上田萬年

うえだかずとし(1867-1937)

江戸大久保の尾張藩邸に生まれる。大学予備門より東大言語学科卒。独・仏に留学し言語学を学び、
1892年、東大教授、国語学研究室を開設。退官後国学院大学長を勤めた。国語学研究の発展に貢献。
「P音考」は画期的論文として注目をひいた。国語国字問題にも関心があり、『大日本国語辞典』
を1915年〜1928年にかけて完成、今日の国語辞典の基礎を作った。作家円地文子は次女。外山正一、
中村秋香らとの合同新体詩集『新体詩歌集』がある。/「日本現代詩辞典」より


【ねがひ】

あなたの空に往かまほし
海原とほく船出して
はしき吾が背とたゞ二人
浪路をわれらの世界にて

浪路は如何に荒くとも
はやては如何にあれぬとも
君をおきては命とも
山とも頼まむ人やある

沈まば沈め浪の底
すがる此身を見たまはゞ
泡と消ゆとも世の中に
思ひはあらじと知りまさむ

あれしあらしもをさまりて
月さへ澄める浪の上に
影も並びてやすらはゞ
いかに嬉しきことならむ

ふたりの影の外にまた
浪に浮かべるものもなく
來し方ゆく末かたらはゞ
如何に嬉しきことならむ

あなたの空に往かまほし
海原とほく船出して
はしき吾が背とたゞ二人
浪路をわれらの世界にて


【亡き人の墓】

たのみし事も仇なりき
契りし人も夢なりき
はかなきものは君にして
つれなきものはわが命

たゞかりそめの一ことに
親はらからもよそにして
榮耀榮花もかへりみず
われには君ぞ身も捨てし

われを遺して君ひとり
この世さりぬと聞きし時
契りも頼みもすまじきは
人なりけりと悟りてき

されども思へばいと嬉し
君はなさけの深くして
操もきよき人なりと
大方びとにもめでられき

今は十歳を外國に
學びをさめて君がため
得たる智識もかひぞなき
愛なき智識は惡魔なり

いたくもあれし此の墓よ
葎に垣も見えぬなり
法師はおのがつとむべき
つとめもよそに何かする

悲しき秋の風は吹く
枯野に虫も喞つなり
待てよさびしき苔の下
われも長くは世に住まじ


【七歳にて身退りける甥の不覊を】

先立つもなほ樂はあり
遺れるもなほ苦はまとふ
つひに行くべき道なれば
罪えぬほどや易かりし


【まなび】

學べばわれも塵となる
~こそ今はたふとけれ
學べばわれも~となる
塵こそ今はいとしけれ


【~】

宇宙に~はなきものを
ありと思へる人をかし
心に~はましますを
志らですませる人あはれ


【月と花と】

月花のつくり出でたる心かな
月も花もやがて我身の心かな
月と花と共にこの世の心かな
月も花も心も一つ佛かな


【時】

久しくよそに過ごしつる
花の面影かへりきて
わが打ち見ればおのづから
うつろひてけりあなあはれ


【たも影】

未だ御聲はきかねども
その面影は見奉りぬ
熱か光かあはれさに
打たれてわれも魂消えぬ

そのあはれさに魂消えて
われやむかしのわれならぬ
たゞ籠り居てゆく水に
今日はものかく身となりぬ

春ももの憂しひとり寢て
ねやの軒端の月見れば
上野隅田の花の空
人はたのしとぞ歌へども

かゝらざりせば母上と
あくがれましを野に山に
不孝の罪はゆるしませ
戀は心のもがさゆゑ

戀よつよきはいましなり
御國のためも子の道も
家の寶も身の耻も
いましが眼には塵なれば


【學者】

せつかくたのしい此世の中を
かたい理屈でむがむにきざむ
野暮じや先生ちよとふりむいて
こちらの花をも見やしやんせ


【花】

御國おもひて氣も結ぼれて
ひとりくよ/\樹の間を往けば
花が泣くなと意見する


【春の夜】

月もおぼろの春の夜の
空うち眺めなげくかな
色香なき身はまこゝろも
あはれとひこむ人もなく


【夏の夜】

むかし忍びてかたへの椅子に
ひとり仆れてたゞしみ/゛\と
ふかきつみとがわがわび居れば
木の間がくれの六日の月に
不如歸となきゆく時鳥


【音樂】

なが聲聞けば塵の夜の
あだし願もうせぬなり
あめつちあひぬ物とけぬ
時も處もきえ果てぬ
ゆかしと常にわが思ふ
~代の春にかへるかな
なが聲聞けば塵の世の
あだし願もうせぬなり


【偶感】

身は谷川のもみぢ葉か
よるべもなみに流れゆく
盛りの色はきのふにて
明日はいづこの塵ならむ
鐘の音さびし風さむし
こゝろの空も時雨れつゝ


【戀】

戀とはなにぞ父上よ
戀とはなにぞ父上よ
   かく問ひまつれば父上は
   われにむかひて嚴かに
天なる~よとのたまへり

戀とはなにぞ母上よ
戀とはなにぞ母上よ
   かく問ひまつれば母上は
   わが頬なでゝゑましげに
そなたの父よとのたまへり

戀とはなにぞ兄上よ
戀とはなにぞ兄上よ
   かく問ひまつれば兄上は
   わが手を取りてのどやかに
春のひかりとのたまへり

戀とはなにぞ姉上よ
戀とはなにぞ姉上よ
   かく問ひまつれば姉上は
   われをいだきてひそやかに
誠の熱よとのたまへり

さはむづかしき問ひなりき
さはむづかしき問ひなりき
   げにも戀とはこひの事
   今しもはじめて覺りえぬ
あはれ戀とは戀の事


【さうびと墓】

墓はさうびに問ひていふ
朝な/\におく露を
いましが身には何とする
さうびは墓に問ひていふ
日々に問ひくるひと/\を
いましが宿には何とする

さうびはこたへてないぶかりそ
そのおく露は色に香に
わが身に入りて愛となる
墓もこたへてなうたがひそ
その尋ね來るひと/\は
わがやに入りて~となる


【山茶花】

なにを求めん心なく
森の樹の間をわけゆけば
巖のかげにさゞん花の
色なつかしくさきにほふ

そを手折らむと立ちよれば
かはゆき聲にその花の
いへりける樣いたづらに
つまれてかるゝ我身かは

根ごとしぬきて我宿の
志づけき園に植ゑしより
枝葉も志げく生ひいでゝ
さかえこそすれこの日頃