発刊し、ここに初めて
詩を載せた。読売新聞の懸賞小説に応募し「大慈悲」が当選し、この時期小説を書いたが、すぐ
に詩作に専念する。巌谷小波の木曜会に顔を出すようになり、D.G.ロセッティの訳詩や、新体詩
集『草わかば』を出版した。さらに上田敏の訳詩に強く影響を受け『独絃哀歌』『春鳥集』を刊
行し象徴主義を謳歌。1908年に刊行した『有明集』で象徴詩手法を確立し、薄田泣菫と併称され
た。だが既に時代は自然主義の流れに向かっており文壇から批判され孤立するとノイローゼに陥
った。大正以後は文壇を離れ詩の改作を行ったが作品の質は改作前の方が高いという意見が多い。
                               /「ウィキペディア」より


【あだならまし】

道なき低き林のながきかげに
君さまよひの歌こそなほ響かめ、――
歌ふは胸の火高く燃ゆるがため、
迷ふは世の途倦みて行くによるか。
星影夜天の宿にかがやけども
時劫の激浪(おほなみ)刻む柱見えず、
ましてや靡(しな)へ起き伏す霊の野のべ
沁み入るさびしさいかで人伝へむ。

君今いのちのかよひ路馳せゆくとき、
夕影たちまち動き涙涸れて、
短かき生の泉は尽き去るとも、
はたして何をか誇り知りきとなす。
聖なるめぐみにたよるそれならずば
胸の火歌声ともにあだならまし。

「独絃哀歌」(明治36)所収


さいかし

落葉林(おちばばやし)の冬の日に
さいかし一樹(ひとき)、
    (さなりさいかし、)
その実は梢いと高く風にかわけり。

落葉林のかなたなる
里の少女は
    (さなりさをとめ、)
まなざし清きその姿なよびたりけり。

落葉林のこなたには
風に吹かれて、
    (さなりこがらし、)
吹かれて空にさいかしの莢こそさわげ。

さいかしの実の殻は墜ち、
風にうらみぬ、――
    (さなりわびしや、)
『命は独りおちゆきて拾ふすべなし。』

さいかしの実は枝に鳴り、
音もをかしく
    (さなりきけかし、)
墜ちたる殻の友の身をともらひ嘆く、――

『嗚呼世に尽きぬ命なく、
朽ちせぬ身なし。』――
    (さなりこの世や、)
人に知られでさいかしの実は鳴りにけり。

風おのづから弾きならす
小琴ならねど、
    (さなりひそかに、)
枝に縋(すが)れる殻の実のおもひかなしや。

わびしく実る殻の種子(たね)
この日みだれて
    (さなりすべなく、)
音(ね)には泣けども調なき愁ひをいかに。

かくて世にまた新(あらた)なる
光あれども、
    (さなり光や、)
われは歎きぬさいかしの古き愁ひを。

「独絃哀歌」(明治36)所収


【朝なり】

朝なり、やがて濁川(にごりがは)
ぬるくにほひて、夜の胞(え)を
ながすに似たり。しら壁に――
いちばの河岸の並み蔵の――
朝なり、湿める川の靄。

川の面すでに融けて、しろく、
たゆたにゆらぐ壁のかげ、
あかりぬ、暗きみなぞこも。――
大川がよひさす潮の
ちからさかおすにごりみづ。

流るゝよ、あゝ、瓜の皮、
核子(さなご)、塵わら。――さかみづき
いきふきむすか、靄はまた
をりをりふかき香をとざし、
消えては青く朽ちゆけり。

こは泥(ひぢ)ばめる橋ばしら
水ぎはほそり、こはふたり、――
花か、草びら、――歌女(うたひめ)の
あせしすがたや、きしきしと
わたれば歎く橋の板。

いまはのいぶきいとせめて、
饐(す)えてなよめく泥がはの
靄はあしたのおくつきに
冷えつゝゆきぬ。――鴎鳥(かもめどり)
あげしほ趁(お)ひて、はや食(あさ)る

濁れど水はくちばみの
あやにうごめき、緑練(みどりね)り、
瑠璃の端(は)ひかり、碧(あを)よどみ、
かくてくれなゐ、――はしためは
たてり、揚場(あげば)に――女(め)の帯や。

青ものぐるま、いくつ、――はた、
かせぎの人ら、――ものごひの
空手(むなで)、――荷足(にたり)のたぶたぶや、
艫に竿(おし、舵とりて、
舳に歌を曳く船をとこ。

朝なり、影は色めきて、
かくて日もさせにごり川、――
朝なり、すでにかゞやきぬ、
市ばの河岸の並みぐらの
白壁(しらかべ)――これやわが胸か。

「春鳥集」(明治38)所収


【日のおちぼ】

日の落穂、月のしたたり
残りたる、誰か味ひ、
こぼれたる、誰かひろひし、
かくて世は過ぎてもゆくか。
あなあはれ、日の階段(きざはし)を、
月の宮――にほひの奥を、
かくて将(は)た踏めりといふか、
たはやすく誰か答へむ。

過ぎ去りて、われ人知らぬ
束の間や、そのひまびまは、
光をば闇に刻みて、
音もなく滅(き)えてはゆけど、
やしなひのこれやその露、
美稲(うましね)のたねにこそあれ、――
そを棄てて運命(さだめ)の啓示(さとし)、
星領(し)らす鑰(かぎ)を得むとか。

えしれざる刹那のゆくへ
いづこぞと誰か定めむ、
犠牲(にへ)の身を淵にしづめて
いかばかりたづねわぶとも、
夜ふかし黒暗(くらやみ)とざし、
ひとつ火の影にも遇はじ。
痛きかな、これをおもへば
古夢の痍(きず)こそ消えね、
永劫(とことは)よ、脊に負ふつばさ、
彩羽(あやは)もてしばしは掩へ、
新しきいのちのほとり、
あふれちる雫むすばむ。

「春鳥集」(明治38)所収


【魂の夜】

午後四時まへ――黄なる
冬の日、影うすく
垂れたり、銀行の
戸は今とざしごろ、
あふれし人すでに
去り、この近代(ちかつよ)の
栄(さかえ)の宮は今、
さだめや、戸ざしころ――
いつかは生の戸も。

かくてぞいやはてに
あき人(びと)、負債(おひめ)ある
身の、足たづたづと
出でゆくそびらより、
黄金の音走り
伝へぬ、こは虚し、
きらめく富のうた、
悩みの岸嘲(あざ)み
輝く波のこゑ。

見よ、籍冊(ぼさつ)の金子(きんじ)――
星なり、運命の
巻々音(まきまきおと)もなし。
一ぢやう、おひめある
ともがら(われもまた)
償ふたよりなさ、
囚獄(ひとや)の暗(やみ)ふかき
死の墟(つか)、――いかならむ、
嗚呼、その魂(たま)の夜。

「春鳥集」(明治38)所収


【智慧の相者は我を見て】

智慧の相者は我を見て今日し語らく、
汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)悪しく日曇(ひなぐも)る、
心弱くも人を恋ふおもひの空の
雲、疾風(はやち)、襲はぬさきに遁(のが)れよと。

噫(あゝ)遁れよと、嫋(たを)やげる君がほとりを、
緑牧(みどりまき)、草野の原のうねりより
なほ柔かき黒髪の綰(わがね)の波を、――
こを如何に君は聞き判(わ)きたまふらむ。

眼をし閉(とづ)れば打続く沙(いさご)のはてを
黄昏に頸垂(うなだ)れてゆくもののかげ、
飢ゑてさまよふ獣かととがめたまはめ、

その影ぞ君を遁れてゆける身の
乾ける旅に一色(ひといろ)の物憂き姿、――
よしさらば、香(にほひ)の渦輪、彩(あや)の嵐に。

「有明集」(明治41)所収


【茉莉花】

咽び嘆かふわが胸の曇り物憂き
紗の帳しなめきかゝげ、かゞやかに、
或日は映る君が面、媚の野にさく
阿芙蓉(あふよう)の萎(ぬ)え嬌めけるその匂ひ。

魂(たま)をも蕩らす私語(さゝめき)に誘はれつゝも、
われはまた君を擁(いだ)きて泣くなめり、
極秘の愁、夢のわな、――君が腕(かひな)に、
痛ましきわがたゞむきはとらはれぬ。

また或宵は君見えず、生絹(すゞし)の衣の
衣ずれの音のさやさやすゞろかに
たゞ伝ふのみ、わが心この時裂けつ。

茉莉花(まつりくわ)の夜の一室(ひとま)の香のかげに
まじれる君が微笑はわが身の痍(きず)を
もとめ来て沁みて薫りぬ、貴(あて)にしみらに。

「有明集」(明治41)所収


【霊の日の蝕】

時ぞともなく暗うなる生(いのち)のとぼそ、――
こはいかに、四方(あたり)のさまもけすさまじ、
こはまた如何に我胸の罪の泉を
何ものか頸(うなじ)さしのべひた吸ひぬ。

善しと匂へる花弁(はなびら)は徒に凋みて、
悪しき果(み)は熟(つ)えて墜ちたりおのづから
わが掌底に、生温きその香をかげば
唇のいや堪(た)うまじき渇きかな。

聞け、物の音、――飛び過(す)がふ蝗の羽音か、
むらむらと大沼(おほぬ)の底を沸きのぼる
毒の水泡(みなわ)の水の面に弾く響か、

あるはまた疫(えやみ)のさやぎ、野の犬の
淫(たはれ)の宮に叫ぶにか、噫、仰ぎ見よ、
微かなる心の星や、霊の日の蝕。

「有明集」(明治41)所収

+------+
(註)
 ■とぼそ=枢、扉


【夏の歌】

薄ぐもる夏の日なかは
愛欲の念(おもひ)にうるみ
底もゆるをみなの眼ざし、
むかひゐてこころぞ悩む。

何事の起るともなく、
何ものかひそめるけはひ、
執(しふ)ふかきちからは、やをら、
重き世をまろがし移す。

窓の外(と)につづく草土手、
きりぎりす気まぐれに鳴き、
それも今、はたと声絶え、
薄ぐもる日は蒸し淀む。

ややありて茅が根を疾(と)く
青蜥蜴走りすがへば、
ほろほろに乾ける土は
ひとしきり崖をすべりぬ。

なまぐさきにほひは、池の
上ぬるむ面よりわたり、
山梔の花は墜ちたり、――
朽ちてゆく「時」のなきがら。

何事の起るともなく、
何ものかひそめるけはひ、
眼のあたり融けてこそゆけ
夏の雲、――空は汗ばむ。

「有明集」(明治41)所収


【癡夢】

陰湿の「歎」の窓をしも、かく
うち塞ぎ真白にひたと塗り籠め、
そが上に垂れぬる氈(かも)の紋織(あやおり)、――
朱碧(あけみどり)まじらひ匂ふ眩ゆさ。

これを見る見惚(みほ)けに心惑ひて、
誰を、噫(あゝ)、請(しやう)ずる一室(ひとま)なるらむ、
われとわが願(ねがひ)を、望(のぞみ)を、さては
客人(まらうど)を思ひも出でず、この宵。

唯念ず、しづかにはた円(まど)やかに
白蝋(びやくらふ)を黄金(こがね)の台に点(とも)して、
その焔いく重の輪をしめぐらし
燃えすわる夜すがら、われは寝(い)ねじと。

徒然の慰(なぐ)さに愛の一曲(ひとふし)
奏でむとためらふ思ひのひまを、
忍び寄る影あり、誰(た)そや、――畏怖(おそれ)に
わが脈の漏刻(ろうこく)くだちゆくなり。

長き夜を盲の「歎」かすかに
今もなほ花文(けもん)の氈(かも)をゆすりて、
呼息(いき)づかひ喘げば盛りし燭の
火影さへ、益(やく)なや、しめり靡きぬ。

癡(し)れにたる夢なり、こころづくしの
この一室(ひとま)、あだなる「悔」の蝙蝠(かはほり)
気(け)疎(うと)げにはためく羽音をりをり
音なふや、噫などおびゆる魂(たま)ぞ。

「有明集」(明治41)所収

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(註)
 ■
癡=痴=愚か