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今井嘉澄

いまいかずみ(1910-1944)

高知市生まれ。1929年10月、「高知文芸」を創刊。11月、川田和泉、大石喜幸らと詩誌「樹木」創刊。
翌年5月には川田、
滝川富士夫らと土佐詩人連盟を結成。11月、機関誌「南方風景」を創刊。1931年6
月、「南方文学」を創刊。翌年6月、川田、
長谷江児らと郷土詩人連盟・南光詩社を結成。10月 「南
方詩脈」を川田、
島崎曙海らと創刊。この年が今井の文学の頂点で11月に生前唯一の詩集『虹の都』
を刊行。1933年岡本弥太、滝川富士夫編集発行の「土佐詩人選集」は26名の詩人が収録され、県出身
乾直恵上田秋夫片山敏彦、横山青娥らとともに今井の詩も収録された。戦争が急迫してきた19
43年、一般人としてルソン島に赴き翌年1月、最後の手紙が届いた。 市井人としての抒情を貫いた詩
人の遺稿詩集として、『虹の都』に未発表「くろがねの蝶」を加えた『今井嘉澄詩集』が刊行された。
                                  /「高知県人名事典」より


『今井嘉澄詩集』より


「くろがねの蝶」より

【谷間の歌】

ここには爪秀いでたる若鷹がゐる
億万の年輪ある巨大なる古木がある
わたしは谿間の空にひかる
あの神意を宿した碧い瞳の思念(パンセ)を怖れる

もんぺを着けたる娘たちは合唱する
まものを劒のやうな雪が来ますぞ
まものを夜明けのやうに春が来ますぞ
わたしは恥かしいことに自由なる獄囚
それ故にいつも黄ろい絵本の詩書を愛する

ここからは自由なる海が見えぬ
わたしの恋しい街が見えぬ
椿の花は幾度あかく咲いても
けつしてタンポゝのやうに散りはしない
谿間の筏はあれからずつと動かない

ゆう暮、わたしは美しい洋燈(ランプ)をとぼす
与えられたる清潔なる食器を愛する

【破衣の歌】

生活の衣やぶれ何の詩ぞ
人よ問ふなかれ。

折れた旗翳し又何の詩ぞ
人よ笑ふなかれ。

ここに愛あり
愛の弾道あり。

貧乏何ぞ
風雪何ぞ
世代のゆがみに抗し
潔白の寂漠に耐え
われら一人の子供を養ふ。

月雪(ゆき)花
アイウエオ。
雀のお宿の歌も知る
子供は
季節と共に健やかに美しい。

されば、人よ。
われら衣のやぶれを気にせざじ
折れたる旗も亦何ぞ恥づべきや。

いざ。
暴若無人の詩を書かん。
猪突邁進の詩を書かん。


【時代の日】

今宵、月は時代の哀愁を表情して、ほの淡白く地
上を照らしてゐる。家を持たない街の子に果して、
かの輝く明日が在るだろうか。そんなことはなに
もかも、月に問へ、うそつきのやうな真実の今宵
の月に問ひたまへ。


【鷹の子供】

飛行機の飛んでゐる空を
じつと見てゐる子供には夢がある
樹木はすくすくと伸びてゆくのだし
気候はたいそう暖かく
ここ南方には希望の響が充々てゐる

冬も終りに近づいたので
谷間の疎林には椿の花が開いた
巣立ちの鷹のやうな子供よ
飛行機のやうに碧空を翔ける思い持て!

飛行機の飛んでゐる空は
凛々と希望の響が充々てゐる。


【早春の海】

海は早やい春であつた
老ひた漁夫が日向に座つて
猫の子を抱いて海に向つてゐた

何もすることのなくなつた漁夫よ
あなたは沖へ出てゐる
息子のことを考へてゐるだろう
部落(むら)の娘の子と一緒にすることや
いままで働いて築いた家産を譲ることなど
ひねもす海に向つて考へ続けてゐるだろう

その老ひた漁夫の瞳の中には
海の黒潮の流れが
いつも心配の種になつて渦を巻いてゐる


【潮音】

狼煙の風波ゆれる室戸岬で
私は耳を澄まして潮音を聴いた

季節の音楽である潮音よ
君等はいつたい何処へまで
響いてゆき、又帰つて来るか、

ああ、紅い椿の花ひらき
はぢらひの娘もいまは母となる

東洋の春近し
榕樹林の小径の中での私の述懐。


【風】

人人は
春の太陽に向つてくさめをする
まだ彼等は黄色い風邪のハンケチを首に巻いて

風よ
廿世紀の街区は病気である
私は静かに思想する 打診す――、

まもなく
人人の首は空にひるがへるであろう
ああ、あたかも意志のない風船玉の様に――

風は
家をめぐり、街色をながれる
よごれた埃の行方のやうに
黄色い自動車の行方のやうに――

それで人人は
いつでも懐手をして春日をほかほかぬくもりたいと思ふ
芋虫の様に病気にならないで生きたいと思ふ。


【春の花火】

ぷろれたりやの子供よ
春はなぜにかくも憂鬱であるか

ミルク色の美しい空気をふるはせて
小鳥はたのしげに唄ひ
花々はらんまんと華やかに開いた
僕たちの夢は紙風船のやうにふくろんだのに。

ぷろれたりやの子供よ
南方の空たかく落下する一瞬の花火を愛し給へ、

ああ、けふ行楽のたゞよふ市街(まち)よ
黄色い自動車のなかなる紳士よ
僕はなぜにかくも憂鬱であるか
非業なる世紀のからくりを懐手のままに歩いてゐる。


【春の潮】

紫の春の潮よ
あなたの胸の中には
美しい季節の時計がある
あなたの瞳の中には
優しい母性の愛撫がある

島国、日本に春はめぐり
山嶽の呪縛の冬の雪も解けた
雪はさらさの帯のように
海へ

だが海向いて
無頼の青年(をとこ)が泣いてゐる
額面(ひたゐ)の刻印(イニシヤル)は消えもせず
追放の街区(まち)の冬の夜景よ
ああ、海は世界の労働者(ぷろれたりや)
世界の明日のおしやべりをする


【橋の上】

霧の夜更けの感想として、青白い世紀だなんてふ
るくさい言ひふるされかも知れない。されども、僕
たちは数かぎりない諸々の悲しい分身を発見する。

青白い、まことに哀れつぽい沈みゆく病体の月。
そして、街区の静かにささやかれる悲歌(エレジー)。
僕と君との隔離されたる嘘飾の罪過。何ごともそ
の日の風まかせなんて、ほんとうに言ひふるされ
たふるくさい現実的迷信、僕は自己の体内に棹さ
すべき白骨の力学を感じてゐる。

霧の夜更け、赤い真実の後尾洋燈(テイルランプ)。
まことに親しい僕の友よ。やさしい母なる世紀の分
身よ、傷痕の河口を静かにささやかな悲しみの、出
発をする船もある。


【花】

     光枝へ

ひとひらの花
ふたひらの花
凛として季節を生きる。

バネがある
風雪を耐へるバネの意志がある
あらがねを鋳て叩いたかんばせ
渦巻く青雲の空底に反響(バネ)がある

うす紅ひの生活(くらし)の抒情
襟を正して呼吸せよ
いささかの酒盗に決して頬をゆるめな

歳月のランプを愛して
その貧(とぼ)しさをわかちあおう
労働(はたらき)のまこと信じて
汗の力を捧げあおう。

ひとひらの花
ふたひらの花
それ等は米粒のごとく尊くある。